ノックビン(ジスルフィラム錠) アルコール依存症治療薬

アルコール依存症治療薬レグテクトから抗酒剤ノックビン(ジスルフィラム錠)に変更。強制的に酒を飲めない体質にする訳だから、抑止力の差は歴然。

アルコール依存症治療に必要なこと

      2016/12/10

アルコール依存症治療に必要なこと

アルコール依存症患者にも酒を飲む自由がある

アルコール依存症の人たちは、決して能力障害者ではありません。機能不全の人なのです。そこのところを、家族や社会の人たちは混同しています。
たとえば、脳卒中で右手が不自由になった人がいます。しかし、その人は左手を使ってパソコンを打ち、文章を書くことができます。右手に比べたら時間がかかるかもしれません。でも、文章が書けます。文章を害くという機能に障害はできたけれども、文章を害く能力にはまったく障害はないわけです。
アルコール依存症の人たちも同じです。酒によって仕事をしくじることはあっても、能力が劣ったわけではありません。逆に優秀な人がたくさんいます。
そのことを忘れて、アルコール依存症になった夫を「あの人はダメな人間です」といい切るのは、なんと不遜なことでしょう。妻にだって、いたらないところがきっとあるはずです。その意味では、夫も妻も、全知全能の神ではなく、弱い部分をもった人間です。双方とも対等の立場なのです。
医者と患者の立場も同様です。治療するから医者のほうが患者より偉いと思うことはナンセンスもはなはだしい。医者も患者と同じ人間です。全能ではありません。平凡な能力者のひとりです。
患者が「オレは太く短い人生を生きたいんだ。アル中になって早く死んでも悔いはない。だから、先生。オレは酒を飲み続ける」といったら、私はそれを強権的に押さえて、無理やり治療することはありません。というよりも、無理やり治療をすることなど不可能です。
そういう人が家族に連れられてクリニックに来ても、私は「治療をしません」と、ピシヤリと断ります。それが、いずれ相手の死につながることだとしても、人生をどう生きるかは本人が決めるものです。
アルコール依存症の人にも、酒を飲む自由があります。言い方を変えれば、酒以外のすべてを失う自由があります。
ただし、断るとき、私は全人格をかけて断ります。相手の人も全人格をかけて「太くて短い人生を選択する」といっているのですから、そうするのが礼儀です。
また、自分の生きる意味を問い直したいと、真剣に治療を受けにくる人には、私は全人格をかけて治療します。
医者と患者が、お互いに啓発し合いながら、真剣に人生の生きがいを求めていくところが、アルコール依存症の治療現場にほかならないのです。

ノックビン(ジスルフィラム錠)の通販は、こちら→お薬館

「まちがって治るかもしれない」

そもそもアルコール依存症の治療の原点を築いたのは、医者ではありません。
アメリカのボブとビルという二人の患者です。それぞれの職業は、ボブが医者、ビルが株式のディーラーでした。
その二人は、アル中という精神病質人格者と診断され「もうどうしようもない。治る見込みはない」と、すべての医者から見放されたのです。
ところが、二人はふっと気づきました。
「たしかにオレたちは最低の人間さ。だけど、自分が最低の人間であることを自覚できる能力はあるんだよ。事実、酒を飲むまえはボブは立派な医者だったし、ビルは立派なディーラーだった。酒を飲んでからアル中になったということは、アルコール依存症というのは病気なんだよ。意志が弱いとか精神がおかしいというのじゃない。病気だから、治療すれば治るのだ」こうして二人は、自分たちが〈最低の人間であることを自覚できた能力者〉として生きていこうと誓い合いました。これが、アルコール依存症の治療の原点です。
ボブとビルは、それをきっかけにして着実に立ち直っていきました。
それまで「アル中は治らない」と考えていた医者たちが、ボブとビルの再起の様子を見て「アルコール依存症は治るかもしれないぞ」と、二人をバックアップしていくうちに、その医学理論が確立していったのです。
その頃、私は国立久里浜病院に赴任したばかりでした。アルコール依存症の治療概念がまだなくて、私自身が当時は〈常識〉であった「アル中患者は、不治の精神病質者か、意志の弱い根っからの怠け者だ」という偏見を抱いていたぐらいです。
久里浜病院に勤務してまもない頃、市川房枝さんらが病院にやって来られました。
そして、次のように話されたのです。
「欧米ではアル中患者の医療の内容が変化しているのに、日本は何も変わっていません。アル中の患者さんを治すような医療はできませんか」
「市川先生は、アル中について何もご存じないから、そういうことをおっしゃるのです。
アル中は治りません。治療してもムダですよ」と答えました。若気のいたりです。
すると市川さんが、
「ダメならダメでもいいんです。そのダメということを証明していただけますか。それに人間というのは限りない可能性をもっているものです。丁人ぐらいは、まちがって治るということもありませんか」
と、おっしやったのです。
まちがって治るという発想がおもしろいと感じました。そして、この言葉を反側している間に、まちがって治るかもしれないから試しに治療してみようかという気になったのです。
当時、入院中のアル中患者は離脱症状で苦しいために病院から逃げ出そうとして、病院側は逃がすまいとしていました。それを私は「逃げたければ逃げなさい」と、日本で初めてのアル中専門病棟を開放病棟としたのです。
すると不思議なもので、患者は逆に逃げなくなりました。そして試行錯誤をくり返しながら治療を続けていると、患者が治ったのです。その報告を私の母校である慶応大学の精神秘の医者にしたところ「それはキミの診断がまちがっている。アル中は治るはずがないんだよ」という返事が返ってきました。
私は、精神科の医者からも偏見の目で見られている患者がかわいそうだと思いました。それなら本格的に腰をすえてアルコール依存症の医療を研究しようじゃないかと続けて、今日に至っています。
当時、私はアルコール依存症の医療などはするつもりはありませんでした。もっとほかの医療を研究したかったのです。しかし、手探りの治療のなかで、立派に治った患者がいたおかげで、私はこの道に進もうと決心できました。何のことはない、私自身も、患者からアルコール治療を教えられたのです。

断酒と禁酒の大きなちがい

アルコール依存症の治療に「断酒」という言葉はありますが「禁酒」という言葉はありません。
禁酒というのは、第三者が「酒を飲むな」と命令することです。
断酒というのは、自分が「酒を飲まない」と自覚することです。
同じようですが、意味合いはまるでちがいます。アルコール依存症の患者にも酒を飲む自由があることはすでに触れました。
「飲む自由があって、そして飲まない」
これは、治療の根本です。
ニユージーランドのアルコール依存症の組織のスローガンは、「Living wltn alcohol pleventing misuses」
となっており、その意味は、「酒と共存しましょう。ただしお酒の乱用は予防しましょう」というような内容です。
日本の厚生省も、同じようなことを主唱しています。いわく、「適正飲酒」
つまり、酒は飲み方をまちがえると毒になるが、人間のつくりだした文化ではあるということです。だれも、人が酒を飲むことを禁止はできないのです。ところが、それを宗敦ではなく法律で禁止した例があります。有名なアメリカの禁酒法(1919〜1933年)です。いまでは悪法という評価が一般的です。法律のあり方としてはそういう一面があったかもしれません。しかしその成立の背景となる考え方は正しかったと私は思っています。
当時のアメリカは、典型的な男社会でした。その男たちが酒を痛飲し、社会的に力のない女性や子供たちに暴力をくり返していました。
そこで、人権上の防衛対策として禁酒の自制運動が盛り上がり、飲酒による男性の逸脱行為の予防手段として禁漕法が成立したのです。その運動は、のちに「構造的アルコール対策システム」が構築できたことで大変意義があります。つまりアルコール関連問題に対して医療や福祉などで予算化し国が取り組むという法律ができたことです。
しかし、禁酒法という法律面では失敗だった一面もたしかにありました。
その理由は、文化史的に見れば、酒の文化を第三者が強制的に廃止することに、そもそも無理があったことです。また学問的に見れば、社会福祉学やアルコール治療に関する精神医学が未発達だったことです。アルコール依存症を、性格異常や怠け者のせいと見なす当時の道徳だけで解決しようとしたのです。
さらにいえば、禁漕法を逆利用し、闇の流通ルートで大儲けをたくらんだギャングのアル・カポネと、そのカポネに買収されたシカゴ市長やシカゴ警察の警察長官などの存在が、禁酒法の廃止運動につながっていったことも事実です。
それに対抗したのが、エリオット・ネス。彼はカポネと裏で通じているシカゴ警察とは組まず、財務省の酒類取締局にいた信頼できる九人のスタッフを率いて新しい組織をつくり、カポネや市長、警察署長などと対抗しました。
ネスは、いくたびか危険な目に道いながらも、ついにカポネを逮捕し、起訴・投獄したのです。その命がけの活躍を支えたのが「法を守る」という精神でしたが、その根底には「悪いヤツらをやっつける」という、管理的正義ではない法的社会正義概念があったと思います。
その象徴的なエピソードがあります。
ネスが守った「禁酒法」が廃止されたとき、彼は記者団にその感想を求められ、「そうですか。じやあ今晩は一杯やりましょう」と笑いながら答えたというのです。
カポネは悪法を利用して大儲けをたくらみ、ネスは悪法を利用して正義を貫こうとしたのです。
話がわき道にそれていきましたが、要は、アメリカの禁酒法という法律は、社会的弱者による社会的強者への、やむにやまれぬ対抗手段から生まれたこと、そして禁漕法は医療
や文化から見て悪法にならざるを得ない一面があることを紹介したかったのです。
もし、いま酒をたしなむ国で禁漕法が誕生したら大変な混乱が起きます。闇の販売ルートができたり、覚醒剤が横行したりします。酒は排除するだけでは何ら解決しないことの実験を、二十世紀初頭のアメリカはしてくれたともいえます。

断酒会とAA

自助グループの歴史や役割について、あらためて紹介します。
日本には、大きな自助グループが二つあります。
①断酒会
②AA(Alcoholics Anonymous)
いずれも、一定の場所と時間を決めて集まり、お互いの体験談や近況など話し合うことが活動の中心になります。それを、断酒会では「例会」、AAでは「ミーティング」といいます。
例会やミーティングの意味は、まず第一に考えられるのが、それまで酒を飲んでいた平日の夜や休日の昼に集まることで、再飲酒の予防になることです。そこに出席すれば、全員が断酒を続けていますから、まさかそこでアルコールを摂取することはできません。お茶やコーヒーを飲みながら、自分の酒歴や失敗談、今後の生き方などについて話し合うのです。
第二は、酒を飲まない理由をいわなくていいことです。会社の懇談会(新入社員歓迎会、花見大会、ゴルフコンペ、忘年会、新年会など)に参加すれば当然酒がつきもの。そのとき飲酒をすすめられるたびに断り続けなければならないことは、アルコール依存症の人たちにとっては苦痛なものです。
「どうですか? 一杯」
「いえ、私は飲めません。からだをこわしてしまいまして……」そんな断りの言葉をいい続けなければならないからです。
その点、最初から「飲まない会合」ですからラクです。
第三は、アルコール依存症という同じ体験をもった人たちが、お互いに啓発されて〈酒なしの人生〉でも豊かに生きられることを発見することです。
「先日、車椅子マラソンのボランティアを手伝いましてね……」
「ほう、そうですか」
「いやあ、感動しましたね。三〇歳をすぎてから交通事故にあって、車椅子生活を余儀なくされた人が、明るく元気に暮らしているんです。そして車椅子のマラソン大会に参加するために朝早くに練習する。しかし、歯を食いしばってという感じではなくて、練習を楽しんでいるというのかな。早朝の空気はおいしいし、ジョギングをしている人と会話をしたりするらしいんだ。その笑顔があまりにもいいから私は声をかけたところ、その人は私のことを知ってましてね」
「依存症のことを?」
「そう。そして私に「立派ですねエ。お互い失ったものは大きかったけど、それ以上に得たものも大きいですからね。元気よく生きましょう」と逆に励まされました」
「そうですか。今度は私も参加させてください」
「ああ、いいですよ。一緒にボランティアをしましょう」
こんな会話を通じながら、生き方に奥行きと広がりをつけていけるのが自助グループの良さです。

アルコール依存症患者は酒が飲み足りない?

AAはアメリカで生まれたボランティア組織で、その底流にはキリスト数の精神が流れています。かといって、宗数的な強制は一切ありませんから気軽に参加できます。
AAの会員の基本単位は「個人」です。そして匿名がベースです。たとえ央婦であっても、メンバーは個人が参加するシステムになっています。それまで日本では、独身者のアルコール依存症の日常ケアシステムがなかったのですが、AAが日本で最初にそれを行ないました。
一方の断酒会は、単位が「家族」です。たとえ独身者であっても、その人を結婚予定者と見なして運営されていきます。そして、匿名性にはあまりこだわりません。
現在は、全国各地にそれぞれの断酒会がありますが、最初にスタートしたのは高知県でした。その初代会長は、すでに亡くなられた松村春繁氏ですが、この人の献身的なボランティアによって、日本独自のアルコール依存症の自助グループ「断酒会」ができ上がったといっても過言ではありません。
松村氏の素晴らしさは、ボランティアに徹し切ったことで、日本社会によくある権威主義的なピラミッド型の団体にする気がなかったことです。この精神は絶対継続させるべきです。
私は、松村氏によってアルコール依存症の専門医に成長させていただいたという実感があります。彼の実践的な「立ち直りの智恵」を教えていただいたことで、アルコール依存症の医療が骨太になり、枝を張り、実をつけたとっていってもいいでしょう。
こんな話を聞いたこともありました。
「河野先生、依存症の患者は、なぜ酒がやめられないと思いますか」
「飲むときの快感が忘れられないからでしょう。それが脳の中枢神経にインプットされているからだと思いますよ」
「お医者さんの立場からいえば、そういう表現でいいのでしょうね。それをアルコール依存症の人間の立場からいいますと「飲み足りないから飲み続ける」のですよ」
「エッ、あのすさまじい飲酒量でもまだ飲み足りないのですか」
「足りません。酒の快感の沼に沈んでいくと想像してください。飲み続けるのは、この沼の底に向かってどんどん下がっていくことなんです。相当飲んでも底に着いた感じはしません。だから、どんなに仕事で失敗しても家庭をメチャクチャにしても、底に着いた感覚がないために、また飲んでしまうわけです」
「それじゃあ、からだがやられてしまうのも当然ですね」
「当然です。患者が酒をやめようと思うのは、沼の底にトンと着いた感覚をもったときになります。底に足が着いた反動の力を利用して、今度は断酒という水面上に向かって浮上していくのです」こういうインパクトのある話は〈底に着いた〉松村氏だからこそ聞けたのかもしれません。

全国断酒連盟をつくった男

松村氏が、初めて久里浜病院にやって来られたときの印象もインパクトがありました。
当時、作家でもある精神科医のなだいなだ氏などが、日本初のアルコール依存症治療専門病棟の土台づくりをしているときでした。何もかもが初めてのことですから、一つひとつが手づくりです。
そこへ、小柄な色黒の、年齢よりも老けて見える男がやってきました。そして、高知の下司病院の院長の紹介状と名刺を差し出したのです。下司先生は、アルコール依存医療の大先輩でした。名刺には「全断連会長」と印刷されています。全国断酒連盟の略だといいます。
その頃、日本にあった自助グループはアメリカで生まれたAAでしたが、日本独自の組織があることは知りませんでした。そして、松村氏は「久里浜病院の患者さんたちに私の話を聞いてもらいたい」と依頼しました。下司先生の紹介状もあったし、ご本人も何ともいえない人間的な魅力があふれていたので、食堂に患者を集め、松村氏の話を聞くことになりました。
聞いてビックリです。自分のアルコール依存症の経験を赤裸々にさらけだし、しかも、断酒会をつくってアルコール依存症から再起する人を一人でも多くしたいと熱っぽく語るのでした。患者の反応が、それまでのほかの人の話を聞くときとは、まるでちがっています。「オレよりすごいアル中だ」「この人が酒をやめられたのなら、オレでも酒がやめられる」という気分が患者たちの心のなかに広がっていったのです。
松村春繁氏は、高知で古くからの労働運動の闘士でした。敗戦直後の参議院選挙に立候補し、次点で落選したこともありました。それが原因というわけではないのでしょうが、元々大酒飲みだったのが、さらにひどくなっていったのです。次第に周囲から見放され、町議会選挙に立候補したときには二票しか票が集まらなかったときもありました。友人・知人はだれも相手にしてくれません。
人生に絶望し、自殺を二回試みたが死に切れず、一念発起して断酒会を結成し、全国をまわって各地に断酒会をつくろうとしているところだといいます。
その全国行脚の一環として久里浜病院を訪れたのです。それ以後、松村氏はたびたび久里浜病院に来て、いろいろな話をしました。逆に、私やなだいなだ氏は、全国に断酒会の発足があるたびに、来賓としてたびたび出席するようになりました。アルコール依存症の治療に行政も市民も、そして医者までも関心を示さない時代でしたから、挨拶する人間として私たちに白羽の矢が立ったのです。厚生省も最初のうちは断酒会の役割を無視していました。そこで国立病院の医者である私やなだいなだ氏が「アルコール依存症の治療には絶対必要な自助グループであり、その運営も保証するから」と厚生省に何度も交渉を重ねたこともあって、断酒会活動にも行政が対応をしてくれるようになりました。
といっても、遠方の断酒会に出かけるときは、医者の旅費は支給されるが、看護婦の旅費はまったく出ないという程度の対応でした。そこで私たちの車に看護婦を同乗させて旅費の負担を軽くし、宿泊が必要なときは断酒会員の自宅に泊めていただいて宿泊代を節約したのも、いまとなってはなつかしい思い出です。
しかし、断酒会が厚生省や地方自治体のヒモつきになることは、本当のアルコール依存症治療にはつながりません。また、会長・副会長というポジションがあってもいいのですが、自助グループの基本はお互いが対等なひとりの人間同士としてつきあっていくところにあるべきです。「管理」ではなく「営み」の人間関係です。
こんな例があります。
ある断酒会で、会長が再飲酒をしてしまったのです。そのことは、ほかの会員は知りません。会長は、そのことをみんなにいうべきかどうか迷いました。いえば会長の権威は失墜します。
しかし、そう考えたこと自体が、会長とその断画会とのかかわりが「管理」の人間関係に陥っている証拠です。
会長は、医者に相談に行きました。医者からは「やはり素直に話したほうがいいと思いますよ。そのことで会長の地位を退くことになってもいいじゃないですか。また最初からやり直せばいいのですよ」とアドバイスを受け、会長もそうすることを決心したのです。
三日後、例会の席で会長は自分の再飲酒の話を始めました。そして、「でありますから、私は今日から会長を辞任したいと思います」
と発言したところ、日頃は会長の権威主義的ニオイに反発していた会員が、「大変失礼ですが、私はいままで会長の話を聞いてもほとんど関心をもちませんでした。
しかし今日はちがいます。感動しました。よくぞ正直に私たちに話してくれたと思います。そのことで、会長を辞める必要はないと私は考えます。いやむしろ、正直に話してくれた会長こそが、会長にふさわしいと思います。どうか辞めないでください。みなさんは、どう思われますか」
と、ほかの会員の同意を求めました。
盛大な拍手がわき起こりました。だれもが会長の継続に賛成したのです。それまで、この会長も「一人でも多くのアルコール依存症の人たちのお役に立ちたい」
と一生懸命に活動してきました。その「人の役に立つ」という思想が肥大し、どこかで歯車が狂ったのだと思います。その狂いを、再飲酒が教えてくれたともいえます。断酒会の会長が再び酒を飲むことは、人生の失敗であり、大きなマイナスでした。しかし、このマイナスは「営み」の人間関係をよみがえらせるには、大きなプラスだったのです。

アルコール依存症治療と「信仰」心

断酒会の話が続いたので、AAについても私なりの見解を書きたいと思います。
まず「AAの12のステップ」(図4)をご覧ください。
これは、AAに入り、どのようなステップを踏んでアルコール依存症から脱皮していけばいいかを指示したものです。
その底流には、キリスト教の教えがあることは、すでに紹介しました。たとえば、12のステップの三番目に「ハイヤー・パワー」という言葉が登場してきますが、これなどは、無宗教の人が多い日本人には、ある種の抵抗感があるかもしれません。
しかし、気にする必要はありません。基本は、アルコール依存症の人たちの新しい人生を見つけるための自助グループなのです。

A.A.の12のステップ

1.われわれはアルコールに対して無力であり、生きていくことがどうにもならなくなったことを認めた。
2.自分白身より偉大な力が、われわれを正気に戻してくれると信じるようになった。
3.われわれの意志と生命を、自分で理解している神、ハイヤー・パワーの配慮にゆだねる決心をした。
4.探し求め、恐れることなく、生きて来たことの棚卸表を作った。
5.神に対し、自分白身に対し、いま一人の人間に対し、自分の誤りの正確な本質を認めた。
6.これらの性格上の欠点をすべて取り除くことを、神にゆだねる心の準備が完全にできた。
7.自分の短所を変えて下さい、と謙虚に神に求めた。
8.われわれが傷つけたすべての人の表を作り、そのすべての人たちに埋め合わせをする気になった。
9.その人たち、または他の人びとを傷つけない限り、できるだけ直接埋め合わせをした。
10.自分の生き方の棚卸しを実行し続け、誤った時は直ちに認めた。
11.自分で理解している神との意識的触れ合いを深めるために、神の意志を知り、それだけを行なっていく力を、祈りと瞑想によって求めた。
12.これらのステップを経た結果、霊的に目覚め、この話をアルコール中毒患者に伝え、また自分のあらゆることに、この原理を実践するように努力した。
アルコール依存症で治療を続けている人は、新たに「酒のない人生」に踏み出します。
いままで経験したことのない世界ですから、当初は戸惑いがあり悩みもありますが、行き着く先は「自分はどのように生きていくのか」です。
このテーマは、宗教の道に非常に近いものがあります。そこで、患者のなかには、「先生、アルコール依存症は宗教をもたなければ治りませんか」と、質問する人が出てきます。それに対して、「キリスト教や仏教などの宗教をもたなければ治らない、ということはあり得ない,特定の宗教をもつことと具体的な治療とは関係ありません」
と答えるのが普通ですが、「ただし、信仰はもったほうがいいでしょう」という言葉をつけ加えるといいかもしれません。
信仰とは何かといえば、生きることと死ぬことの意味を考えることです。酒を飲み続ければ、三割の人は早く死んでしまいます。ですから、酒を飲むか飲まないかを考えることは、すなわち生きるか死ぬかを考えることにほかならないのです。
ところが世の中には、偏狭な宗故親をもって、それを信仰しなければ人生がダメになるとオドシをかけてくる団体があります。だから「信仰」という言葉を聞くと、誤解してしまう人がいます。もっとざっぱくにいってしまえば、信仰とは神や仏の存在を信じることではなく、人間の良心を信じることだと私は思っています。オドシをかけてくる宗教団体は良心のトポスが欠如しているのです。
アルコール依存症の自助グループの土台になっているのも、やはの良心のトポスのはずです。年齢・性差・地域・地位・時代など、あらゆることを超えて通じ合うのが良心のトポス。それは、宗教をもっている人も、もっていない人も、誰しもが信じることのできる対象だと思います。
そう考えると、アルコール依存症の人が再起のために問い直すテーマ「生きることと死ぬこと」の範囲は、細胞や遺伝子といったレベルではなく、人間一人ひとりの人格が最小単位になってきます。医者は、細胞や遺伝子、さらにはDNAといった単位での見方も知識として必要ですが、それは生理学的な〈部品〉の知識にすぎません。アルコール依存症の医療にかぎらず、これからの医療は「生命」を考える際、部品の集合として捉えるのではなく、一個の人間の生き方という人格的〈全体〉で捉えていく必要があります。
その意味でも、病院の医療だけでなく、自助グループの役割がさらに大切になってきます。

「アルコール依存性大国」の小さな希望

酒のコマーシャルに関係した具体的な事例から話を進めます。
「アルコールシンドローム」という情報誌があります。発行は、アルコール問題全国市民協会(ASK・代表/今成知美)というボランティアグループ。その女性を代表とするASKはほんの数人で活動している小さなグループでしたが、某メーカーのCMに対して「子供に悪影響を及ぼす」という視点から放映中止を求めたのです。
そのCMは可愛い動物のキャラクターを使ったもので、酒の広告にもかかわらず、まるで小学生・中学生を相手にしたような内容でした。
未成年者飲酒禁止法がある国で、子供たちを相手のアルコール飲料のCMがまかり通っているところに、日本のアルコール関連問題の根の深さがあります。
ASKがメーカーに抗議に行っても、当初は「何をゴチャゴチャいっているのだ」という感じで、歯牙にもかけられませんでした。しかし、今成さんたちは、私たちのようなアルコール問題の専門家と連絡を取りながら、運動の翰を広げていき、CMの放映を中止に追い込んだのです。
こういう市民運動が、無自覚のアルコール広告に注意を促し、成果をあげたという歴史が日本にあることは、アルコール依存症に対する偏見をなくす意味においても、非常に価値のあることだと思います。
その際に、留意しておくことは、市民運動を単体で終わらせるのではなく、アルコール医療の専門家、自助グループ、厚生省、自治体など、さまざまな職種の人たちとネットワークをつくりながら、連携し、継続して行動することです。
日本は、まだまだ酒のCMについて寛容すぎるところがあります。それを郵政省が権限の旗をふって規制するのではなく、CMを出すメーカーも、それをつくる広告代理店やクリエイターたち、そして我われアルコール医療の専門スタッフたちが、みずからの手で、適正飲酒にふさわしい国にするための努力をする必要があるのです。
最初は小さな運動であっても構わないと思います。
アメリカでも、小さな動きが大きな力に発展していった例があります。
アメリカの未成年者禁漕法が成立したのは、なんとレーガン大統領のときですが、そのキッカケは、1人の女性が勇気をもって立ち上がったことです。彼女は、未成年者が飲酒運転で年間一万人以上も死んでいる事実に愕然としました。その思いが、アメリカ合衆国の法律にまでつながったのです。

自動販売機は日本の文化?

昭和59(1984)年に、ニュージーランドで開催された「アルコール関連問題に関する国家対策会議」(主催/WHO西大西洋事務局)がありました。
日本の代表に次のような質問が飛びました。
「日本は先進法治国家です。立派な未成年者禁漕法や道路交通法があります。だが、世界に類を見ない漕のテレビCMのタレ流しと酒類自動販売機による拡販システムは、一体どのような経過でそうなっているのでしょうか」
日本代表は返答に困ってしまいました。答える材料が手元にないのです。
当時の日本の代表は、厚生省管轄の国立病院の院長で、しかも公的なアルコール関連問題委員会の議長をしていましたが、その人や厚生省の担当者は、酒類自動販売機設置を認可する公的決定機関のメンバーになっていなかったからです。
酒類の自販機の認可は、道路交通法に照らせばいいという問題ではありません。
酒類自動販売機が設置されれば、次のような事態が起こることは、誰もが簡単に思いつきます。
①未成年者の安易な飲酒機会を増やす
②断酒しているアルコール依存者の再飲酒を誘発する
③ドライパーの飲酒運転による事故の原因となる
こういった、教育上・保健上・交通上の重要な問題を引き起こしかねない問題に、厚生省や私が決定機関に参加していないのは、少なくとも先進国では考えられないことです。
でも、歴史的事実です。
私は、自動販売機の簡便性には大いに結構なことだと思っています。いつでも、どこでも、雨でも、雪でも飲料品をはじめとする商品が買えることは、人間の生活の利便性をサポートする機能です。
しかし、その商品が、アルコール飲料となれば話は別です。飲めば必ず酔い、下手すれば依存症になりかねない商品までをも、便利だからといって自動販売機まで使って販売していいものかどうか、大いに疑問のあるところです。
フランスやニュージーランドなどでは、酒類の自動販売機は存在していません。国が認可しなかったと同時に、酒類販売会社が公共性の立場から自主的に自販機の使用をしてこなかったからです。ところが、日本では
「酒類自販機の存在が、未成年者の違法行為にどの程度関与しているのか、その実証的な科学データが裏づけされなければ、すでに酒類自販機が法律によって認められている以上、撤退するのはむずかしいのではないか」
という〈自販機撤退消極論〉を唱える人たちがいます。とんでもない話です。
こんなのは前例をタテに取った、酒造メーカー擁護論にすぎません。仮に、実証的データで「関与はしていない」という結論が出たとしても、酒類自販機を許可する先進国は皆無のはずです。
なぜなら、それらの国は、法律以前の社会正義の立場から見て「自販機に利便性があるからこそ許可しなかった」からです。WHOの「酒類自販機は、人間の飲酒習慣に悪影響をおよぼす」という世界的な合意を無視して「日本独自の文化特質だから」と、酒類自販機による販売を続けていくとしたら、それは日本という国が、未成年者やアルコール依存者などの人生よりも、酒造メーカーや酒販業界組織の利益のほうが大事だと公言しているのと同じです。日本の経済至上主義が、こんなところにも露見しています。
そもそも「自販機による酒の販売」が、どうして日本独自の文化になるのかおおいに疑問です。文化とは「その国の人がすこやかに生きる」ためにつむぎ出されたものです。だから私は、赤ちょうちんで一杯飲むことは日本の文化だと思っています。限界を越えた飲酒をする客がいれば、店主や同僚がそれを止めます。
しかし、自動販売機はコインさえ入れれば、いつでもどこでも好きなだけ酒が手に入るのです。それは文化ではなく、利益を生み出すだけの装置にすぎません。

「人間を幸福にしない仕組み」の存在

世界のほとんどの先進法治飲酒文化国には、かならず「構造的アルコール対策費」があります。医学的に見て、社会福祉の立場から、教育上の見地から見て、アルコールに関連するすべての問題を解決するために使う予算です。
それが日本にはまだ存在していません。
ならば、あんなに大量にテレビCMを流している酒の販売メーカーが、どれだけアルコール関連問題の予防対策費を使っているかといえば、ごくごくわずかです。CM予算に比べれば、スズメの涙を百等分にわけたぐらいです。
なぜそうなっているのかを、考えたいと思います。
そのことを考察していくと、アルコール問題だけでなく、日本社会の構造的な問題につき当たります。それは、集約していえば、
「経済の論理が思想の中心に居座り、人類の幸福を軽視してきた」ことです。
利益をあげることのみに腐心してきた企業、その企業から金をもらって公共概念を忘れた政治家、その政治家の陰に隠れて私腹をこやす官僚、その官僚の許認可権を逆手にとって利益をあげる政治家……という悪循環システムが、社会のいたるところで、きしむ音を立てながら回っているのです。
もちろん、すべての企業経営者・政治家・官僚がそうだとはいいません。
しかし、ここ二〇年間に、テレビや新聞・雑誌に紹介されるトップ事件は、すべてが、この悪循環システムから漏れてくる異臭が発端になっています。
そのニオイは札束を腐らせたような臭いです。
そういった構造にどっぷり浸っている官僚には、何を差し置いても守らなければならない「人間の幸福」という概念が欠如しています。あるのは小手先の技術だけです。
シラク大統領によって、フランスが核実験を実施したときのことです。
日本の外務省は「フランスの核実験は国際法に違反するとは言えない」という、福沢の
知徳一体化の殉教覚悟の実学ではない、政治技術至上主義的な視野からのみのコメントを出しました。一方、長崎市長と広島市長は「核実験は国際法に違反している」と、確信をもって発言しています。
どうして、こんなに正反対のコメントになるのでしょうか。
それは、外務省は小手先の法律解釈で核実験問題を解決しようとし、長崎・広島の両市長は「人間の幸福」という根源的な視点から国際法を捉えたからです。
そのことを私流の言葉でいえば、外務省は「管理」の視点で物事を考え、長崎・広島の市長は「営み」の視点から考えたのです。「管理」の視点で政治・経済・福祉・教育・医療などをしていては、日本という国が世界の孤児になっていくのは火を見るより明らかです。
将来的には、国を動かすのが政治家や官僚ではなく、NGO(非営利民間組織)になっていると予測している政治学者もいます。国家発想ではなく、市民発想(人間発想)でなければ、環境問題や人口問題、資源問題、民族問題などの解決はできなくなるというのです。
フランスの核実験に限らず、どこの国の核実験も、国家発想から生まれた鬼っ子といえます。地球の上の棲息する「人類」という視点で政治を捉えていないのです。

アルコール依存症治療と政治姿勢のつながり

アルコール問題から話が飛躍しているように感じるかもしれません。
しかし、アルコール問題の現場に立ち入って、その一つひとつを検証していくと、必ず日本の根源的な問題にぶつかります。もう少し、この問題におつきあいしてください。人種的な国家至上的発想と人類的な市民発想を考える意味で、ちょっとしたエピソードを紹介します。
神奈川県にある横須賀市は、フランスのブルスト市と姉妹都市になっています。お互いが毎年相手の国から人を招いて国際交流を続けてきました。
横須賀市は96年、プルスト市に合唱団を派遣する計画でした。しかし、フランスの核実験に抗議して、横須賀市長はそれを中止しました。さらに、フランス人がつくった横須賀海軍施設の開設125年の式典にも、フランス政府を招待しませんでした。
せっかく姉妹都市として長年国際交流を続けてきたのに、このことで日仏の親善のひとつが途切れると発言する人もいたそうですが、それは外務省と同じで「木を見て森を見ない」小手先の国際交流論です。横須賀市長は、人類普遍の人類的思想をもって政治行動をとりました。まさに市民発想です。
その結果、どうなったのでしょうか。ブルスト市長からの返事が来ました。それは、
「横須賀市長のとった行動に、大いに称賛の意を表します。横須賀の合唱団がブルスト市に来られなくても、横須賀市とブルスト市の友好の絆はびくともしません」
という文面でした。
長崎市長、広島市長、横須賀市長、そしてフランスのブルスト市長。この人たちは人種主義的な政治技術至上の政治家ではありません。社会正義に立脚した人類普遍の人類的思想をもとに具体的な政治活動をしています。
この、人種概念の上に人類概念を優位とする政治姿勢は、アルコール依存症の治療にも必要なことです。

医療に必要なのは「社会正義」と「人類愛」

極端なことをいってしまえば、アルコール依存症の治療には医療技術が少なくても、社会正義にもとづいた環境と、人類愛に満ちあふれた人間関係があれば、十分治りうるのです。実際には、具象的な人間関係における医療看護の細かいノウハウの積み重ねによって、患者を治療していますが、それを大きく包み込む哲学として、
「社会正義にもとづいた環境」
「人類愛に満ちあふれた人間関係」の二つが、非常に大切になってくるのです。
たとえば、臨終を間近に迎えた人に対して、医者はどのような行動をとれば、その二つの哲学に支えられた医療を実践できるのでしょうか。
おじいちゃんが死にそうになったら、家に帰してあげることだと思います。
おじいちゃんは、しわくちゃの手で、孫のみずみずしい手をにぎり「自分はここで死ぬけれども、この手の温もりを通じて自分の生命は孫に伝わっていくんだ」という安堵感を抱いて死んでいけます。
孫にしても、おじいちゃんの死と間近に接することで、死を厳粛に受け止めます。それは、人間が次世代に「生死の意味」を伝える重要な通過儀礼のひとつです。
ところが、現代の大学病院では、死にそうになった患者がまだ口がきけるときには家族の面会を拒否して最新医療技術をほどこし、延命措置の末、患者がもう何も話せなくなってから家族と会わせています。
この場合、患者はヒトではなくモノにすぎません。延命治療をするといっても、生理学的なイノチを長らえているだけで、クオリティ・オブ・ライフの生命を伸ばしているわけではないのです。
なぜ、日本の医療が「社会正義」と「人類愛」を軽視してしまったかといえば、明治以降の医療体制が、輸入した西欧の技術主義思想を日本流の経済価値至上的思想に勝手に変えてそのまま学生に伝えたからです。医療ではなく医療技術のみを教えてきたのです。
医科大学の先生は、国家試験的正解が導き出せることしか指導しませんでした。正解があるものといえば、技術になってしまいます。研究で証明できた学術だけが正しく、それ以外は不正解のものとして排斥された歴史があるのです。たとえば、臨床的には効果があっても、漢方や民間療法は認めませんでした。
しかし、臨床医学は正解が初めからあるわけではないのです。初めに、患者ありきです。
患者を診察する臨床体験を、何十年という時間をかけて学問研究に仕上げ、それをまた新しい臨床に応用します。ヨーロッパの医学は、すべてがそこから出発しています。臨床30年という大学教授が、自分で患者を直接診察し、新薬の治験をします。
しかし、日本では教授になれば、研究に名を借りた「研究管理」に没頭し、臨床3年といった経験の少ない医者が患者を診察し、治験をします。そんなことをくり返しているから「社会正義」や「人類愛」という、殉教覚悟の知徳一体化の実学(福沢の実学)の視点から治療できなくなっているのです。
そういう視点で患者と接することは、医者と患者が対等の立場であり、医者の一方的な独断で画一的な治療をしてはいけないということです。
患者の身体的・精神的な個性、あるいは個々の人生観といったものを考慮しながら治療をしていく必要があります。
たとえば、アルコール依存症の患者にも、それぞれ治療法に特徴があります。断酒をしているときに、のどが乾いたら、つい酒が飲みたくなります。その欲求を静め
るために、患者はそれぞれ個性的な工夫をします。たいがいは、酒以外の飲み物や食べ物を口にします。
F氏は、グッと水を飲みます。
G氏は、うどんを食べます。
H氏は、牛乳を飲みます。
F氏がうどんを食べてもダメで、H氏が水を飲んでも飲酒欲求は静まりません。
なぜ、そうなるかは医学的に証明されていません。しかし、臨床結果として、それぞれが効果を発揮すれば、医学的な証明などいらないのです。それを、証明がないからと医者が無視することは、不遜もはなはだしいことです。
アルコール医療は「営み」を、まずなによりも優先しています。

断酒は人生のリセットのスイッチ

このページでは、アルコール問題の文化・歴史をテーマに話を進めてきましたが、アルコール依存症患者にとって、自分が何を発見して生きていくかが文化になります。
小さなことでいえば、すでに書いたような「酒が飲みたくなったら、その代わりに何を口に入れるか」も文化のひとつです。
また、アルコール依存症の治療中に、いままで経験しなかったことから〈何か〉にめざめ、そこから第二の人生をスタートさせることも立派な文化です。
久里浜病院では、リラグゼーションの意味を込めて「行軍」と呼ばれるハイキングを月に一回行なっていますが、そのハイキングを通じて「山登り」に目覚め、ついには登山クラブの支部長になるまで山に魅かれた人がいます。
T氏が山登りを本格的に始めたのは50歳をすぎてからでした。
行軍は、普通の速度よりやや早足で歩きながら約五時間をハイキングするスケジュール。テクテクと歩く。快い汗。ふと立ち止まって見あげると、緑の山々が視界に入ってきます。
「なんと気持ちがいいのだろう」
以来、T氏は山登りの魅力に引き込まれていきました。退院すると、さっそくカルチャーセンターの「中高年のための登山教室」に入会。道具も初心者ながら一流のものを揃え、教室に参加。やがてプロの登山家が主宰する登山クラブの会員となり、最初は低い山を登っていたのですが、そのうち北アルプスに挑戦。ほどなく冬山に登るようになり、最後はロッククライミングをこなすアルピニストになっていたのです。
そのアルピニストのT氏がテレビ番組に出演したとき「あなたは、なぜ中年をすぎてから山登りを志したのですか」というインタビューを受けました。そのとき、T氏は、こう答えたのです。
「私はアルコール依存症で久里浜病院に入院していました。そこで自然療法に参加したことで、自然のなかを歩く歓びを覚えたのです。私は登山を通じて病気を克服しました。私にとって、登山は人間性を回復する大切な治療法でした」
このコメントは大きな反響を呼び、全国のアルコール依存症治療に専念していた人たちから手紙が届き、T氏も「登山をやってよかった」としみじみ感じました。
そんなT氏ですが、入院するまえは「酒を飲むと別人のようになり、家具やドアをたたき壊すほどのひどい亭主」(夫人のKさん)だったのです。
変われば変わるものです。しかし、その変化は、とても素晴らしい変化でした。
酒に代わる人生の新しい発見が、T氏の後半生を輝きに満ちたものにしてくれたのです。しかし、すべてのアルコール依存症患者が、T氏のような輝く文化を築くわけではありません。断酒を続け病気が治っても、癌で死を迎える人もいます。
I氏もその一人でした。
せっかくアルコール依存症が治ったのに、しばらくして食道癌にかかったのです。
しかし、その短い第二の人生であっても、I氏は癌と知ってもたじろぐことなく、断酒を続けて亡くなりました。
末期のとき、奥さんが、
「もう余命もないんですから、好きだったお酒をほんの少しでも飲みますか」と尋ねたところ、I氏は、
「いや、いいよ。酒はもう飲みたいとは思わない。アルコール依存症治療のおかげで、酒などよりもずっと素晴らしい〈家族の愛情〉という人生の喜びを知ることができたのだから。あとほんの少ししかない生命だけど、アルコール依存症になったことをむしろ感謝したいくらいだ。最後は納得のいく人生をおくれたのだから……」
と、奥さんに告げたそうです。
I氏の奥さんは、私にこういいました。
「主人は死ぬまで、あとに残る私のことを心配してくれました。それまでは主人のお酒でさんざん苦労をしましたが、あのひと言で救われました。私は、これからも主人の愛情で生きていけます」
夫婦人生のなかで、最後のほんの短い時間でしたが、I氏夫妻は輝きに満ちあふれた人生を送ることができたのです。I氏は、断酒を決意した時点で、精神的な死を迎えて、それ以後を二回目の人生として生まれ変わったのです。これを、
「断酒新生」といいます。
だから、肉体の死に対しても、従容として、高僧のような心境でいられたのです。I氏は自分の意志で、第二の人生という文化を立派に創造しました。そういう生き方を
前にして、医学技術至上主義などは何と小さなものであるかが実感としてよくわかります。

 

ノックビン(ジスルフィラム錠)の通販は、こちら→お薬館

 

 - アルコール依存症