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アルコール依存症の親を持つ成人した子供たち

      2016/12/10

アルコール依存症の親を持つ成人した子供たち

「アルコール依存症の親を持つ成人した子供たち」という文章は2、3のアルコール依存症の専門家によって1970年代に用いられ始めた。その年代には、研究と臨床観察の中でアルコール依存症者がいる家庭で育った子供たちが、殊のほか傷つきやすいことが論証され始めた。彼らは、ある種の情緒的、身体的、また霊的(精神的)な問題で影響を受けやすい。アルコール依存症の親を持つ子供たちのための国民協会は、アルコール依存症の親を持つ成人した子供たちを、認識可能で、診断も治療も可能な家族内のアルコール依存症に「適応反応」しているとみなしている。私たちはこれまでの仕事に基づき、次のように考える。アルコール依存症の親を持つ成人した子供たちとは、アルコール乱用が根本的かつ核心的問題である家庭(生家であれ養子縁組による家庭であれ)で成人したすべての人を言う。アルコール依存症の親を持つほとんどの人たちはその経験から強く影響されてきたし、その後も影響を受け続ける。
精神保健の専門家たちは、百万人単位でアルコール依存症の親を持つ子供たちに出会ってきたが、彼らの訴えの根源まで正確には診断してこなかった。アルコール依存症の親を持つ子供たちは、アルコール依存症者の子供であるためよりも他の多くの理由で治療を受けに来る。例えば、彼らは、アルコール依存症、共アルコール依存症、摂食障害、学習障害、うつ病、および深刻なストレスの理由で治療を受けている。

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*「共アルコール依存症」とは、アルコール依存症を抱える家庭の中の人間関係の一つで、配偶者や子供が本人のアルコール依存症で苦労し悩んでいるのに、一方で結果としてアルコール依存症を支え、持続させてしまうことを示す用語である。
**「摂食障害」には、わざと嘔吐したり下剤を乱用したりして大量に食べる過食症と食物をほとんどとれない拒食症などがある。同一人が両方の障害を持つこともある。

最近まで、アルコール依存症の親を持つ子供としての苦境が明白に認知されなかった。今は、より深い理解をもってその存在を認め、彼らを「アルコール依存症の
親を持つ子供たち」と呼ぶ時である。そうすることは、彼らの困難がどのようなものであるかを明確にし、効果的な介入をするための重要な一歩である。それが回復の出発となる。
現在、親がアルコール依存症なのか、あるいは過去にそうであったのかについてはっきり分からない人たちがいる。もしもそういう疑問があるのであれば、ほぼ間違いなく問題がある。それはまさに、「私はアルコール依存症だろうか?」と質問するのと同じである。もし、繰り返し私がそう質問するならば、たぶん私はアルコール依存症だろう。

アルコール依存症とは?

アルコール依存症を定義づける方法はたくさんある。アルコール依存症を、厳密に文字通りに言えば、薬物としてのアルコールに身体的に依存している人、ということになる。それは、薬物を取り除く時、離脱症状を起こすということである。もしも身体的な離脱症状(発汗、振戦、不安あるいは幻覚を含む)があれば、あなたは進んだアルコール依存症と言える。しかしながら、私たちはこの見方をかなり狭いものと考える。なぜなら、心理学的な側面を無視しているし、末期に進行し
た後の病気を指しているに過ぎないからである。それに代わって、私たちはある人がアルコール依存症であるかどうかを決めるのに単純なモデルを使用する。男性、女性に関わらず、次のような場合、アルコール依存症である。その人が(1)酒を飲む、(2)飲酒の結果として繰り返しトラブルを起こす。つまり家族とのトラプルあるいは職業、仕事、健康、法律上のトラブルである。そして、(3)なおも飲み続ける。もしある人が飲酒し、トラブルを起こし、再び飲酒し、そのサイクルを何度も繰り返すなら、私たちはその人をアルコール依存症者と見なす。
アルコール依存症は、破壊的な死に至る可能性のある病気である。その最初の徴候は、自分を含めて誰に対しても、私はアルコール依存症でないと繰り返して話すことである。
抑制力を自ら失おうとする人はいないし、そのためにアルコール依存症になる人もいない。アルコール依存症は、知らぬ間に徐々に進行する。もし治療されなければ悪化の一途を辿る。
アルコール依存症者が飲酒するのは、落ち込んだからでも、心に揚があるからでもなく、悲しいからでも、幸せだからでもない。飲酒するのは、彼らがもはや選択する力がないからである。彼らは抑制力を失ってしまったのである。

なぜアルコール依存症は家族病か

家族病と呼ぶことは、アルコール依存症と家族療法の領域での新しい進歩の1つといえる。前に述べたようにその病気で何千万人という人が死んだにもかかわらず、アルコール依存症が病気として認識されたのは、1950年代に入ってからに過ぎない。1960年代になると、アルコール依存症者と親密な関係にある人々がまた病気になる、つまり並行して病気が起こるということが問題にされだした。この病気は後に「共アルコール依存症」あるいは「共依存」として紹介され、アルコール依存症者の配偶者がこの病気の過程に巻き込まれることが観察された。

*「共依存」とは、アルコール依存症者や他の嗜癖行動をとる人に対して、過度の世話焼き行動やのめり込みをして、コントロールしようとする関係や行動を指す。嗜癖行動の一種とされる。結果的には責任の肩代わりや代理行為をして依存症や嗜癖行動を持続させることにつながる。

1970年代および1980年代に入って、専門家たちにますます明確になってきたのは、他の家族の成員もまたアルコール依存症者から深刻に影響を受けるということである。
アルコール依存症者が重症になればなるほど、その家族は並行して崩壊していく。アルコール依存症者が抑制力を失えば失うほど、家族の他の者はますます大きな責任を引き受けることで適応する。ある者はアルコール依存症者がしなくなった事柄を引き受け始める。またある者は友達や家族に弁解し始める。このようにして、アルコールは乱用者個人への化学的作用を越えて広がり、家族の問題になる。家族の混乱はアルコール依存症そのものと同じようにひどいものである。
最初は、家族は何が起こったのか気づかない。アルコール依存症者と同じように家族は、自らの状況を直視したがらない。否認はアルコール依存症の特質であるが、家族の否認も特質になっていく。否認は、家族の生活がコントロールできないという恐ろしい認識をしなくともすむように錯覚させる。家庭はもはや、理解し合い、成長し、愛することができるような安全な場所ではない。暗黙のルールができあがり、それが病気への道、しばしば破壊への道へと家族を導いていく。家族の一人一人は、家族の生活に対処するため、不健康な道へと進み始めるのである。

アルコール依存症の進行によって家庭はどうなるのか?

片親あるいは両親が進行中のアルコール依存症である家庭では、家族の生活は一種独特の傾向を持っている。家族生活は「首尾一貫せず」、「予測不能」で、「勝手気まま」で、「混沌(カオス)」としている。これらの四つの言葉はアルコール依存症の家庭を象徴している。例えば、ある日真実であったものが、次の日には真実でなくなる。ある晩、酔っぱらった父親と子供が会話をするとする。
子供が後になってそのことに触れると、親はその会話を全く思い出せないこともある。アルコール依存症における「ブラックアウト」では、人は一種の薬物による記憶喪失を体験し、何が言われ、行なわれたのかを思い出せない。その子供は何が起こったのかを理解できない。アルコール依存症の親ですら、おそらく自分のプラックアウトの経験を認識できない。それが、生活が首尾一貫せず予測できない一つの理由である。もう一つは、人格がアルコール依存症者との生活で変化することである。例えば、私がアルコール依存症の子供だとすれば、母がしらふの時は、一番好きですばらしい女性であるが、酒に酔ってしまうと全く逆になる。私が家に帰ったら、どちらの母と会うことになるか全く分からない。アルコール依存症の親を持つ子供はこのことから特殊な教えを学ぶ。彼らは、自分の自発性を抑えることを学ぶ。次に、親がしらふであるかどうかを見極めるためにまずいくつかチェックすることを学ぶ。また自分の失望をいかに振り捨てるかを学ぶ。子供は行動と態度を全体の取り合わせとして発達させていく。そしてそのような学習の結果を大人の生活の中に持ち込んでいく。その勝手気ままは、次々と毎日起こる気まぐれな衝動的な変化に由来している。そしてもちろん、子供たちはこれらの変化の基盤をなすものが何か知ることができない。子供たちはその勝手気ままがアルコール乱用からきていることを知らない。例えば、親は普段から子供たちのルールに同意できなくなっている。もし、私がアルコール依存症の親を持つ子供だとして、親は、今週はもう私が思うままに外出してもいい年齢になったと決めたとする。ところが次の週には、明白な理由もないのに外出することが許されない。あるいは、父は私が18歳になるまでデートはできないといったルールを作ってしまうかもしれないのだ。母はこれは厳し過ぎる、私がもっと多くの自由を持つべきだと思っている。そうすると、私は二つの相反するルールを持つことになるのである。
アルコール依存症の家庭では、このように多くのことが、気まぐれであり、予測できず、無定見である。その理由は、あらゆることが機能を壊してしまう薬物に基盤を置いているからである。混沌が当然の帰結となる。この状況の中には、身体的、性的虐待の生ずる可能性があるが、同じように情緒的虐待も含めるべきである。そうすれば、あなたは、アルコール依存症の家庭では、毎日毎日不幸な出来事が起こるような生活なのだ、と理解できるだろう。

正常な家庭とどのように違うのか

この質問はしばしばアルコール依存症の親を持つ成人した子供たちから出される。正常な家庭と呼ばれるようなものはない。不幸なことに、アルコール依存症の親を持つ子供たちは、しばしば、完全な家族がどこかに、ともかくも存在すると信じている。この「完全な家庭」の観念は、彼らが自分のそれと違った家庭生活を測るための物差しである。それを使って、自分自身とそれを情け容赦なく見比べようとする。彼らにはこのような不合理な期待感がひそんでいる。他の誰もが幸せであり、うまく適合しているように見え、自分たちはそれと違って痛めつけられているように見えるのである。
「正常な」家庭とは、単純に言えば、アルコール依存症者がいないか、または、家族が自分たちの体験についてオープンに話せる家庭、ということにしよう。しかしながら、正常か異常かという観点から物事を見ないで、機能的か機能不全に陥っているかということから考えたほうが有益だ。
機能的な家庭は子供の幸せ感覚を増進させる。そういう家庭は、比較的一貫性があり、それなりに予測可能であり、気まぐれが少なく、混乱はほんの時たま起こるだけである。家族の役割の点では、適切な権威のある代表者がいる。だから、子供たちは車の運転や、食料雑貨の買い物、家事の切り回しなど、誰から期待されることもない。子供には親の負うべき責任は与えられない。親は子供ではなく、子供は親でない。
機能的な家庭ではルールはより明快である。ルールは毎日変わったり、時間毎に変わったりしないから、子供たちは通常自分が何を期待されているか分かっている。しかも、親が作るルールも柔軟で、特殊な状況があっても合わせることができる所がある。親は通常、子供たちがルールをどのように見ているかについて、彼らから情報を受けている。ルールは、普通現実的であり、人間らしく、従うのが不可能だというようなものではない。
ルールは家族の成員の独自の感情、信念、違いを考慮して出来上がっている。感情を顔に現した
ら、それは聞き入れられ、受け入れられる。子供たちの言うことは、機能的な家族では敬愛をもって聞き入れられ、扱われる。例えば次のような内容のルールがある。「乱暴であってはいけない。虐待してはいけない。残酷であってはいけない。卑怯であってはいけない。何かうまくいかないことがあれば言いなさい。そうすればあなたを助けられるのだから」と。独立することも、自分だけの品物を持つことも、自らの主体性を持つこともまた許される。それぞれの個人の間の境界は認められ、むしろ励まされ、尊重される。コミュニケーションは閉鎖的にならず、開放的である。コミュニケーションが開放的だと、たまたま思うことがあれば、それを他の人たちに話せる。例えば、もしも私の母が夕食のテープルで椅子から落ちたとすると、私は次のように言える。「へえー、お母さんが椅子から落ちたー……どうしたの?………びっくりした………どうしようか?………」と。しかし閉鎖的でアルコール依存症のシステムだと、ルールが言う。「黙ってなさい。こんなこと信じたらだめ。考えたらだめ」となる。
機能的な家庭では、子供たちは大人を頼る。子供たちは、自分たちが好かれていると信じている。
子供たちは子供であることを許されるし、それは明日もまた同じだと分かっている。機能的な家庭では、子供たちはいかに対処し、いかに責任を取るべきかを教えられる。新しい役割は、親が酔っぱらったある週末、突然彼らに押し付けられるのではなく、長年にわたって養育される間に伝達されるものである。酔っぱらって正体をなくしたり、バーに入り浸りになっている親の仕事を、子供が引き受けるようなことが突然に期待されたりはしないだろう。
機能的な家庭では子供たちは、恐怖の中で生活はしない。アルコール依存症の家庭では、あまりにも多くの子供が、彼らを対象とする虐待のゆえに、恐怖のなかで生活している。最も一般的な恐怖は、彼らが傷害を受け、捨てられるだろうという恐怖であり、愛されていないという恐怖であり、物事がコントロールできないという恐怖である。これは親を感情的にも身体的にも当てにできないことの結果である。機能的な家庭では、子供たちは、自分たち以上に役に立つ人がいるのを知っているし、自分たちが不注意なことをしても見捨てられることはないと分かっている。ところがアルコール依存症の家庭では、繰り返し繰り返し見捨てられたと思っている。例えば、ある大人になったアルコール依存症の親を持つ子供が言った。「私が幼い子供だった頃、両親は私を見捨てた。けれど二人は決して家を出ることはなかった」と。
なお、機能的な家族は人間的であるが、だからといって完全ではない。それは知っておくべき重要な点である。機能的な家庭でも、わめいたり金切り声で叫んだりすることがあるかもしれないが、しかし、それはいつもではない。不安や緊張はあるかもしれないが、日常いつもあることではない。不幸なことがあっても、いつものことではない。そして怒りや苦痛があるかもしれないが、それは慢性的ではない。

親がアルコール依存症になったり、家を出て行ったら子供はどうなる?

アルコール依存症が進行しているときに、男の子でも女の子でも年齢が低ければ低いほど、アルコール依存症の親と共に生活する期間が長ければ長いほど、アルコール依存症の親との生活によるマイナスの影響が大きくなる、という説は真実のようである。私たちも全く同意見であるが、子供がその時何歳であるかによって違いが生じると信じている。もしアルコール依存症の片方の親が家を出たら、結果的に何がしかの違いが生ずる。しかし、子供は文字通り見捨てられたという体験を処理しなければならない。その時、病気でもあるもう片方の共アルコール依存症の親によって育てられることにもなる。アルコール依存症者と共アルコール依存症者の唯一の違いは、片方が飲酒しないことであると言われている。言い替えれば、この片親の方も、子供の安全感と幸福感を損なう点では同様な行動を数多くとっていることになる。

両親ともアルコール依存症なら?

もし両親がアルコール依存症だと、あなたが初めて酔っぱらう時期が普通より若くなる。また治療プログラムに入る前に、多くの行動上の問題を持つようになり、最初の酪町と治療との間隔が大幅に短くなることを研究は示している。あなたも普通より早くアルコール依存症に発展する可能性がある。常識的に言えば、アルコール依存症の両親と一緒の場合は、片方の親がしらふである場合よりもはるかに支える力が少なくなる。いわば、ショツトガンの二本の銃身にたとえられる。どちらの親も、一貫性がなく、意味のあることができず、子供を保護する上で、何の役にも立たない。そのため、両親がアルコール依存症の子供は、片親の場合よりもずっと難しい時期を過ごし、影響を与えるすぺての問題に対して鋭敏で傷つけられやすい。最近の研究は、アルコール依存症の両親を持つ子供たちはアルコールに普通以上の大きな遺伝的感受性を持ち、もしアルコール乱用が起これば、普通より早くアルコール依存症に発展するという見方を支持している。

両親が他の薬物に依存している場合

他の薬物では、種類にもよるが、私たちがここで述べてきたことと同様のことが起こる。アルコールは、多くの文化圏で偶然にも、どこででもナンバーワンに選ばれる薬物である。すなわち、それは合法的であり、非常に受け入れられやすいし、容易に入手できる。アルコール乱用家庭でしつけられている子供たちが抱える問題と懸念は、非合法の薬物に依存している両親によってしつけられている子供たちすべてにもある。加えて、彼らはさらに次の問題を持っている。すなわち、乱用される物質の違法性と、法律を破り情報を隠す、という裏表の使い分けをする必要に迫られることである。その上、違法な薬物を用いる親は、一層芳しくない人々とつきあい、暴力的な状況の中にいる傾向が強いという事実がある。例えば、コカインのような薬物について言うなら、人々は、身体的な脅迫や実際に身体的な暴力を起こすような売人に金銭的負債を負うようになりがちである。
処方箋による薬は、非常に受け入れやすい点ではアルコールとまさに同じである。さらに、知らぬ間に依存的となる薬物がある。それについて、ある医者は、「これを飲んでも大丈夫ですよ、ジェイスンさん。どうぞ、どうぞ、そして必要な時はいつでも差し上げますよ」と言うかもしれない。だが患者もしくは嗜癖者が、もっと多くの処方箋を得ようとして嘘をついたり、彼らの気分が極端に変動する時には、もう受け入れてもらえない。家族は、誰もその薬を用いているのを見たことが
ないから、それがどんなものか分からないことがしばしばある。ヴァリアム(Diazepam)(精神安定剤の一種)や同系統の薬物は、人体にはアルコールより毒性が少ない。たぶん、使用者は、それゆえにアルコールよりはるかに健康的であると表面的に見てしまう。でも、医師からの指示のもとに、ヴァリアムや刺激剤(脳の興奮覚醒作用を持つ薬剤‥訳者注)でふらふらしている母親がいるなら、あなたがアルコール依存症の親を持ったのと同じような、まさに予測できない、一貫性のない、勝手気ままな、そして混沌としている異常な状況にきっとなるだろう。
アルコール依存症の親を持つ成人した子供たちはすぺて同じことを思っているのか?
アルコール依存症の親を持つ子供たちは、それぞれが異なった将来の展望を持ち、自分に都合のよい立場から環境や両親や彼らの状況を見ている。にもかかわらず、私たちは、いつもその子供たちはある種の共通した体験を持ち、共感するという事実に出会う。私たちが学級で、大人になった
アルコール依存症の親を持つ子供の「典型的な子供時代」について話すと、その後でよく私たちに近づいて次のように言う人がいる。「あなたが話したことは全部、私についてのことのように聞こえます」と。ほとんどの人が同じような感じと恐れとを持つ。独りぼっちじやないことを発見することは多くの人にとって救いである。
それにもかかわらず、アルコール依存症の親を持つ子供たちが全員、全く同じ感情的身体的影響を体験しているとは言えない。これに影響する多数の変化要因は、子供たちの誰もが個性的であるという事実以上のものである。重ねて言うが、一つの要因は、親のアルコール依存症が発生した時の子供の年齢である。もう一つは、片親あるいは両親がアルコール依存症であるかどうかである。その他の要因については、以下のようなものがある。すなわちアルコール依存症になったのは父親か母親か、その家族の子供の数、誕生の順序、配偶者が自身の回復のための努力をしているかどうか。家族や友達や先生のような人で、影響力があり、助けになり、役に立ってくれる人が存在するかどうか。そして、身体的、性的な虐待があるのかどうかなどである。さらには、外部要因として、例えば、家族の社会経済的な地位がアルコール依存症者の子供に影響を与えるかもしれない。
同じ家族のなかでも、すべての子供が同じように反応する訳ではない。例えば、ある子供はアルコール依存症を明確に見ているかもしれないが、もう一方の子供はそれが問題とは見なさないかもしれない。実際のところ、その子は、アルコールが家族のなかで問題だと他の兄弟がほのめかすだけできっと腹を立てるだろう。多くのアルコール依存症の親を持つ子供たちが私たちに語ってくれることには、彼らが家庭でアルコール依存症について話をすると、家族の他の者は信じられない様子で反応し、「何がアルコール依存症? 誰がアルコール依存症者だって? お父さんはアルコール依存症者じゃない」と言う。往々にして、彼らは兄弟からの非常に敵意のある反応と、親への中傷に対する大きな怒りに遭遇する。家族のなかで、ある子供は子供時代の恐怖の連続を思い出すかもしれないが、一方で他の兄弟や姉妹は良かった時のことを思い出し、「あなたはなぜそんな醜いことばかり掘り返すの?」と嘆く立場を選ぶかもしれない。それぞれの子供は家族のなかでその状況に適応するためのその子独自の方法を見つけ出している。だが反面、すべての子供が、情緒障害を起こしたり、さらに自分や他人に不信感を募らせたりする。

なぜおどおどしてしまうのか?

私たちは、ある種の家族が持つ雰囲気を繰り返し述べてきた。それはほとんど確実に、子供たちにとって不適切で、緊張や混乱を感じさせる。この種の環境のなかで育てば、必ず混乱、自責、怒り、恥、恐ろしさを感ずるようになる。これらは、異常な状況の中での正常な反応なのである。あなたが変わっているとか、混乱しているとか、おどおどしているとか感じるのは無理ないことだ。 もしあなたがアルコール依存症の親を持つ子供なら、家族病があり、家族に秘密があり、
そして、分かち合いながらもそれに気づかない痛みがあるような家庭で育つことになるだろう。
アルコール依存症の影響は、実際にはあなたの誕生以前から始まった。影響は両親の人格が異常に変わっていくことから始まった。親自身がしばしばアルコール依存症の親を持つ子供たちであり、彼らが親になるときにはもう心に傷を持っていた。もし両親が多量のアルコールを飲む場合、それはまだ生まれていない子供に影響を与える可能性がある。胎児性アルコール症候群(FAS)にかかるチャンスは、母親が妊娠中にひどく飲酒する場合にその子供に高くなる。アルコール依存症に関連している、遺伝学的な、生物化学的な、神経生理学的な機構は、受胎の瞬間に子供に影響を与え始める。これは、私たちが述べてきた環境的な影響に付け加えられるべきものである。遺伝と環境が子供の発達に影響を与えるがゆえに、親のアルコール依存症の影響は、問題があると本人が気づくよりずっと以前の、子供の人生の非常に早い時期に始まる。
アルコール依存症の親を持つ子供たちは、大人の時代に持ち込まれていく生物学的、心理学的脆弱性を身に付けてきている。それは、もし放っておくと、終生の機能障害になってしまう。それは、あたかも子供が傷ついてしかも一度も適切に治療されなかったようなものである。適切に治らなかったケガのように、それは慢性的な健康の問題として、成人時代に持ち込まれていく。
ただ、私たちがこれまで殊のほか興味深く思い、現在楽天的に思っていることは、アルコール依存症の親を持つ子供たちが数々の大きな困難と、時には生命を脅かすほどの状況を切り抜ける方法を学んできたことである。ストレスと外傷に直面しながら、彼らは生き延びる術を学んできた。同じこの強さを、彼らは親のアルコール依存症の否定的な影響から立ち直るために引き出すことができるのである。

 

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