ノックビン(ジスルフィラム錠) アルコール依存症治療薬

アルコール依存症治療薬レグテクトから抗酒剤ノックビン(ジスルフィラム錠)に変更。強制的に酒を飲めない体質にする訳だから、抑止力の差は歴然。

アルコール依存症の親を持つ子供たちの人格形成.2

      2016/12/10

アルコール依存症の親を持つ子供たちの人格形成.2

変化とは? そして変化の段階は回復過程にどう位置づけられるか?
トランスフォーメイションとは「変化する」ことだ。それは、ある一つの新しい行動について、実験で示せるほど簡単な変化のこともあるが、人格や性格に見られる一層複雑な変化を含むような場合もあるだろう。人間の成長は常に変化つまりトランスフォーメイションの過程である。アルコール依存症の親を持つ成人した子供たちが回復への旅に出ると、多くの変化を経験することになる。彼らは子供として生き延びるために発展させてきた性格特徴に目を向けて、大人としての生活環境により良く適合するためには、その特徴をどのように利用したらよいか発見するだろう。昔の行動を見直す新しい方法を習得できるというものだ。
回復の「変化」の段階を進めていくには、その段階をまず何よりも優先させることである。そのことにあなたの時間と注意とエネルギーを注入しなさい。今学んでいることが効果を発揮できるように機会を見つけなさい。思い切ってあなたに起こっていることを話すよう努めなさい。少なくとも一人は信用するように務めなさい。あなたの感情を自覚するように務めなさい。過去の禁止命令を今破るとどうなるかをよく観察しなさい。とりわけ、自分に対し忍耐強くしなさい。忍耐はあらゆるものの中で最も難しいことである。この章は、あなたがこれから取り入れることのできるいろんな段階についてたくさん述べている。変化を通して、あなたが問題の解決の糸口を掴み始めると、もう自分は問題の一部ではなくなる。
そして忘れないで欲しいのは、あなたは変わらなければならない!という訳ではない。だが、なすべきかなさざるべきかを決めるのは実にあなた次第なのだ。あなたは今まで通りに過ごせるが、しかしそれはあなたが真に望んでいることであろうか?

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どうしたら切り抜けられるだろうか?

あなたはすでに事を始めている。この本を読むことがそもそもあなたがすでに踏み出した第一歩なのだ。この一歩はそれ自体、私たちがあなたを勇気づけ、よく分かってもらい、快く感じてもらおうと務めてきた一つの成果なのだ。あなたが認めさえすればそれは現実のものとなる。
「知恵は、それに正しい名前をつけて呼ぶことから始まる」という古い諺がある。物事を正しい名前で呼ぶことは、変化を引き起こす助けとなる。アルコール依存症の親を持つ成人した子供たちが「核心の問題」を知りその実体が明らかになると、それらの問題を変化させるのにどうしても必要な流れに合わせて、彼らがどんどんと行動していくのを見る。核心の問題は新しい言葉を生み、それは現在の行動を説明し理解する新しい方法を生む。変化のために必要な道具である「認識の技術」を身に付けて、アダルトチャイルドは、彼ら自身の永遠に戻らない「昨日の日日」に、過去の意味づけによって形を整え作り上げた「今日という日日」というレッテルを貼ることができる。この個人の歴史的な見通しによって武装すると、初めていろいろな意味が分かり、現在と過去の間の様々な関連性が明らかになる。その時に初めて選択ができるようになり、自由の喜びを発見する。

長い間、核心の問題は暗い傘のようなもので、その傘のもとで問題行動が繰り返し起こっていた。今や、それ自体、意味を持ち、楽しみのある生活へと前進するため、まさにこの問題を活用するチャンスなのだ。あなたは遺伝学的、生理学的、心理学的な弱さを考え、自分の姿勢を正しく保つことに注意することが大切だ。それによって、「予測不能、首尾一貫せず、勝っ手気まま、混沌」の状態の中でなおかつ「生き延ぴてきた人間である」という事実から利益を引き出せる立場に自分を置くのだ。誰もができることではない。レモンがあっても誰もがレモネードを作れるとは限らない。だから、くつろいで座り、自分自身に対してあるいは誰か他の人にも、どんなに遠くまであなたがたどり着いたのかを明白に分からせなさい。あなたは期待に胸をふくらませて生活を楽しみ始められるのだ。それは生き延びるためだけの生活ではない。あなたは今、回復の途上にいるのだ。

「コントロール」と「全てか無かの機能」は、そんなに重要か?

アルコール依存症の親を持つ成人した子供たちが出会う様々な個人問題を眺めてみると、彼らは自分の考え、感情、行動によって作る織物に随所に織り込まれている灰色の色調を見分けるのが下手である。それに加えて、コントロールしたいという欲求を持っている。コントロールとすべてか無かの機能は、アダルトチャイルドがどのように生活しているのかを理解する上でとても大切である。この二つの機能は、アダルトチャイルドの典型的な特徴と言えるもので、行動を起こすとそれを繰り返し、ついには自滅する行動パターンの心臓部である。この二つの問題は、いろいろな場面に巧妙な方法でその姿を現す。しばしば完全主義の姿をとったり、過剰に用心深くなったり、行動の動機付けを頑固に押し通したりして偽装されやすい。また不安、抑うつ、自責感情の形で仮装する。この二つの行動が最も力を発揮している時は回復は進みにくい。
私たちがコントロールという言葉を使う時は、すべての事やすべての人を引き受けようとする強迫的な欲求を指している。それは物事を思い通りにしようとする自己中心的な欲望よりも、はるかに強いものである。それは、考えや感情や行動を表現したり気づいたりした時、手綱をきつくしめ続けようとする強迫行動なのである。それは、自分あるいは他人に行動を命令したり、導いたり、教えたり、監督したり、規制したり、法律に従わせようとするアダルトチャイルドの切迫した責任感のなかに現れる。コントロールが必要になるのは、驚いたり、非難されたり、次の予測が立たなくなったり、強い感情が起こったりして不安に駆られる時である。コントロールがほとんどないか全くない子供時代を過ごしてきたアダルトチャイルドは「(コントロールのない状態が)二度とあってはならない」と密かに誓ったかのようだ。彼らが大人になると、事態をコントロールする必要が最も著しくなる。
コントロールの必要性は子供時代には実に重要であったのだ。子供たちには、身の回りの出来事に自分も何か影響を及ぼせると信じる必要がある。ところが、自分が何をしても何一つ変わることがないと思うのはあまりにも恐ろしいことだ。子供たちは、親の気に入るように生活したり振る舞ったりさえすれば、その時は親が飲酒や喧嘩をやめ、何もかもうまくいくと確信する必要があった。そこで、彼らは世界を、というより自分の世界を自分の安全と防御の必要に合わせて作り替えようとして、非常に小さいときから「……しさえすれば」ゲームを演じ始めるのである。私たちがブラウンとサーマックの仕事について述べた時、彼らが位置づけた、五つの問題、コントロール、信頼、個人のニーズ、感情、過剰な責任感について記述した。コントロールは広く浸透しているから、他の四つの問題にも影響を与えると彼らは考えた。例えば、人を信頼すればコントロールをゆるめなければならないから、これは危険だと感じる。なぜなら他人にあなたをコントロールさせてしまうからだ。私たちはアルコール依存症の親を持つ成人した子供たちが次のように言うのを聞いてきた。「もし私があなたを信用すれば、自分の防衛体勢を捨てなければならない。そうなるとあなたは私を傷つける」と。また自分の個人のニーズを認めれば、力やコントロールの喪失を告白しているように見られる。多くのアダルトチャイルドは言う。「もし、私が必要としているものを他の人に知られたら、その人たちが私に与えてくれるものに頼れなくなる。ニーズを持たないほうが安全だ。そうすれば私を傷つけるようなことはないだろう」。子供の頃は生き延びるためには感情のコントロールが必要だった。感情は火山のようなもので、子供であっても大人であっても爆発する可能性がある。コントロールが必要なのは、もし感情が高ぶって度を越したり抑制できなかったりすれば、もう一つの爆発(感情と一体化した行動)が起こるだろうという恐怖に基づいている。それは恐ろしいことだ。その上、すべての出来事に責任を持ちコントロールしようとする感情は、責任感の過度の発展につながっていく。例えば、誰かが悲しんでいるとすると、アダルトチャイルドは責任があるように感じてその人をコントロールし変えようとする。その一方で、回復し始めたアダルトチャイルドは、コントロールを手放せる機会を探っている。
すべてか無かの機能はコントロールよりももっともっと罠に陥りやすい。私たちのクライアントの1人が言っているように、中間的な領域、換言すれば「灰色の尺度」(白と黒の中間の灰色領域のスケール)の欠落が広く浸透し、知らぬ間に進行する。例えば、この本を読んだ後でさえ、アルコール依存症の親を持つ子供たちは次のように信ずるだろう。すなわち彼らは今も過ちを続け、私たちが議論してきた核心の問題を解決していないので、またしても失敗したと。もしこの時点までに十分な回復をしていないならば、何もできなかったと彼らは思う。何もかもがすべて正しくない!(決してそうではなくとも)すべて間違っている! このような考えがすべてか無かの機能の罠に陥っていることなのだ。
すべてか無かの機能がコントロールの問題に強力に影響を与える。コントロールは、あるか(私はコントロールしている)、ないか(私はコントロールしていない)のどちらかの形で現れる。私はすべての上に立つか無関係に過ごすか、のどちらかである。繰り返し繰り返し、アルコール依存症の親を持つ成人した子供たちはコントロールを失わないように自らに注意を与える。コントロールは、まるでトランプのカードで作ったもろい家のように用心して守られる。もし一枚のカードが動けば全体が崩壊するかもしれないのだ。これは硬直性につながる。このようにしてすべてか無かの機能は、潜在的な脅威を拡大してコントロールヘと発展していく。これは激情が起こった時と同じである。激情は、好ましくてもそうでなくても、コントロールの喪失と隣あわせなのである。もしある人が怒ると、暴力が続いて起こる。それは破滅的な考え方である。彼らにとって、この考え方が起これば何か恐ろしいことがきっと続いて起こることを意味するのだ! 彼らの子供時代には実際にこのような考え方をたぶん経験したことだろう。
すべてか無かの反応はまた信頼の問題にも影響を与える。例えば、あるアダルトチャイルドは全面的に人を信用するので、デートの最初の日なのに、座につくと自分の生活のすべてを話そうとする。最初から相手の人の興味や心配りや優しさの程度を考えもしないのだ。こうなるとよくあることだが、相手の人はあまりの率直さに戸惑い、ひどく閉口して、丁重に、時にはぶしつけにお辞儀をしてその場を去ってしまうことになる。その時、そのアダルトチャイルドは多少当惑し慌てて、何が起こったのかを理解できずにあたりを見回すだろう。その結果、次の誰か他の人とのデートの時には、彼はもう相手を全然信頼しなくなり、何に対しても心から分かち合おうとしなくなる。この時、相手の人は、彼の心底の怒りや不信に反応してだんだん身を引くようになるかもしれない。彼は再び拒絶され傷つく。中間的なあり方を見つけられないと、その人は端からまた端へとはじき飛ばされ、その結果、全面的に信頼を置くか、反対に全く置かないかになってしまう。最初に全幅の信頼を置くことがほとんどの場合適切ではないし、同様に最初に不信感ばかりを持つのも適切ではないので、アダルトチャイルドは人間関係が広がらないような行動パターンをとることになる。実際のところ、アダルトチャイルドには、人間関係は一度に一歩しか進まないものという考えそのものに、縁がない人が多いのである。「一度に一歩」のような曖昧さは、対人関係ですべてか無かの考えに慣らされた人には極めて苦痛なのである。
すべてか無かの機能は個人的なニーズの問題にも影響する。アダルトチャイルドにとって、「ほんの少々」とか「ほんの少しの間」は必要でない。その代わりに、正反対の考えを行ったり来たりとんぼ返りする。例えば、非現実的に「私は何物も必要としないし、誰一人必要としない」と断固として言ったかと思うと、反対に「私が必要としていることはとても大きくて誰にも分かってもらえない」とか、「私は、彼(彼女)なしには生きられないほどこの人が必要だ」と言ったりする。個人の要求が極端過ぎるとどれも実現しないままになる。
責任の問題では、アルコール依存症の親を持つ成人した子供たちは、全面的に責任があると感じるか、全く責任がないと感じるかの間を揺れ動く。もしも彼らがあることに全面的に責任があると思ったら罪の意識で押しつぶされる。なぜなら、いつものようにそこに何かの間違いがあるはずだからだ! 誰かがバスを乗り違えたとか、彼らが何か家族の行事に間に合わなかったりすると、それを彼らはひどく恐ろしく感じてしまう。この罪の意識はすべてか無かであり、「私がすることはすべて失敗する」と一般化される。その結果は慢性的に自尊心を低く抑える。考えに柔軟性がないため、すべてが正しいか間違いかのどちらかになり、後者の方が優勢なのである。だから彼らは物事を成功させるために全面的な責任を負うことはまずしないのである。

全てか無かの機能をどう解決したらよいのか?

実際にそれはあなたが思っているよりもずっと簡単だ。まず何よりも重要なことはこの傾向に気づくことだ。それから、あなたの敏感過ぎる警戒心をうまく利用して、あなたが極端に走って考えたり、感じとったり、行動したりすることに用心しなさい。あなたが行く手をさえぎられたり罠にはめられたように感じる時は、すべてか無かの姿勢にはまり込んでいないかどうかを自問自答しなさい。自分自身に話しかけなさい。とにかくやってみること。そうすれば建設的な独り言になるはずだ。そして自分の声に聞き入りなさい。あなたのすべてか無かの機能に気づくこと、それだけがその反射作用を壊すチャンスとなる。次に、ゆっくり構え、手探りし、時間をかけ、どのような選択の自由があるのか、先へ進むためにはどのような違った方法が役立つのかを見きわめなさい。あなたは何か決断をする前には時間をとりたいであろう。他の人があなたからの回答を待っているなら、その時には、「私は正確に分からないから後で返答する」と話しなさい。言葉にして「私は分からない」と言い「私には時間が必要だ」と言うと、その時大きな自由が生まれる。それから、あなたが信頼し尊敬する人に話しかけるようにしなさい。物事の解決に助力を求めなさい。何でも自分一人で処理する必要はない。助けを求めることは回復の印であって、弱点を示すものではない。すべてか無かの機能と闘うもう一つの方法は、いわゆる「問題の細分化」と呼ぶ行動を利用してみることだ。問題の細分化とは、人を信用したり特別な仕事を達成するような問題や目的を持ったら、それをその構成部分に分割し、全体よりも小さな部分に細分して考えてみることを指す。例えば、あなたが自分の目標を設定する時は、引き受けるのは自分なのだから、その達成に向けて多様で独自のステップを設定するように心がけなさい。
あなたが法律家になりたいと仮定しよう。あなたは十七歳で、高校の二年生であるとすると、この目標を達成するには多少の時間が必要だ。どのように行動すればよいかの手引きとなり、どこまで達成できたかを知ることができるようにするため、あなたの目標までの道を一連のステップに分けてみなさい。最初のステップは、あなたが上級学年の課程へ進めるよう準備すること。二番目のステップは大学の入学試験の準備をすること。三番目のステップは大学の選択を始めること。四番目のステップは、大学へ入学すること。五番目のステップは大学の各学年を継続し完了すること。
六番目のステップは法律学校に入ること。このような具合にするのだ。ここに述べたステップでもさらに細分することができる。高校の最上級学年の計画では、例えば、あなたの学校のカウンセラーに約束を取り付け、どのクラスが大学進学に必要かを知り、それから、そのクラスに登録をする細分化もある。
一つ一つステップを進むにつれて、アダルトチャイルドは自分に向かって「おめでとう、あなたはさらにもう一つのステップを立派にやり遂げたね」と言ってほめるようなやり方を身に付けることは絶対必要だ。仕事のそれぞれの部分の達成を正しく評価したり喜びを感じたりすることができなければ、長い道のりの目標の達成に失敗感と苦悩がいつもつきまとうだろう。一つ一つのステップをそれぞれに価値あるものとして見れば、達成感が感じられ、新しいエネルギーが次のステップヘと準備される。問題の細分化はすべてか無かの機能の悪い習慣を打破する助けとなる。

コントロールの問題をどう解決したらよいのか?

これはさらに難しい。男性女性にかかわらず、コントロールを手放しても安全と感じ、ある種の支援を感じとるまで、コントロールを放棄しようとはしないだろう。これが、すべてか無かの問題を最初に理解するほうが大切だという理由である。コントロールはすべてか無かの決めっけで見るよりもむしろ現実的に見るほうが、負担が軽くて済む。アダルトチャイルドがすべてか無かの考え方で、コントロールをしているかいないか、どちらかとして見るかぎり、コントロールを放棄したり、切り抜けたり、分かち合ったりすればどういう結果になるかを見極める実験をするのは難しい。灰色のどっちつかずの状態でコントロールを見ることができれば危険をより少なくできる。コントロールを手放せるようになるのに先だって、基礎的な作業をする必要がある。すなわちすべてか無かの機能の修正に加えて、自尊心を築く作業である。あなたがコントロールを手放し、実際にコントロールをしていないことを確認すると、最初はそれに伴って、傷つきやすくなり、感情が不安定に揺れ動くが、自信をもって克服することだ。
どの程度までコントロールできるか、コントロールすべきかについて、私たちは多くの現実に合わないメッセージを受けてきた。例えば大衆化した心理学のおかげでコントロールの神話が不滅のものになっている。それによると、私たちは将来のプランは立てられるが、それをコントロールできない。コントロールできるものがたくさんある反面、できないもののほうがもっと多いと考える。私たちは、時には自分の健康やどこに住むか、何を食べるか、何について考えるか、あるいはどこで仕事をするかなどをコントロールできるが、天候や交通事情、経済、友達が私たちに話す内容、このページの次に出てくる言葉などをコントロールできない。世の中は私たちに相談もなしに動き、世の中の人々は私たちの「許可」なしに勝手に物事を決める、と考えるのはせいぜい手始めの問題なのだ。だから、どの領域に私たちが強い影響を与えられるかを、もっと明確に理解する必要がある。
自助に関する本のなかには、あなたに全生活をコントロールし、自分自身の世界を作れと強調しているものもある。この忠告にはメリットもあるが、反面あまりに文字通りにとりやすく、柔軟にそれを適用できなくなるおそれがある。物事は、私たちの人生では、全く意外な時に、こちらから招かなくても起こってくる。私たちは自分の身に起こることすべてをコントロールできるとは限らないと思っていながら、その及ぼす影響のほうはコントロールできると信じている。実はコントロールできるのは、そのような出来事を見通す方法や、いかにそれに反応し処理するかという問題である。例えば、あなたにはアルコール依存症の親がいるとしよう。あなたはその原因ではなかったし、それをコントロールできなかった。しかもあなたはそれを治せない。しかしあなたはそれに対処できる。そのように、あなたは片親あるいは両親がアルコール依存症であるかどうかについては現実にコントロールできないが、あなたがいかに親に反応するかは実際にコントロールできる。
あなたが慣れ親しんでいる一つの場面として、親の家庭を訪問しているとしよう。もし両親が飲み始めたら、あなたは両親の行動をコントロールできない。あなたがコントロールできるのはいかに反応するかである。やめさせようとするよりもむしろあなたは酒瓶が現れるのを見てその場を去るほうを選び、「さあ、酒が始まった。私はいくよ」と言ったほうがよい。再び言うが、コントロールの問題はすべてか無かではない。それは、あなたが自分自身や他の人、環境をすべてコントロールして、その結果、これから起こることを何でも自分で取り決められるというような問題ではない。また、どんな事態が起ころうとも、それに消極的ながら同調する自分に甘んじる問題でもない。むしろそれは、あなたがコントロールできるものは少なく、できないほうが多いことを認めることである。A.A.やアラノンでしばしば引用される「祈り」はこのことをよく要約している。「神様、どうか私にお与えください。自分に、変えられないものを受け入れる落ち着きを! 変えられるものは変えていく勇気を! そして二つのものを見分ける賢さを!」
(A.A.より)あなたは、どの状況を処理したいのか、次にはどの状況を処理したくないのか、その選択の権利をどう行使するかも学べると思う。そのことに注目しよう。あなたは自分のエネルギーを使いたい場所を実際にぜひ選ぶべきだ。もし親の飲酒に反応してエネルギーを使い切ってしまわないような選択をすれば、それは歓迎すべき選択だ。親の家に全く行かないとか、ちょっとしかいないという選択をしてもよいのである。もしもあなたが酔っぱらいと縁を切るという選択をするなら、あなたはバーの外にいてもよいし、飲酒を予定した場所でのパーティの招待を断ることもできる。変えられる状況と変えられないものとの違いを区別できるように知恵を磨くことは、変えられないことの処理に当たって、自力で選択権を行使できるようになるのと同じくらい、コントロールの問題を解決する上では重要である。.

私は心から人を信用できない。他の人はとにかく私を傷つけようとしているように思う。これはどうしてか? 何か間遠ったところがあるのだろうか?

この質問では、暗黙に次のような見方を示している。たとえアルコール依存症の親を持つ成人した子供たちが、時には見境なく人に全幅の信頼をしてしまうようなことがあっても、実際には心の中に他人に近づいて信頼すれば。必ず〃傷つくという潜在的な思いがあるのである。すべての人間関係のなかでは、ともすると相手の人は意識的であれ無意識的であれ、意図的であろうとなかろうと、あなたを傷つけてしまうことはありうる。たとえその人が純粋にあなたを愛していてもである。
アダルトチャイルドは人間関係のこの局面への対応が困難なことが多い。アルコール依存症の親を持つ成人した子供たちが傷つけられると、意図的にやられたと感じてし
まう傾向がある。彼らは他の人がわざと傷つけようとしているのではなく、その人の人間性から生じた行為に過ぎないとは信じられない。傷つけられる不安に駆られて、他の人の行動をそうではないと解釈できる状況でも、まるで傷つけられると思ってしまう。他の人々が矛先を自分に向けてきたと解釈する。彼らがすべてか無かの見方をしたり、適切な子供時代の経験がないことから、「正常な」家庭生活では、何もかもが完璧で、すべてのことがいつもうまく機能し、誰も傷つけられない、と思ってしまう。現実の生活はそんなものではない! 傷を受けずに人生を通り抜けることはできるはずがない。同じ理由で、あなたが大人になって経験している傷は、最愛の両親があなたを最高に傷つけた過去の子供時代に経験した強烈な痛みと同じだとは考える必要はないのである。
好きな人があなたを打ちのめすようなそんな場面はしょっちゅうある。なぜなら、その相手の彼あるいは彼女はそのような場面でもっと優しくしたほうがいいということが分からないし、扱い方も分かっていないからだ。同様に、あなた自身にも同じことが言えるということをぜひ知っておきなさい。あなたにもうまく扱えない場面はしょっちゅうあるだろう。それはあなたが悪い人間だとか他の人を愛していないということではない。それは、あなたがまさに人間だということを物語っている。

人をどう信頼すればいいか

変化は「認知」と「受け入れ」から始まる。アルコール依存症者の子供として、あなたは自分も他人もどちらも信用するなと教え込まれるような空気に曝されてきた。あなたの不信はどこから来たのかを認識しよう。不信は、大切な自己防衛機能として役立っていたし今でも役に立つということを知っておきなさい。また、人を信頼できないと思ったからといってそれはあなたが悪い訳でもないし、病気でも気が変という訳でもないことを理解しておきなさい。あなたが人をなかなか信頼できないのは結局あなたがアダルトチャイルドだからである。このことがはっきり分かっても問題がなくなる訳ではないが、それはゆっくり一歩一歩とあなたの助けになる枠組みを与えてくれる。すなわち、その枠組みは信頼すべき時に不信感を抱き、不信感を抱くべき時に信頼するという逆の結果になるのを最小限に止めてくれる。
信頼感を仲ばすための学習は驚くほど単純である。最初にまず小さな冒険をしてみなさい。思い切ってあなたにとって重要な事柄を言ってみる。少しばかり物議をかもしてみる。その後あなたは一息入れる。そして口を閉じ、目を開き、耳をすましなさい。他の人に注意を払い、その人の言うことを聞き、自分の内なる心の反応を観察する。その時その人が何をしているか、自分がどのように感じるかに注目するとよい。一つ例をあげよう。あなたが今、この本を読んでいる事実とかアダルトチャイルドであるとかいう事実を誰かと分かち合おうと決意したと仮定しなさい。他の人にこのことを知らせ、それから立ち止まり、一息入れ、そして相手の反応を待つ。その人がどうするか注意して見、その人の言うことを聞き入り、あなたがどんなふうに感じるか注意する。もしその人が、「あなたは一生のうちでそんなことを発見するなんて、なんてすばらしいんだろう」とか、「これはあなたにとって大切な領域だと私は思う」とか言ってくれて、それで気分良く感じている自分に気づいたら、あなたは、この人はある程度信頼に値するという結論を引き出すことができる。それから、もしあなたが望むならもう少し段階を前に進めて言いなさい。「そうですとも。今この本を読んでいます。読む理由の一つは、親のアルコール依存症の影響を私がきっと受けていると思うからです」と。立ち止まって休み、注意を払って聞き入りなさい。他の人がどう言っているか? 彼や彼女はどのように反応しているか? あなたは後でどのように反応したか? もし他の人がその時、「いや、なんて馬鹿な。なぜ自分の生活をもっとうまくやらないのかね。自分の問題なのに家族の愚痴をこぼすなよ」と言うなら、あなたは内心気が沈むから注意しなさい。もしもあなたがその時、まるで自分が間違っているとか愚鈍であるとか責任から免れようとしているかのように感じ始めたならば、あなたはそこで直ちにやめたほうが良いし、これ以上は個人的な情報や感情でこの特定の人を信頼しないほうがよい。
いかに問題の細分化をするかを前に示したが、それはあなたの信頼を築く上で大いに助けになる。
一歩一歩進みなさい。少し人を信頼できるようになったらさらにもう少しというふうにして、その都度何が起こるかをチェックしなさい。この方法をとると、傷つくこともなく気持よくあなたは他の人とどれだけどの程度まで信頼し安心感を得たか評価できる。他の人々を信頼するというこの一歩一歩の前進の方法を用いて、問題の細分化をしながら、あなたは自分をも信頼する必要がある。あなたが他の人から反応を得てそれを評価しようとする場合は、心の中にある自分の感情も尊重しなさい。もし、誰かに好感を抱いたり反対に不快感を抱いたりし始めたら、重要な情報としてそれを尊重しなさい。自分の感情を「正しい」とか「間違っている」とかだけでなく、もっと多くの情報源とみなしなさい。つまり自分の感情を、一つの場面の意味付けをする手段、何があなたに役立ち何が役立たないかを知る手段と見なしなさい。だがこれらの感情だけが自分の唯一の案内役で、その感情だけが自分を常に正しい方向に導くというような、すべてか無かの思考に陥らないよう自己防衛することだ。その代わり、あなたの気持は、他の人と一緒に利用できる唯一の極めて重要な情報源であると考えるとよい。

私は親密になることが怖い

まず最初に「親密さ」という言葉を定義しておこう。そうすればたぶん非常に役立つと思う。親密さとは、相手の人との関係で、自分は誰でどんな人間かというそんなありのままの自分になれる能力である。本来の自分自身になれればなれるほど、あなたはますます親密さを増す。あなたがある人と親密で、その人が「ごきげんいかがですか?」と問いかける時には、立ち止まって考え、おざなりに「元気です」と言うのではなく、自分がどのように元気なのか具体的に答える。ある場合は、自由な気持で、「実は正直なところ今それに触れたくないんだ」と答えれば良い。その人が純粋にあなたのために喜んでくれるのを知った時には、なぜ気分が良いのかを答えるとよい。
自分をさらけ出せるならこれは親密さの証拠である。関係が親密であればあるほどますます心の奥底の自分まで自らさらけだそうとする。これが、多くの人々がいわゆる「親密恐怖症」になる理由である。言い換えれば、人には親密になるにつれて逃げだそうとする傾向がある。なぜなら、親密さとは感情、価値、思考そしてあなた自身を人と分かち合うことだからである。アルコール依存症の親を持つ成人した子供たちにとってそれは危険を招きかねない。あなたが誰かと親密になると、いろんな感情が発生しコントロールが問題となる。親密さが非常に恐ろしいものになりかねない。子供の頃あまりにも親密過ぎるとかえって安全でなかった。親密になれば、あざ笑われるし、馬鹿にされるし、見捨てられかねなかったであろう。もしあまりにも行き過ぎた面倒をみてもらったらかえってあなたは傷ついただろう。そんな具合に、子供の頃は親密さは危険であった。しかし、もはやそれを当てはめる必要はない。子供の頃のあなたの資源と経験は、大人になって所有している資源や経験や状況とは全く違う。このことは何度言っても言い過ぎではない。この時点で、あなたが今持っているが子供の頃持っていなかったものの一つは、本当の選択ができることである。もしある場面や人間関係の中で起こっていることが気に入らなければ、あなたはそこを立ち去ることができる。子供の頃あなたはその選択ができなかった。大人としてあなたは選
択できる。そのことを忘れないで。それは大きな違いだ。。今や〃あなたは自分と他人との間の親密さをもっと深めてよいかどうか選ぶことができる。
もっと親密さを増してもよいとするなら、あなたの「すべてか無かの傾向」と「コントロールの必要性」を引き続き気づいていく必要がある。親密さは一度では深まらない。それはすべてか無かの現象ではない。親密さは一歩ずつの歩みのなかで現れる。二人かそれ以上の人が、コントロールは放棄しなくてもそれを分かち合うことを学んだら、そこの過程でお互いの相互作用が自然に生まれてくる。お互いにコントロールを諦めたり無理に固執したりしないで、それを話し合い妥協していく方法を会得する。ある場合には、Aという人がコントロールされているほうが人間関係に都合がいいかもしれない。他の場合には、Bという人がコントロールされているほうがましかもしれない。さらに別の場合には、両方がコントロールされていないほうがましかもしれないのである。
親密さは信頼と密接に関連している。少し信頼をおいたら次に何が起こるかを見極めるというあなたのやり方と同じ方法でやれば、親密な気持を分かち合えるし、何が起こるかを見ることもできる。もし今の状態が気に入り気分良く感じるのであれば、あなたはさらにもう少し分かち合えばよい。疑いのない結果が続くなら、さらに続けて分かち合いなさい。従って基本的な戦略は、「分かち合い、チェックし、分かち合う」(share‐check‐share)ことになる。この前後関係は適切で、この流れの中でなら、人を理解するすぐれた技能をすべて利用できる。注意を払い、聞き入り、観察しなさい。あなたがこの人をどのように感じるかを見極めなさい。注意深くしても、し過ぎることはない。あなたの神経系統の声に聞き入りなさい。その力を再生利用しなさい。あなたの経験を認識し、何があなたに役立ち役立たないかを判断する助けとなる、あなたの内なる反応を利用しなさい。そうしていくうちに、全体の流れが自動化して、いちいち考える必要もなくなるだろう。
この戦略を用いれば、あなたは生活の中の大きな危機を減らすことができる。なぜなら、あまりにも多くのことをあまりにも性急に分かち合い、挙げ句の果てに拒絶されたりする傾向が前より少なくなるからだ。一度に一歩だけ歩むことによって、またすべてか無かの現象を避けることによって、あなたが今まで分かち合いたくない人であってもすべてを分かち合ってきたような状況が避けられる。親密になると傷つくことを避けることはできないが、一方で傷つきやすい傾向を大幅に減らすことはできる。と言うのは、あなたのやり方は一度にほんの少し分かち合うだけだからである。
同じ理由で拒絶される恐れは小さくなる。と言うのは、あなたのすべてが拒絶されるとは限らないからだ。それは一度か二度分かち合ったほんの少しばかりに過ぎない。もしあなたが拒絶されてもそれはほんの小さな部分に過ぎない。
人によっては、親密さへの恐れは、拒絶する場合と同様に受け入れの場合にも増加する。もしあなたの恐れが、親密さが増すにつれて増加するなら、十分に速度を落として進みなさい。そうすれば自分自身の恐れでつまずかないだろう。自分で努力する機会を作りなさい。そしてあなたが抱えている、まさにその大きな困難を誰か他の人と勇気を出して分かち合いなさい。「分かち合い、チェックし、分かち合う」という戦略を忘れないで実行し、相手の人の反応に注意を払い、一息いれなさい。それからあなたがどの程度まで前より多く分かち合ったほうがよいか、もう一回決定を下しなさい。その際にあなたはその人に次のように言ったほうがいいだろう。「私は本当のところ恐いのです。あなたがとても好きだけれど、どういう訳かあなたに会うのが恐いのです」と。それから話をやめて注意を払い、その人がどうするかよく見なさい。あなたが後でどのように感じるかをよく考えなさい。これをすべてやれば次の決定をするのに必要な情報やデータ、入力量が前よりも多くなるだろう。親密になるにつれて生じてくる感情はきっと恐いだろう。あなたはそのような感情を体験し、それとつきあいながら自分のペースで進んでもいいはずだ。

親密さはしばしば性的活動と混同される。これも心に留めておいたほうがよい。アルコール依存症の親を持つ子供たちのなかには、セックスが人と分かち合うすぺてであると信じたり、セックスが人間の欲望のすべてであるかのように信じている人もいる。性的関係で肉体関係までいくと親密さが一層進展すると思う人もいる。あるいは唯一の親密さの達成方法は、自分の体を性的に与えることだと誤って信じている人もいる。実際には、親密さのないセックスもあるし、セックスのない親密さもある。感情が混乱しがちになっているアルコール依存症の親を持つ成人した子供たちにとって、この領域では多くの混乱が考えられるのである。

感情を素直に表したり、相手の反応を受け止めることはまだ私には恐ろしい。どうすればよいのか?

あなたが読んできたこの本をすべて理解した後でも、感情(気持)を素直に表したり、そのことによって起こる相手の反応を受け止めることはまだ恐ろしいかもしれないがそれは当然である。もっと読み深めれば、あなたはきっとこれがなぜなのか多少とも理解できるだろう。同時に感情を素直に表し、相手の気持も素直に受け止めることは、安全で扱いやすくしかも気持よく始める新しい方法でやるべきだ、ということを以前にも増して分かるようになろう。私たちは強調しておきたい。喜び、興奮、恐れ、罪の意識のいずれの感情であっても、新しく出現する感情は、いかに正常であり適切であるかと。もしもあなたが新しい感情を得ていないならば、それはあなたが何一つ努力しやり遂げていない現れである。いかなる変化にも動きを伴わないものはない。あなたの中に現れる感情は、あなたが傷つきやすいが成長している人間の一人であることを確認しているのである。
その感情は非常に自然で健康的な反応である。もしその感情を阻止しようとすれば実に大きなエネルギーが必要であろう。
アルコール依存症者の家庭での子供たちは、自分の感情に気づかないように、無意識的だが慎重に自己鍛錬をしている。彼らは感情を否定することによって生き延ぴてきた。それは子供時代を通してずっとあったことだ。しかしながら、年月をかけて蓄えられた感情がどこかに行ってしまったわけではない。子供たちがまず感情を表現しないこと、そして間もなく感情を体験すらしないことを学ぶにつれて、彼らは自らの感情の周囲に壁を築く。子供として感情を表現したり体験することは現実にはきっと安全ではなかったのだ。今や大人として、あなたは子供の時より多くの選択肢やいろんな資源や選択方法を持っている。そのことを憶えておきなさい。忘れやすいことだから。今日あなたを圧倒している感情でも、それを無視しようと途方もなく大量のエネルギーを費やさなければ、きっとあなたから消え去るだろう。感情が変化しないのは地下に抑圧され潜行する時だけである。その感情を認識し、その感情に気づく時にあなたは初めて動きだしそれを乗り越えられる。感情を表現するというこの行為こそ「変化」のプロセスを開始させる。
しかしながら、あなたの感情表現については警戒の言葉も進呈しなければならない。感情が芽生えたからといって、相手構わず話をしなさいと言っている訳ではない。感情を分かち合う場合、いつ、誰と分かち合うかを選別しなさい。あなたが自ら選別して感情を分かち合えば、支援してくれる聞き手を得るチャンスが増加するだろう。
あなたが知っておいたほうがよい重要なことがもう一つある。それは、今すぐにも自分の感情に対処する必要はないということである。感情に従って行動する必要はない。このことは、多くのアダルトチャイルドにとっては、これまで感情と行動とを混乱させるような学習をしてきているので驚くかもしれない。まず何よりも自分の感情に気づくことが先決だ。自分の気持を自由にして、体験そのものを変えるのではなく、まず自分の神経系を通して伝わる感情に気づくことだ。自分の感情への気づきのあと、しかるぺき人を慎重に選び、その感情を分かち合いなさい。感情は信頼や親密さに対した時と同じ方法で処理できる。それをすべてか無かの方法で処理する必要はない。あなたの感情をゆっくり表現し始めることはとても意味がある。そしてどんな反応が起こるか注目し、その人のすることを見なさい。そして自分がどのように感じるのかを見ながら、今までのものを手掛かりに、引き続いてもっと別の感情を表現したいのか、異なった相手を探したいのか、方向を定めなさい。ここでもう一度、かの戦略「分かち合い、チェックし、分かち合う」をとるよう勧めたい。いつも自分にゆとりを与えなさい。変化が長続きするためには、あなたが経験するプロセスは注意深くゆっくり進行する必要がある。
感情を分かち合っている時、あなたは泣いたり声を出したりするかもしれない。それが人間というものだ。そうしてもよいのだと自分に言ってやりなさい。同時に、何事にもそれに適した時と場所があることを忘れないように。あなたが自分の感情を他の人と分かち合う時は、適切な時を選びなさい。男であれ女であれその人が、あなたのこれから言うことを聞く準備ができていて役立ってもらえるのかどうかチェックしなさい。時には、たとえ細分化して点検する方法によって信頼できる人間関係を作りあげていても、その相手の人が、特別の設定時間にあなたの話を聞けないほど喋りまくるようなことが起こるかもしれない。こういう傾向があったら自分から断りなさい。あなたの配偶者が一日中働いて玄関から入ってきたとする。その時は、あなたがこれまで経験した挫折や絶望について話し合う時間としては最悪だと思う。配偶者が腰をおろし、くつろぐまで待つほうがよいだろう。こう言うのも、配偶者を守るためではなくあなたを守るためである。そうすれば最良の機会を設定することができ、あなたにふさわしい方法であなたの気持を聞いてもらえるだろう。専門のカウンセラーに聞いてもらうのも役立つかもしれない。この本に書いた問題について一緒に話せるカウンセラーを選びなさい。自分の感情を探り出し、それを受け入れ、表現し始めるようになってはじめて、あなたは必要としている作業を完成させることができる。話し方は、声を出してはっきりと話すほうが、いつもぼそぼそと話すよりずっと効果がある。人は、相手の人に向かってはっきり話すと感情が変化する。コミュニケーションは変化への道を開いてくれる。分かち合える相手を見つけだすことが非常に大切だという理由はここにある。まだこの方法をとっていないなら、あなたは今でも不安で気を使っているのかもしれない。しかし、もし慎重に適切な人と適切な時間を選びゆっくりことを進めるならば、あなたの感情を分かち合う体験は、とてもあなたを力づけ役立つことが多いと分かってくるだろう。これまた大いに愉快なことだ。
一度自分の感情を公然と認めることがとても大切だ。そうした場合ある意味で、「度が過ぎる」ほどになり「フー! もうやり過ぎだ」と決めつけて後退してしまう時も一度ならずあるだろう。回復への道はまっすぐな一本道ではない。後ろに滑って転び、次にどちらの方向へ行くべきか、どうすべきか分からずに突っ立ったままでいる時があるだろう。これが正常であり自然な姿である。必ずしもすべてが一度にうまく行くとは限らない。自分に失望することはない。現状を受け入れるこ
とが、望む所へあなたを推し進める最短コースの一つになる。また心に留めてもらいたいのだが、あなたが処理しようと取り組んでいる新しい感情のなかには、特に初期に見られるが、過去に適切に処理してこなかった実に「古い」感情がある。それらの感情は、激怒や怒り、喪失感、強烈な心の傷などだ。処理しようとする新しい感情が初めは恐ろしく、重いものであるとしても、落胆したり誤解しないようにしなさい。それらに直面することによってのみ、あなたは喜びや幸せ、親密さ、それに続く自己受容の建設的な感情を手に入れられるのだ。

友達や家族は私が自己中心的だと言っている。自分自身や自分の過去にこだわり過ぎているのだろうか?

これは私たちが繰り返し聞く質問の一つだ。殊にアルコール依存症の親を持つ成人した子供たちが回復へと動きだした頃によく耳にする。彼らは、自分のことを配慮する前に他人のことを考えるという子供時代のトレーニングのゆえに、このような指摘には耳を傾けがちである。皮肉なことだが、真に自己中心的で自分のことばかりに集中する人は、滅多にこんなふうに考えない。あなたが今もこの質問をするということは、あなたがまだ他人のニーズに反応していて、自分だけに焦点を当てていないことを示している。しかしながら、時間をとって、あなたが自分のニーズや価値や方向や目標に目をやることがぜひとも必要だ。子供時代を通して、あなたは自分のことには配慮しないよう教育されてきた。今やいかに自分が重要であるかを明確に理解する時だ。あなたがこの本を読み終えた時、ぜひ持ってもらいたいものがある。その一つは高いレベルの自尊心である。これによって自分を見つめ、何が自分に必要なのかを知り、自分で自分の面倒をみられるようになる。まず初めに、あなたが普段より多くの時間を自分自身に割くこと、これほど確かな回復方法はない。立ち止って少し時間をとり次の点について考えなさい。すなわちこれから前進する場合、これまでやってきたこととどのように結びつけるか、という点である。
あなたはまた立ち止まり、これらの意見を述べる人々にその意味するところをきっと尋ねたくなるだろう。注意深く聞き入り、彼らがしていることを注目しなさい。次に話を聞き終わり彼らと共に過ごした後、自分がどのように感じたかをもう一度評価してみること。誰もがあなたの新しい成長を祝福するとは限らない。ある人間関係のなかで、そのうちの一人が変化し始めると、関係は混乱する。時にはこの混乱は関係の存続をも許さない。特に相手が変化を求めていない時にそうなる。
その人は必ずしも望んでいないのに、あるいは気持の準備ができていないのに変化の渦に巻き込まれることになる。そのためバランスを崩すなら、その人は無意識のうちに手を伸ばして、この本と自己の気づきの旅を始める以前の状態まであなたを引き戻そうとするだろう。もしあなたが多くのアダルトチャイルドと同じなら、自分のことは考えないというのが典型的な姿である。あなたは普通、人の面倒をみたり、責任を取ったり、慰め、調整したりする。誰かが不満を言ったら自分に何か間違いがあると信じる。だから自分の境界やニーズ、価値を新たに切り開こうと努力すると、特に人間関係が機能不全で不健康な場合、相手の人は脅威としてとらえるかもしれない。しかしそれは驚くにあたらない。もうこれ以上あなたの時間や気配りすべてをパートナーに捧げられないとしたら、きっとあなたは利己的だとか自己中心的だと非難されるだろう。でもここで一つ言えるのは、それは非常に健康的だが困難を伴う変化だということだ。
子供としてあなたが得たメッセージの一つは、あなたは実に何の権利も持っていなかったし、大切な人でもなかったということである。いつもアルコールが先であった。あなたは小さい頃から、ぜひしてもらいたいことがあっても、両親がそれを配慮してくれるとは限らないことを学んできた。あなたの両親は、実際、あなたのニーズにたぶん留意できる状況ではなかった。アルコール依存症による家庭内危機が第一に優先されることを要求したと思う。もしあなたが自分のニーズを両親に持ち込み拒絶されたら、あなたは自分の感情を抑えることを学ぶ。同じ方法でニーズを抑えること、自分のニーズを分かち合わないこと、それに重要性を置かないことを学ぶ。事実、あなたが何らかのニーズに応えるとしたら親のニーズの面倒をみることばかりであったのだ。
私たちがアルコール依存症の親を持つ成人した子供たちに示唆してきたことは、子供たちが自分自身の権利宣言を発展させることである。この権利には次のようなものがある。個人の要求を持つ権利、自分の時間を持つ権利、自分の感情を持つ権利、自分の意見を持つ権利、他人の期待に応えるかどうかを決定する権利、自分の身体をどう処置すべきかを決定する権利、イエスと言う権利、同様にノーと言う権利、自分の考えを変える権利、成功する権利、そして誤りを犯す権利である。
あなたはまたこの本の示唆に従う権利も、それらを無視する権利も持っている。言い替えれば、あなたは自らのユニークさを表現する権利を持っている。権利を持つことは、あなたの望み通りのことを、あなたの望む時に、あなたの望む人誰に対しても許されるということとは違う。「人を侵害しない表現」(主張すること)と「人を侵害する表現」(攻撃的なこと)との間には違いがある。私たちは、他の人と関係なくあなたが望んでいることを何でもする権利があると主張している訳ではない。他の人に痛手を与えない方法で、あなた自身を表現する権利をあなたは持っていると主張しているのである。後になってきっと分かると思うが、あなたがはっきりと自らを表現し自ら望むことを問うならば、その時にこそうまくいくチャンスがぐんと増加する。
アルコール依存症の親を持つ成人した子供たちといろいろ経験を重ねて思うには、彼らには個人的な要求や権利の感覚に未発達のところがあるので、あなたがたぶん悩む最後のものは利己的になってやしないかという不安であろう。もしそうなら、あなたがついに自分のニーズを認め、他の人にあなたの権利を要求するところまできたという証明である。例えば、ある人が今まで強い自己主張をしたことがなかったが、たまたま主張をはっきりさせて行動すると、最初のうちは攻撃的だと誤解されるものだ。あなたは実際に利己的な行動を二、三試みてみるのもいいだろうし、実際に回復過程で達成しようとしていることと利己的行動との違いを考察するのもいいだろう。利己的という意味は、私たちが他人を侵害し弱みに付け込んだりする、あるいは客観的に具体的に明白に破壊的な方法で他人と衝突するような諸行動を指すのだ。
すべてか無かの現象を思い起こせば、これも私たちの経験であるが、アダルトチャイルドは、過度に責任感が強いものもいるが反対に非常に無責任なものもいる。連続体の一方の極にいて、自らのニーズを完全に否認するものもいるが反対の極にいるものもいる。家族内のアルコール依存症者と同じように自分のやり方に固執して、他人が注目してくれないと簡単に挫けてしまい、自分のやり方がいやになる。事実、他人のニーズに直面すると、心を閉ざすか、のめり込むかのどちらかになりがちである。この両グループの共通の分母は自尊心の深刻な欠如といえる。彼らは権利があるとはっきり自覚してない。ただ権利を否認するか逆に権利喪失を恐れて攻撃的に追い求めるかである。
事実あなたが自分のことを大げさに言ったり利己的な要求をすることもままあるかもしれない。回復途上では、あなたは時に大げさに言ったり間違ったりする権利がある。誰も完全な人はいない。
時にはあなたは自己中心的で自分自身や自分の過去に焦点を当て過ぎることもあろう。あなたが何者であるかを評価し、あなたのニーズを探し求めるかたわら、これらの過ちを自分にさせてみなさい。あなたはこの五年間の回復の後に、それでもあなたの周囲の誰もがなお「あなたはあまりにも自己中心的だ、自分のことばかり考えている」と言うなら、彼らの批評が的確かどうかを考えた方がよいだろう。最初は「回復のプロセス」を開始し、今まで論じてきたような数々の変化が現れたら、他の人がそれに反応してもそこで控えてはいけない。あなたは過度に自己中心的でも、自分に焦点を当て過ぎてもいない。どちらかと言えば、これでもまだあなたは自己中心的とは言えない。
私たちは、あなたに、自分の変化にある種の興奮を覚え強烈な関心を持つよう心から願っている。なぜなら、それであなたが回復過程について話しだし、他の人たちとその多くを分かち合うことになると思うからである。その興奮がある時まで持続しなさい。もし分かち合う人がなかなか見つからないなら、他の回復途上にあるアダルトチャイルドを見つけ、自分の体験や感情を話しなさい。
彼らがあなたをあまりに自己中心的だとか自分に焦点を当て過ぎるとか思うことは、もうほとんどあり得ない。

自尊心についての考え方は?

繰り返し言ってきたように、アルコール依存症の親を持つ成人した子供たちの多くは自尊心が低い。これは家族背景を考えると驚くにはあたらない。この本で読んだ内容や反応の記憶を振り返って考えるなら、無視されたこと、誰も頼りにできる人がいなかったこと、未熟な大人であらねばならなかったこと、自分自身や自分の感情、知覚を信じないように言われたこと、それらすべての体験が自尊心を低めたのだと明確に理解できる。子供の頃、あなたのニーズが一番先に叶えられることはめったになかった。たぶんいつも決まりきって約束を破られてきた。あなたは、お前がいなければお母ちやんやお父ちやんは決して飲まないだろうにとさえ言われてきたかもしれない。アルコール依存症の家庭では子供は大切な人ではないのである。このような雰囲気のなかで、非常に多くの否定的メッセージを与えられて育った子供なら、どうして自分に好感を持てるようになるだろうか?
そうその通り。回復していないアルコール依存症の親を持つ成人した子供たちは自尊心が低い。しかし、だからこそ自分のことをより多く学び、受け入れられるのである。自尊心を高める方法は、この「変化」の章に要約されている。すべてか無かの行動に挑戦し、コントロールの問題を見つめ、信頼と親密さの基礎を再構築し、自分自身に思いやりと注意を払えば、アダルトチャイルドは自己価値、自己信頼、自尊心の気持を徐々に取り戻す。自尊心とは、実際は私たちがこれまで述べてきたことの実践の副産物に他ならない。単純に言えば、この本を読むことは自己を正当化するための行動だ。結果として、以前よりもっと自分に価値があり、気づきがあり、聡明だと時々思うようになったと思う。この感情に注目しなさい。そして時間をとり楽しみなさい。最初はささやかなひと時であっても、この感情を育てれば自分を成長させる肯定的な感情の広がりを作りだせる。自尊心をいっそう持てるようになったのは、新しい方法で自分や他人を見つめる努力をした当然の結果である。このことを忘れてはならない。
変化は一般に二歩前進して一歩後退するものであることを心に留めなさい。これは次のようなことである。あなたは今日自分にちょっぴり敬愛と尊敬の念を感じるとしよう。だが明日は足元から支柱がへし折られるような始末になるかもしれない。その時、あなたは全く何の進歩もしていないかのように感じる。そのようなことになったら、例のすべてか無かの結論を出さないよう再び努力しなさい。今起こっていることは、すべてこれからも同じように起こるはずだと思い込まないようにしよう。あなたは、昨日は実際全く別のように感じていたし、今後もまた全く別のように感じるものだということを覚えておいて欲しい。
誰があなたを困らせ誰があなたを支持しているかという点で、あなたは今の人間関係を評価し直したいかもしれない。始終傷つけられているように思える人間関係は、自尊心を低い状態に置く関係である。自尊心を低下させる状況に度々曝されると、自尊心を高めたり維持したりするのが難しくなる。非難ばかり横行する雰囲気の中では、バーに座ってしらふでいようとするようなものである。普通それはできないことだ。
私たちのグループで治療を受けたあるクライアントは、否定的な関係がいかに巧妙なものであるかを実例で私たちに示してくれた。その女性の話では、姉がまわりにいる時はいつも、自分のほうが悪いときまって思うのだった。ある日、彼女が姉と友人と三人で座っていた時、ついにその理由が分かった。姉は執拗に妹を無視し続け、話を遮り、あれこれ言いつけ、傷つけるような批評をした。姉の回りにいると気分を害してしまうだけだと彼女は気づいた。その時は、姉がしたことと自分が感じたこととの間に何の関連付けもしなかったが、姉が立ち去り、友人が彼女のほうを向いて「お姉さんはあなたをいつもあのように扱うの?」と質問した時、初めて彼女は気がついた。
どんなに自分の自尊心を低下させる姉妹関係にいつも囚われていたか、それをいかに気づかないまま過ごしてきたか、ということにである。
自尊心をいっそう持てるようになるために、私たちは次のことを強く勧める。支援してくれそうな人たちに自分を取り囲んでもらうようにしなさい。この方法で、あなたは子供の頃決して持てなかった自尊心を築き上げる好い機会を持てる。実際には、あなたは今や自分の中の子供っぽさ、内なる子供を癒す権利を持てる。同時に責任も生ずる。それは過去に決して持てなかったが、今だからこそ持てる自分に有利な権利と責任である。

変化の段階で両親と対決することは私の回復にどれだけ有効か?

あなたの回復は、他の人の回復とか他の人のあなたへの評価には左右されないと理解しておくことがとても大切である。この点は殊にあなたの両親に当てはまる。曇っている鏡に鮮明な像を見ることは決してない。あなたがアルコール依存症の家庭で育った体験から回復しようと努力することは、家族にとっては、いろいろ聞いたり受け入れたりしなけれぱならないからとても難儀で恐ろしいことだろう。家族の者がまだ自ら生き延びる努力の渦中にある時は特にそうだ。多くの回復しつつあるアルコール依存症者でさえ、彼らの罪の意識が非常に強くて、大人になった自分の子供のニーズに対して、見ざる、言わざる、聞かざるの状態になるくらいだ。あなたはきっと心の内で、親と共有する感情や問題をはっきりとさせたり語ったりしたいと思うだろう。だが自分の親に対決しようかしまいかという問題は完全に別である。あなたの気持について親と話し合うとすれば、それをするかしないか、するとすればどの範囲までにするかをよく考える必要があるだろう。それはあなたにとって賢明で時には役に立つ経験となるだろう。今までにあなたは、この本で提起された問題を親と議論することが適切で当を得ているかどうかを判断できる様々な手段と技術をどんどん蓄積し始めている。きっとこの本を投げ出したりせず、車に乗り込み親の家まで運転していき、親を座らせ、あなたが学んできた知識のすべてを述べ、感じているすべてを話すであろう。それどころか、ゆっくりと構え、注意深く、一歩一歩進むことも知っている。例えば、あなたは自分に非常に役立ってきた特別な新しい本を持っていると言うかもしれない。話を止めて聞き入り、自分の反応に注目しなさい。つまりどのように自分が感じたか注目しなさい。そしてその情報つまり自分の感じたことを用いて、次の言葉を言うべきかどうかを決めなさい。親があなたの言葉を無視したり話題を変えるなら、それはたぶん聞きたくないというメッセージである。しかし、親がこの「とても役立つ本」に興味を示すなら、あなたはアダルトチャイルドについて話をしても良い。ここで再び話を止め聞き入り反応に注目しなさい。もし反応に好感が持てたら、その時には、あなたが学んだことを聞きたいかどうか尋ねてもよいだろう。あなたの学習がだんだん進むと、親を助けてみようという誘惑に駆られるかもしれない。ここで
どうか覚えておいて欲しいのは、私たちが知っているアルコール依存症に関する最も重要なことの一つは、あなたが親を治そうとすべきでないということである。あなたの回復は親を回復させることにならない。あなたには親のアルコール依存症に責任はない。あなたはその原因でもないし、それを治すこともできない。親の世話になって知識を得ているのでもないし、親を問題に直面化させる責任はない。

「直面化」は、否認の壁を突き破って、アルコール依存症者が自ら陥っている社会的、家庭的破綻の現実を気づくように介入すること。このことによって、本人は自らの意思で断酒とそのための方法、手段を選択する。
しかしどんな理由であれ、そうすることが自分のためになると思うなら(そう思うことが鍵であって、それはあなたに役立つ)、その時はそれを考えたらいいだろう。しばらくの間、あなたの親にどのようにして近づいたらいいか、なぜこうしたいのかを慎重に考えること。もしそれが親のためというなら警戒しなさい。あなたは薄氷の上にいて、水は十分凍りついていないのだ。親を救いたいという切迫した気持はあなたのエネルギーを間違った方向に向ける。今すぐにもあなたは自分自身の回復と治癒のためにエネルギーが必要だ。これこそあなたが確実に成功できる唯一の立場なのである。あなたが今両親のためにしてやれる最善のものは、自分自身の回復に精を出す
ことである。回復してから飲酒する親に介入しようと決心する時は、地域のアルコール依存症の援助機関と接触をとりなさい。あなたにはたぶん専門的な助けが必要だろう。

自分が乗り越えようとしていることあるいは変化が実際に起こつていることをどうすれば知ることができるか?

あなたの気分はいかがですか? 今どんな風に生活していますか? 過去の数日、数週間、数カ月間を振り返ってごらんなさい。何かが変わってきていますか? 何かが前と違ってますか?
人々からどのようなメッセージを受け取っていますか? 新しい感情を経験し、新しい洞察力を持つようになった自分に気づいていますか? あなたはいくぶん興奮していますか? 前より孤立しないことに気づいていますか? 前より自分のことを人に打ち明けていると思いますか? あるいは、自分のことを打ち明け過ぎた人々に、今は少なめに話すように気をつけていますか? 今は以前ほど物事がはっきり白黒に分かれて見えるようなことはないと思えますか? 生活の中で起こっている事柄が前より一層意味のあるものになったと思いますか? 今でも傷つき混乱して、将来間違いなく逆戻りするような日が来るかもしれないが、自分の進歩の徴候に気づき始めていますか?これらの質問を自分に問いかけてみなさい。あなたに、紙と鉛筆を取り出して、気づいた変化を書き留めるよう勧めたい。そのメモは取っておき、自分の寝室の壁か冷蔵庫のドアに貼りなさい。あなたの出発点と現時点との違いを見落とさないように。繰り返し補足しなさい。その一覧表を壁に掛け、思いついたことをその都度どんどん簡単に書き加えていきなさい。自分の手綱をぐっとしめ続けること。自分が本当に回復の途上にあると分かれば、湧いてくるエネルギーと希望を持続させるのに役立つ。
アルコール依存症の親を持つ成人した子供たちが「変化の過程」を通過するのを観察しよく気づくことは、新たな恐れが視野に入ってくることである。それは同じ恐れでも、古い恐れとは全く異なっている。例えば次のような質問として表現される。「いつバプルははじけるの?」あるいは、「もう片方の靴はいつ説げるの?」そう尋ねる人は危機を予測している。このことを、私たちはよくその人が回復してきた徴候として理解する。生活がどんどん理にかなったものになり、着実になってきた現れである。ことが起こり、危機を招くような気持が募ってきても、それは事態が前より好転して、あなたがそれについていけないせいである。物事に少々うんざりしてきたこともあるかもしれない。多くの回復したアダルトチャイルドのように、あなたもまた、事態が良くなってきたがゆえに、何か罰せられるような、それに代価を払わねばならないような恐れを持つのかもしれない。
気分良く感じるからといって「代価を支払う」必要はないという考えを容認できるまでにはしばらくの時間が必要だ。実際問題、あなたはすでに値段分は支払ってきた。すでに義務分は支払ってきた。それも法外な費用をだ! 今や、あなた自身が気分良く感じ、進行中の変化を高く評価する時だ。

 

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