ノックビン(ジスルフィラム錠) アルコール依存症治療薬

アルコール依存症治療薬レグテクトから抗酒剤ノックビン(ジスルフィラム錠)に変更。強制的に酒を飲めない体質にする訳だから、抑止力の差は歴然。

家族の心のケアと家族教育

      2016/12/10

家族の心のケアと家族教育

家族の心のケア
家族の心理
アルコール依存症者の家族の心理はいったいどんな特徴があるのでしょうか。
ここでは初めてアルコールの問題について関心をもった誰でもが理解できるように、私の実践から得たことを具体的に述べたいと思います。

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(1)奇妙な関係について
アルコール依存症は病気であるということがよく言われ、さらに家族まで病気であるような言われ方をする場合があります。しかし、病気だと言われても、何故そうなのかはわかりにくいと思います。
ところで、私は病気というものはその人の本来のあるべき姿から異なった状態を示すものだと思います。例えば、風邪をひいたとき、普段三六・五度の平熱が三八度の高熱になるなど、「異常」な状態が生じます。つまり、アルコール依存症の人や家族にも「異常」な状態がみられるために、病気であるという言われ方をするわけです。アルコール依存症者の家族からの相談を受けたときなど、特に依存者の状態が悪い場合など、「岡目ハ目」で冷静に話を聞いてみると、家族のあり方に「奇妙な関係」として「変なこと」を感じることがしばしばあります。「なんでこんな酷い目にあって、がまんしているのだろうか。普通ならとっくに離婚しているはずなのに」とか、「こんなひどい親なのに、何故反発しないのだろうか」とか、「何故、これほど些細な理由で、自分の生命を危険にさらしてしまうのだろうか」等々。冷静にみていくと感じられる、これらの「変なこと」は病的な状態、つまり家族が病気であることを表しているのです。本人がアルコール依存症という病気であることはわかったとしても、「家族が病気」だなんてなかなか信じられないところですが、家族も「変」になっているという意味では家族も病気と考えたほうが良いわけです。

(2)本人の強力な飲酒欲求のエネルギー
さて、この奇妙な現象、つまり病的な状態が何故生じてくるのだろうかと考えてみましょう。
これはもちろん家族の方のもともとの性格傾向にもよるかもしれませんが、むしろ、私はそこにはアルコール依存症のもつ圧倒的なパワーを感じます。依存者はアルコール依存症という病気のため、ただひたすらアルコールを「飲む」ということが生活の「すべて」になります。自分の生命をも引き換えに飲もうとする圧倒的なパワーが、依存者の行動のすべてを支配しています。強力な飲酒欲求のエネルギーは周囲をも巻き込みます。最も近いところにいる家族はひとたまりもありません。たちまち、家族は身も心も依存者の飲酒欲求を満たそうとするシステムの中に組み込まれてしまうわけです。本人の病気のメカニズムに組み込まれているからこそ、家族も「病気」であり、奇妙な行動や考え方になってしまっているのです。
ちょうど、アルコール依存症という圧倒的なパワーをもつ戦車に対して、家族は竹槍で飲酒を止めようという戦いを挑んでいるようなものです。家族は「こうすれば酒が止まるだろう」と酒を無理やり取り上げようとしたり、「こうすれば気づいてくれるだろう」と借金の尻拭いをしたりしてきました。しかし、これらの方法は圧倒的な飲酒欲求のパワーの前ではまったく無力な方法であるどころか、本人の飲酒行動をエスカレートさせるだけなのです。
そこで、何故そのような事態になってしまうのか、家族の考え方や行動の特徴的なところを、先人たちの研究と実践で感じていることを重ね合わせて見てみましょう。

①家族は共依存している
「変な」もたれ合いとでもいう意味でしょうか。もちろん、人間関係というのは大なり小なりお互い「持ちつ持たれつ」という側面はありますが、これは「変」な腐れ縁です。「いやよいやよも好きのうち」
なら、まだ良いのです。しかしお互いが「憎悪」を抱えていながら、依存をせざるを得ない関係です。嫌いなのに頼るということでしょうか。ひっくり返せば、家族の心境としてはいやでいやでしょうがないけど相手の面倒をみないと不安になるので、「わかっちやいるけどやめられない」世話焼きをしてしまうということです。
また、アルコール依存症の本人をまるで駄々ッこのように子ども扱いをして面倒をみてしまうことでもあります。依存者はそれに甘えて、世話を焼かせ続けようとします。そんなとき家族はあたかも、そのように面倒をみることが「生きがい」でもあるかのように感じていることが少なくありません。ですから、家族の方に「変ですよ」とお伝えしても、「私がこの人を面倒みなければ、一体誰がみるというのですか!」と怒られてしまうこともあります。これは、アルコール依存症の家族の方にしばしば見られることですが、家庭内暴力が起きている家庭にもよく見られる現象で、「変」なこととして現れる家族の病気の症状の一つです。
お互いが「大人の関係」になることが解決の基本です。コミュニケーションのあり方も知らず知らずのうちに、親が小さい子どもに言うように「○○しなさい」というような一方的な命令口調になっていたりします。普通大人同士、例えばどんな親しい友人でも、そんなロをきいたら喧嘩になってしまいます。普通は「私は○○と思う」とか「私はこうした方が良いと思うけど」とか、そんなコミュニケーションになると思います。それがお互い対等な大人の関係というものではないでしようか。相手の主体性を認めつつも「私」という自分の主体性もきちんと表現しているわけです。
しかし、いきなり180度手のひらをかえしたようにコミュニケーションを改めるのには無理があります。そこで、私は、まずは「型」から入っていくことを勧めています。言葉づかいをまず意識して「私は・・思う」というようにしてみます。そうして練習しているうちに段々と身についてくるというわけです。

②家族がイネイブラーになっている
飲酒を続けることを「可能にしている人」という意味です。英語で表すと、enablerとなります。つまり回(〜にする)‐able(可能)‐[e]r(〜する人)ということになります。
普通は、「まあ、いいじやないか、そのくらい」とか飲酒に対して寛大過ぎてしまう職場の飲ん兵衛や、苦労している奥さんに対して「好きな酒だから飲ませてやれ。荒れるのは、お前が悪いからだ」といった甘い母親(姑)などが思いつきます。しかし、苦労して本人の酒をやめさせようとしている人たちも、その行動が裏目に出てしまって本人の飲酒を「可能にしている人」になってしまっていることがあります。
家族にこの話をすると「そんな、ぱかな。私はやめさせようとしているのに。被害者はこの私なんだから。そんなことをするわけがない」と怒られてしまいそうです。でも、やはりそうです。例えて言えば、鍋の油に火が入って燃え上がったとき、火を消そうとして慌てて水をかけてしまって、よけいひどく炎の火柱が燃え上がってしまうような感じとでも言いましょうか。火を消すつもりが大火事になってしまうわけです。
具体的には、酔ってどろどろになって帰ってきて玄関に倒れこんだ旦那さんに「このままでは風邪をひいてしまう」「まあ、ひどい。しょうがないわね」などと言いながら、服を着替えさせて、寝床にいれて寝かせることとか。また、飲み代の借金を「他人様に迷惑がかかる」と依存者本人の代わりに払ってしまうとか。さらにちょっとしたところでは、二日酔いで会社を休むときに「風邪をひいたのでお休みします」と依存者本人に代わって奥さんが会社に電話するとか。
要するに、いろいろと世話をやいてしまうことなのです。これらのことは、家族にとっては本当に「しょうがなく」、また「やらざるを得ない」と思ってやっていることですが、実はそれが問題なのです。つまり、飲んでいる依存者にとっては、何とか家にたどり着けば、安全に寝かせてくれるので、風邪もひかず、翌朝には体力が回復して、「また酒が飲める」わけです。借金もいつのまにか帳消しになる「金のなる木」が現われて、「また酒が飲める」わけです。さらに二日酔いで休むなんて怒られそうなことが会社にぱれずに、しかもうまく休む理由も考えてくれるので、「また酒が飲める」わけです。これでは、いつまでたっても問題の所在ははっきりしないままに依存者は飲酒の問題に直面することなく、いつまでも、ついには死ぬまで酒を飲み続けることになってしまうわけです。
このことに対しては、やはり「世話焼き」「尻拭い」をしないことです。最初はどうしても無理があります。「何かあったら」と心配になります。手を出したくなります。重症だと「じゃ、本人にもしものことがあったら責任をとってくれますか」と開き直られてしまいます。「違うでしょ、責任をとるのは本人でしょう」と言いたくなってしまいますが、そこは呑み込んで、「本来、本人がとるべき責任を、あなたがとらされてしまっていたのではないでしょうか」と説明します。とにかくなんとか、我慢して手を出さないでいると、家族の方でも段々とそうした姿勢が身についてきます。そうなれば、たとえ時間がかかろうとも、いつのまにか依存者の態度も変わってきます。

③否認
よく、周りの人間は依存者がとっくにアル中(アルコール依存症)だと思っているのに、本人は「おれは違う」と、つっぱって否認していることはありますが、家族にも否認があることがあります。
もちろん、依存者の酒の飲み方が多少「変?」と思っても、「別に会社を休むわけではないし」とか「飲みすぎさえしなければ、やさしい人だから」とかいって、あの忌まわしい「アル中」のイメージをかき消して否認している方もいます。しかし、大部分の家族は「本人がアルコール依存症であってほしくない」という願望から病気の否認をしています。仮に「アルコール依存症」という病名を頭ではわかったとしても、飲酒の問題は「意志が弱いから」で、「アル中になる人は人間のクズ」というイメージが強いため、「そうあってほしくない」という思いから、否認しているということがあります。
実はこのことはかなりやっかいで、依存者自身の否認が払拭されるのも大変ですが、家族の否認が払拭されるのも意外と時間がかかります。専門家は一生懸命説明したり教育したりすると同時に「先行く仲間」のいる家族の自助グループ(断酒会、アラノン)への参加や、家族の集団教育への参加をお勤めします。
たぶん、家族の方もアルコール依存症本人同様最初は他の家族の話も「あの人とは違う」とか「そこまではいっていない」とか「違い探し」をされていることと思います。しかし、そのうちに「おんなじだ。やっぱり依存症だったんだ」と気づくようになります。そのことが、家族の方々を回復に導いてくれることになるわけです。それには、まず、何はともあれ、継続して自助グループに参加することだと思います。

④家族がとりこまれるホメオスターシス
先ほど、「アルコール依存症になるということは、飲むことがすべてとなり、周りの人がそのシステムに組み込まれてしまう」と書きましたが、このことを別の言葉で表すと、「飲酒を続けることによって保たれるホメオスターシスがはたらく」ということになるわけです。
ホメオスターシスとは、人間の身体でいえば、体温や身体を、常にある一定の状態に保とうとする働き、メカニズムといったようなものです。つまり、ここでは、本人が酒を飲むことでその人をとりまくすべてのことが保たれるような力がはたらくようになることです。このことは、依存症者が絶えずもたらすストレスに常にさらされていると、伸ぴきってしまったゴムのように、家族のはたらきが元に戻らなくなってしまうことを表しています。
例えば、身体的には、酒をやめると、飲んで保たれていたバランスがくずれて現われるのが「離脱症状(禁断症状)」ですが、家族の働きも歪んでいます。甲斐性のない父親に替わって母親が世帯の生計の中心になることも多く、依存症者は俗に言う「髪結いの亭主」になってしまいます。また、このような家庭には子どもっぽい父親に替わって、母親とともに一家を支えるなど、健気な子どもがいます。しかし、子どものときに子どもでいられなかった不自然さを大人になってからもその影を引きずってしまい苦しむことがよくあります。アメリカのクリントン前大統領で有名になった、最近はやりの「アダルトチルドレン」というのは、実は最初はアルコール依存症の父親をもった、このような子どもたちの問題から始まったのです。

ケアの必要性

こうして、家族はアルコール依存症という病のシステムの中に組み込まれているため、よくよく見ると、ここにあげた事柄だけではなく、もっともっとさまざまな「変」な現象が起きています。
まず、そのことに気づいてもらうといったところから、家族の回復は始まるわけです。しかし、家族はそこに至るまでの余裕がなく、エネルギーが不足していたり、巻き込まれがひどくて苦しんでいます。だからこそ、家族へのケアが必要になってくるわけです。そして、この作業は専門家だけにまかせておけぱよいことではなく、家族の方との二人三脚で取り組んでいくことが必要です。
何をケアするのか
専門家は、アルコール依存症者の家族は、アルコール依存症という圧倒的なパワーをもつ病気によって、家族も病気になっているという視点から、家族の回復を応援するためにはどうしたらよいかと考えて、家族のケアを行っています。
そのため、私は次のような段階を整理をしながら家族のケアを実践しています。

(1)身体的な安全-三十六計逃げるにしかず
アルコール依存症の圧倒的なエネルギーは、しばしば家族への暴力という形で現れます。まずは、家族の身の安全を守ることから始めます。
家族はアルコール依存症者の暴力や飲酒への対応で疲れ果ててしまうので、つい力で押さえ込むことを夢見てしまいがちになります。そこに、「専門家」と称する人物が現れるわけですから、何かマジックのようにアルコール依存症を治してくれる。そのようなパワーを求めてしまいがちになります。したがって、「(暴力から)『逃げる』という行動は暴力に屈することになってしまう」「最初から逃げられるくらいなら苦労はしない」「専門家なら本人をどうにかしてよ」等々、なかなか承服していただけない場合もあります。
専門家と言えども本人が酒をやめようと少しでも考えない限り、本人の飲酒をそう簡単には止めることはできません。そのため、まず、家族の身体的な安全を確保することから始めなければならないのです。
具体的な身体的安全の確保策としては、まったく別居してしまう場合だけではなく、同居しながらもいざというときは近くの親戚の家に逃げ込む等のさまざまな方法があります。

(2)精神的な安全-精神的な呪縛からの開放
精神的な安全は、具体的な身体的安全の保障の上に初めて成り立ちます。実際に、身体的な安全だけでは問題は解決していきません。家族には「いつまた同じ目に会うか」という心配はつきものです。まだまだ不安が強い場合もあります。
身体的な安全が確保されたら、次にはアルコール依存症者の家族への暴力がもたらした精神的な呪縛から開放されることが必要です。つまり、具体的には、いやされること、安心できるという実感が必要です。家族教育という方法や、大変な思いをしているのは自分だけではないという実感や安心感を体験できる、集団援助グループや自助グループヘの参加をお勤めします。

(3)自立
家族はこれらの安全を保障されたときに始めて、アルコール依存症のシステムの中に組み込まれてしまっていることから脱出して、自分らしさを取り戻していくわけです。
そのことを保障するために、家を出る場合等、物理的な自立が必要な場合には経済的な基盤の確立も必要です。また、住居の問題や子どもの教育(転校等)の問題を解決したり、他の家族の協力と意見の調整が必要です。特に子どもの意見は重要です。そして、これらの作業を専門家と共にしていくことになります。
しかし、この作業は、専門家だけでは困難です。家族の自助グループヘの参加も必要となります。そこでは、回復した家族のモデルがあります。アルコール依存症者と同様に家族にも家族の回復の具体的なイメージが必要ではないでしょうか。同じ経験をしてきた家族同士の気持ちの分かち合いは、進むべき方向性をより具体的な形で教えてくれることでしょう。
家族にとっては、アルコール依存症者が一人の人間としての生き方を求めることができるようにケアを行っていくことが目標となります。

個別的な対応と集団的な対応

アルコール依存症者の自立に向けたケアを行うには、1人ひとりの家族と面接したりする「相談」と、お宅などにうかがったりする「訪問」の個別的な対応と、家族教室や自助グループに参加したりする集団的な対応とがあります。

(1)相談
まず最初に行われる方法です。夫や父親等の家族のアルコールの問題に悩みぬいた末、ようやくたどりついた相談機関の担当者に連絡をするところから、相談は始まります。「あの人を殺して私も死のう」とか自殺さえ考えながら、藁をもつかむ気持ちで電話をかけたのかもしれません。とにかくこの窮状を何とかして欲しい、そんな気持ちで一杯なのだと思います。
担当のケースワーカーは、「それは大変ですね」と色々と話を聞いてくれます。そして、あなたは少しほっとします。しかし、これからどうしたらよいか、つまりどうしたら夫の(家族の)アルコールが止まるのかは、あまり教えてくれません。挙句の果てに、「家族のあなたが変わらなければいけない」みたいなことを言われます。変えなければいけないのは、夫の(家族の)方なのに・・。あるいは「イネイブラー」とか横文字まで使われて、「あんたが悪い」ぐらいのことを言われてしまいます。
そうですね、確かにいきなりそんな話をする相談員は確かに拙速だと思います。しかし、実は相談員からそんな話が出てくるのには理由があります。それは、家族の心理状態には、ある種の特徴があって、専門家は、家族の心理はそういうものであるという教育を受けているからです。その特徴とは、先に「身体的な安全」のところで説明したような事柄なのです。そのことを知っているがために、家族の方とうまく話がかみあわないとじれったくなって、不必要なことを言ってしまったりするのです。専門家がいきなりじれったくなってはいけませんが、でも、そうやって、ときには専門家さえもその嵐の中に巻き込んでしまいそうになるほど、アルコール依存症とはやっかいな病気なのです。
相談を受けたとき相談担当者は一呼吸おいてどうしようかと考えます。家族のあなたも一呼吸おいてみましょう。一緒になってどうしたらよいかを考えていきましょう。

今、酔っ払っては問題を起こしている依存者には、いきなり何を言っても無理です。飲まないように言うことをきかせる魔法はありません。依存者が「なんとか酒をやめたい」と思わない限りは、どんな方法も無意味です。しかし、一方ではとても酒をやめそうもないと思われている人でも、その言動のどこかに「酒をやめたい」と思っているのではないかというヒントが隠されていることもあります。そんな手がかりを探ってみたりもします。
ただ、そんな悠長なことを言っていられない場合もあります。そんなときは「身体的安全の確保」の段取りから入っていきます。そのとき、その状況に応じて柔軟に考え、一つひとつ絡まった糸をほぐしていくように、問題の解決へ向かって、家族と相談担当者は共同作業をしていきましょう。
この個別相談は、こうしてきめ細かく家族の方との相談ができますが、一つ問題があります。家族にとって相談の相手は専門家ですので安心して頼れるのですが、ときには頼りすぎてしまうことがあります。
アルコール依存症というのは、専門家といえども一筋縄ではいかない病気なので、できることには限界がある場合もあります。そのことが見えなくなると、家族の過大な期待は「共同作業」を難しくしてしまうことになります。

(2)訪問
困り果てた家族にとって、最初はとにかく専門家が依存者に飲まないようにビシッと言って聞かせてやって欲しいと思う気持ちが強いこともあります。
しかし、訪問による本人への直接のはたらきかけはタイミングが重要です。酔っ払って(酪酎して)いるときには、何を言っても効果はなく、本人を刺激するだけで、逆に家族への暴力となってはねかえるおそれがあります。アルコールが切れかけているときをねらう必要があります。万万、家族へのはたらきかけとしての訪問は、本人の酔っ払っているときの状況を確認して、その後の家族との相談での共通認識を培うためといえましょう。しかし、家庭での家族との相談は、本人がすぐ傍で酔っ払ってくだをまいているので落ち着いてできません。むしろ、ゆっくり相談する場合は、家族に相談機関に来てもらったほうが落ち着いてできると思います。

(3)家族教育
アルコール依存症というのはかなりやっかいな病気なため、医者やケースワーカー等の専門家も自分たちだけではアルコール依存症を回復させることはできません。まして家族だけでは、なかなか本人のアルコールを止めることはできません。さまざまな人たちとの協力が必要です。そして、互いに協力し合うための共通認識をもつことが必要です。そのためには共通の知識が必要であり、そして専門家も家族も互いに協力していく気持ちになっていくためには、家族教育の場に参加することが必要です。
参加者はアルコール依存症に関して、そして家族自身のことについていろいろな知識を得ることになりますが、それらの知識も「専門家がそう言うんだから、そうしなければいけない、せねばならない」と思っていると辛くなるばかりです。知識は「なるほど!」「そうだったのか!」という気づきです。「目からうろこが落ちる」とでも言いましょうか。そんな気持ちになることによって、その知識が「知恵」となって役立っていくはずです。わからないことや納得のいかないことは、どんどん質問し、一緒に参加している家族にも意見を求めてみましょう。

(4)集団精神療法
家族教育の場で得た知識を生かしていくためには、気持ちのあり方も大事です。アルコール依存症は家族の「生き方」も変えてしまうほどやっかいな病気です。家族が自分の人生を取り戻すには、アルコール依存症へのより深い理解と家族自身の自分への愛情と生きる勇気が必要です。そんなことを求めていくきっかけとなる場が集団精神療法ではないかと思います。
病院、精神保健福祉センター、保健所、あるいは依存症専門施設等で「家族教室」あるいは「家族講座」等の名称で実施されていますが、「断酒会」の例会や「アラノン」のミーティングも一種の集団精神療法と考えてよいでしょう。
集団精神療法は、集団で行われる一種のカウンセリングと考えてよいでしょう。そもそもカウンセリングは、相手(カウンセラー)から一方的に解決を与えられるものではなく、自らの参加によるカウンセラーとの関わりによって、自らが変化していくものです。したがって、集団精神療法も最初はいささか居心地が悪いかもしれません。特に、アメリカで発足した「アラノン」は多分に欧米の文化が反映されているので、なじみにくかったりするかもしれません。しかし、あきらめることなく、継続的に参加していると、いつのまにか変化している自分に気づくはずです。それは、例えば「否認」のところで述べたように、「違い探し」をしている自分から、自然に「そうなのよね」「同じだわ」と「共感」している自分に変わっていると気づいたりすることでもわかります。

家族教育

アルコール依存症者の家族への心のケアとして、最も有効な方法の1つが家族教育ではないかと思います。ここでは、そうした家族教育の実際を踏まえて説明したいと思います。
したがって、ここでは個別に行われる相談としての「家族教育」ではなく、集団で行われる「家族教育」について述べていきたいと思います。そのため、ここでは、前項で別個に扱っていた「家族教育」と「集団精神療法」を一連の流れの中で、取り上げて説明します。

家族教育の目的
家族教育は、アルコール依存症により病んでいる、家族の回復を図るために行われるものです。アルコール依存症者の家族は孤立し傷ついています。家族という閉鎖された世界はアルコールが支配する法則で動いており、家族もアルコール依存症により病んでいます。その強固なシステムを破壊するには、家族以外の「他者」の存在が欠かせません。その「他者」とは、専門家である場合もありますが、何よりも強力な「他者」は、共通の体験をもつ家族ではないでしようか。
そして、それは単なるアルコール依存症の知識の習得だけではなく、家族同士という互いに共感できる人たちの力を得て、家族自身が変化していくことをねらっているのです。

家族教育プログラムの実際
家族教育のプログラムは次のことを意図して展開されます。

(1)気づき
まず、アルコール依存症は病気であること、そしてどんな病気であるか、さらに家族はどのように病んでいるのか等の基本的な知識が必要です。「敵を知り、己を知れば百戦危うからず」といったところでしょうか。
しかし、頭でだけの理解では苦しくなってしまいます。できるだけ自分で納得できるよう心がけ、わからないことがあったら積極的に質問してみましょう。病気のこと、家族である自分のことについても「なるほど!」という気づきが大切です。
(2)実行
知識を得て、気づいたら次に回復に向けての実行に取り組むことです。
最初は要領がわからなかったり、すべてが実行できるとは限りません。しかし、先に述べたように、まず「型」から入ってみましょう。幸い日本にはいろいろな習い事、例えば「茶道」「花道」等、そしてスポーツにおいても「剣道」「柔道」さらに「野球道」というような言葉があります。これらの「道」という言葉は、それぞれの奥義を究めることを精神的な高みにまで求めています。しかし、これらの奥義はいきなり最初から得られるのではありません。いきなり誰もが最初から、「酢ぴ・かぴ」や「葉隠れ」を理解したり、千利休や宮本武蔵の心境になれといっても無理な話です。最初の基礎練習は一見無意味と思えるような基本的な動作を繰り返すことから始まります。つまり「型」から入り、その反復練習の中から徐々に精神性を身につけていくことなるわけです。

(3)変容
実行していく中で、自分の変化に気づきます。
「何でこんなことを」と思うようなことでも続けていくことによって、知らず知らずのうちに、自分の中で変化が起きてきます。
一番、効果的で決定的なのは同じ経験をしている家族、つまり仲間との出会いです。自助グループ(断酒会、アラノン)の仲間との接触と例会やミーティングヘの参加です。
仲間を信じ、回復を信じ、そしてまかせること。
その変化は、「違い探し」から共感の「同じ探し」に変わっていたり、何とか力づくで治そうと力んで
いたのが、肩の力がふっと抜けて気持ちが楽になったり、それまで麻庫していたいろいろなことを感じ取れる力がわいてきたり、自分のことが考えられるようになったり等々、さまざまな変化を感じるようになります。

(4)自己の確立
アルコール依存症で傷ついた自分からの回復による、自己の確立を目指します。
自分に関する変化を感じ取れるようになったらしめたものです。しかし、それはゴールではありません。回復にはこれでよいというゴールはありません。人間がたえず成長を続けていくように、常に回復への行為は継続していく必要があります。
次に、これらの意図を具体化するためにはどんな方法があるのかについて述べます。

①教育的指導
「敵を知り、己を知る」ためにはいろいろな情報が必要です。
アルコール依存症とはどんな病気か、家族はどんな状況になっているのか、どう対処すべきか、まず何をすべきか等々。資料や教科書、映画やビデオによる専門家の講義やディスカッションが行われたり、他の家族からの意見も参考になります。まず、家族同士、共に学び合いましょう。

②集団カウンセリング
専門家からの一方的な話だけでは、頭でっかちの付け焼刃で終わってしまいます。自らの意志による参加の気持ちが大切です。参加者同士のコミュニケーションによる治療も必要です。このことを集団精神療法と呼んでいます。
最初は見知らぬ同士だった家族も、だんだん打ち解けてきます。お互いの気持ちが少しずつ話せるようになってきます。お互いに励まし合ったり、他の家族に言われて気づいたり、自分の経験が他の人の役に立ったり、さまざまな現象が起きます。
また、参加している家族同士は、お互いに自分を映す鏡として感じるかもしれません。そこには、話し合いを含むさまざまな手法がありますが、ときには参加者がアルコール依存患者や奥さんや子ども等いろいろな役を演じる「サイコドラマ」という方法が用いられることもあります。

③自助グループヘ
「家族教室」や「家族講座」を通して、家族同士のコミュニケーションや仲間意識が回復には大切であるということに気づくはずです。是非、断酒会やアラノンといった自助グループに参加することをお勤めします。
自助グループとは文字通り「自(自らを)助(助ける)グループ(仲間)」です。自らの体験を語ることにより、他者の助けになると同時に自らの助けともなることを意味します。そこでは、体験者のみが語ることのできる世界があります。
他の家族の発言に耳を傾け、勇気をもって自らを語ることによって、回復への道が開けてきます。もちろん、お互いに完璧な人間同士ではありませんので、さまざまな意見の中には承服しかねるものや、気に入らない態度をとる人もいるかもしれません。そのときはその感情は、その例会場やミーティング場に置いていくようにその場のこととして聞き流しましょう。
継続的な参加はきっとあなたの回復に役立つはずです。そしてあなたの「幸せ」とは何かについて、答えが見えてくると思います。

 

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