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アルコール依存症者を取り巻く課題

      2016/12/10

アルコール依存症者を取り巻く課題

再飲酒とその対応

クリニックにおける再飲酒の対応
クリニックは通院であり、再飲酒が起こりやすい治療と言えます。なぜなら多くの日本のアルコール専門病棟での3ケ月間の治療が終了しても、一度の再飲酒もなく回復する人は十数%だからです。大半の人が再飲酒により、再入院をしたり自助グループに行ったりして改めて回復に努力することになります。ということはアルコール依存症者の治療は一度の入院治療で良好な経過をとる人は本当に少ないのが現実です。つまり治療を受けた後に何度かの再飲酒を経て完全断酒をしていると言えます。再飲酒を繰り返しながら回復に向かう人が多いということは、再飲酒は回復に向かうプロセスとして起こり得ることと、とらえることができます。しかし再飲酒により事故にあったり、命を落としたりする人も少なくありません。
飲酒問題への直面化
「飲んでいる人を治療してこそアルコール専門医療では」と問われることもあります。しかし我々の問題とするところは、何度となく同じことを繰り返している人たちが多くいるということです。多くのアルコール依存症者が身体疾患(主として肝機能障害)を患い、何度かの内科病院の治療を受けている人たちです。その人たちがアルコール専門医療機関で受診するのは、内科治療と同じように身体的な回復を求めているのが現実です。そのような人たちにアルコールを飲まないように約束させ、身体的な治療をしても、多くの人たちが身体的な回復とともに簡単に約束を破棄するものです。我々は経験の中から、飲酒時の治療契約が何度も反故にされ結果的には長期化を招くということも学んできました。しらふで治療契約をしても、何度か飲酒するのが現実で、その度に飲酒の直面化を求めることで断酒が継続するようになっていき回復に向かっていくのです。家族などは、何十回、何百回と約束を破られているのが現実です。しかし見方を変えれば、そのような約束を破ることを許してきた家族を含む周囲の人たちの対応が、飲酒問題の直面化を遅らせたとも言えるでしょう。「アルコールを飲んでいたから仕方がない」とか「飲んだ上の出来事」と飲酒で起こった問題を容認してきたということです。飲酒の上での出来事も本人の責任として返すことが必要で、周囲の人たちが飲酒の問題に一切手を貸さなかったら、大半の人は飲酒は続けられなくなります。
そのようなアルコール依存症者との対応を考えたとき、飲酒時に治療をするということは飲酒していても自分と関わってくれるという、今までの家族や社会の関わりを肯定することになります。クリニックにおける再飲酒は、飲酒時の受診を断ることとなり飲酒している人には冷たいと思われるようですが、彼らは飲んでも受け入れてもらえる人と場所があるからこそ、飲酒を続けていられるとも考えられます。再飲酒時の来院はクリニックでは速やかに帰宅していただくことが原則となっています。
しかし、時々飲酒をして来院し、「帰って下さい」と言って素直に帰宅してくれない人がいます。酔っている本人の要求をのめば、その場は解決するかも知れませんが、それでは家族の関わりと何ら変わりのないことであって、無理を通す関係ができ、アルコール依存症の治療には好ましくない状況を作ることになります。飲酒者への家族対応で、飲酒者の起こした問題の尻拭いをしないことが原則になっていますが、医療者も飲酒者の尻拭いをしないように注意を払うことが必要です(ただし、生命の危機のときはこの限りではありません)。
さらに飲酒者の来院は狭いクリニックがアルコール臭で充満することさえあり、他の患者への影響は大きく、とにかく帰宅してもらうように説得するしかないのです。説得などによる長時間におよぶ飲酒者との関わりは、彼らの理不尽な言動に、スタッフの精神的なストレスは増強され、家族と同じように巻き込まれることもあります。そのような飲酒した人たちとの関わりは、あくまでもアルコール依存症者の対応の一部であって、間違ってもアルコール依存症者の関わりと考えてほしくないものです。我々スタッフは回復を求めるアルコール依存症者の治療の場を守り、治療的な雰囲気をどのように作るかも大切な役割と言えます。アルコール医療における、飲酒時の関わりは先にも述べたように、労多くして実りがないのが現実です。クリニックでは、前日飲酒しても来院時に酒臭がなければ、飲酒したからといっても何の罰も受けることなく受診できるのです。つまり彼らがしらふで考え行動することを求めるとともに、スタッフも健康的に関わることが大切だと思います。

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入院療養中における再飲酒の対応

ここでいう再飲酒(スリップ)とは、「アルコール依存症者が酒をやめたい願望をもっているのに何らかの原因で少量の飲酒をしてしまったこと」と定義します。この現象は、回復に向かう多くのアルコール依存症者が経験することとして知られています。当然、病気が再飲酒から再発するわけですが、一方で再飲酒しても再発に至らないケースも数多く目にします。「飲む」「飲まない」を問えば、再飲酒した時点で飲んだことは紛れもない事実です。確かに再飲酒をそのまま再発と考えたり、再飲酒そのものが病気の再発過程の一部ととらえたりされています。しかし、再飲酒はしても再発しないことに着目すれば、入院療養中の再飲酒の対応が治療的な関わりとして意味をもつようになるかもしれません。
アルコール専門病棟としての機能をもつ当センター(やはた心身医療センター)でも、入院治療中の再飲酒は少なくありません。行動制限のほとんどない完全開放型で一般病棟並みの治療環境の中では、外出外泊時の飲酒は専門病棟とはいえ、リスクをはらんでいます。社会通念に照らして考えても、入院治療を受けている患者の飲酒行為は、治療者側から見れば問題視され、ときには治療拒否ともとられかねません。ところが、アルコール専門病棟においては、その飲酒行為、つまり再飲酒の問題を、治療的介入の絶好の機会ととらえることもできるのです。以下に当センターにおける再飲酒時の対応について述べます。
再飲酒が疑われる場合は、スタッフがただちに面接を行います。飲んだことを素直に認める患者も中にはいますが、大半は否定します。最近では、治療中の飲酒が疑わしいときに呼気テストや血液検査を受けることを承諾してもらえるように、入院時に誓約書を書いていただく施設もあるようです。しかし、当センターではそのようなことは行いません。したがって、面接の中で患者自らが飲酒したことを、病的な飲酒欲求によるもの、すなわち病気の一症状として自覚してもらうことが肝心と考え、じっくりと話を聴きます。面接は一対一を原則とし、治療的関わりを重視して、看護者が患者を取り囲むことがないような配慮が必要です。飲酒行為を認めることができた場合には、あくまで病気の症状として再飲酒が起こったことであるとの視点から、次の対策をともに考えていく姿勢で対処すべきと考えます。再飲酒を認め治療継続の意志が確認できれば、当センターでの自治会規則にしたがって手順を踏んだ後にARPに、再導入とします。

再飲酒時の対応における手順

①1回目の再飲酒では24時間の反省室入室

②反省レポートの提出

③再飲酒後1週間は院内で過ごす

④総合ミーティングで再飲酒に基づく体験を発表する

他方、明らかに飲酒しているにも関わらず、認めることができない、つまり強度の否認を有している患者もいます。この場合には、当センターの治療システムには不適応と判断して、一旦スタッフミーティングで意見の統一を図った上で、主治医より退院を勧告してもらうこともあります。
アルコール依存症からの回復には、酒をやめ続ける以外に方法のない現状において、再飲酒をどうとらえるかは重要なポイントと考えられます。
専門病棟ゆえにとるべき対処法が必ず存在し、それを治療的介入のチャンスとして関わることは、ときとして断酒の良い勧機づけとなり得るのではないでしょうか。

再飲酒時の対応における要点

①早期発見に務める:疑わしいときは、再々面接するなどコミュニケーションを密にとる。
②偏見をもたない :再飲酒を、そのまま治療への抵抗ととらえない。
③水かけ論の回避 :「飲んだ」「飲んでない」に過敏になり過ぎない。
④治療的関係の維持:面接は静かな場所で、じっくりと時間を掛けて行う。
⑤断酒への勤機づけ:治療的介入の好機ととらえる。

保健所での再飲酒の対応
アルコール問題に関して、保健所が最も機能を発揮するのは、危機介入です。断酒していたアルコール依存症者が再飲酒をした場合にも、保健所と本人や家族との間に良好な関係が保たれていれば、対応を求めて本人や家族は保健所へ相談に来所します。
本人が自身の意思で来所した場合には、多くは医療機関や自助グループヘ容易につながります。しかしそのような事例は少なく、多くは家族が困って来所します。したがって、再飲酒の場合にも家族が初めて飲酒問題で相談のために来所した場合と同様に、本人への対応の他に家族や周囲の人たちへの対応も必要となります。
家族への対応では、多くの家族はアルコール依存症者が再飲酒したことで、アルコール依存症からの回復に対して絶望感や無力感、将来の生活に対する不安感などをもちます。家族にはこのような感情を払拭し、本人とともに回復への道を歩み始める意志をもってもらわなければなりません。そのためには、アルコール依存症に対する理解と、再飲酒した依存症者の心理をよく理解してもらうことが必要です。さらに、同じようなことを体験し、回復した家族からのアドバイスや体験談が有効となります。
保健所では家族に対してアルコール依存症についてよく説明をするとともに、依存症者が再飲酒をしても回復が可能なことや、再飲酒した依存症者の心理を十分に家族に説明した上で、家族の不安に耳を傾け、疑問に答えることが必要です。さらに、家族が家族会や家族教育へ参加が可能となるようにマネジメントも行うべきです。
再飲酒者への対応では、アルコール依存症からの回復のためには、専門治療を受けるとともに自助グループヘ参加することが最も確実な方法です。再飲酒に対する対応にもこのことは言えます。ですから、再飲酒者への保健所の対応は、飲酒した本人をなるべく早く専門治療へ結びつけるとともに、自助グループヘ参加するように援助します。再飲酒をしたアルコール依存症者への援助は次の点が基本となります。
第一は、再断酒を決意するための援助です。今まで断酒をしていた人が再飲酒をすると、断酒を続けることへの自信を失い、断酒を継続している自助グルーープの仲間から離れたり、医療機関への通院を中断したりします。その結果、断酒生活をあきらめ、飲酒を続けることになります。しかし、飲み続けている多くのアルコール依存症者でも断酒をあきらめてしまったわけではありません。機会があれば再び断酒をして回復への道を歩みたいとの願望をもちつつ飲酒をしています。保健所では、飲酒は本人の意志の問題ではなく、病気の症状が再現したことを説明し、断酒への願望が実現可能であることを伝えます。
第二は、断酒への決断を行動化するための援助です。再飲酒をしたアルコール依存症者の中には、再び断酒を決意しても医療機関や自助グループの仲間の反応を気にかけて、受診や自助グループヘの参加をためらう人がいます。このような場合には、少しの励ましや、心配が思い過ごしであることに気がつくことで、断酒へ向かって行動が可能となっていきます。ですから、断酒を決意したアルコール依存症者の心配によく耳を傾け、相談することが大切です。ときには医療機関へ同行することもありますが、同行が新たな依存関係を作り出す契機となることがありますので慎重さが必要です。

依存対象の移行とその対応

しらふの生きづらさ
アルコール依存症者が断酒を始めると、アルコールに依存していた彼等の多くがアルコール以外に依存を求めます。それは物質であったり、人間関係であったり、行為であったりと個々に違いはありますが、アルコールを飲めない空虚な心を紛らわすことは事実でしょう。断酒が継続していけば、時間とともにおさまっていくのが一般的ですが、少数ではあるものの断酒が継続しているあいだに、他の依存症に進行する人がいるのも事実です。
依存対象の移行はある意味では、当然と言えます。長年アルコールに依存していた彼らの多くがアルコールに依存できなくなったとき、時間の問題や心の空虚感などが現実となってきます。つまり、「しらふの生きづらさ」です。
アルコールを断って現実を振り返ったとき、そこには後悔が残ることになります。しらふの生活の乏しい彼らは心の空虚を埋めるために夢中になるものを見つけようとします。彼らがよく「アルコールと同じで、何かやり始めるとやめられなくなる」というように、もともとアルコールに依存した生活を長年してきた彼らや彼女らはアルコールに依存したと同じように、一つの依存対象にのめり込んでいく傾向がうかがわれます。しかし、断酒の継続は少しずつしらふの人間関係を積み重ねていき、「しらふの生きづらさ」を少しずつ改善していきます。生きづらさの改善は、アルコール以外の依存の対象を大きく求める必要が薄れていきます。例えば、パチンコに依存していた人が一般的な遊びとしてのパチンコヘと。しかしときには断酒は継続しているのに、完全にアルコールから移行した対象に依存してしまい、例えばアルコールは飲まないがギャンブルから抜け出せなくなり、借金をしてしまったというような人もいます。また薬物への依存が生じる人もいるし、異性に依存していく人もいます。そのような人たちは、アルコール依存症の治療とともに、他の依存対象の治療も必要になります。

(1)物質依存
コーラやコーヒーなどの嗜好品から麻薬(違法薬物)、処方薬などがあります。アルコールから違法薬物への依存の移行はまれです。コーラやコーヒーなどへの依存は一般的ですが、断酒当初に異常に大量摂取をする人がいます。しかし、断酒の時間の経過とともにおさまってくるのが一般的です。その他に不眠やイライラ感などを訴え、睡眠剤や精神薬を求め、処方薬物への依存が生じる人もいます。
(2)関係依存
依存対象のアルコールを飲めなくなった彼らの中に、人間関係に依存対象を求める人がいます。何かにつけて相談をもちかけたり、決定を委ねたりしながら他者を巻き込んでいきます。医療従事者が巻き込まれ、イネイブラーとなることもあります。
(3)行為依存
パチンコや競馬、競輪などギャンブルに依存する人も多くいます。アルコールを飲めなくなった彼らは「暇だから」とギャンブルにはまり込んだり、特に趣味のもたない多くのアルコール依存症は手軽に楽しめるパチンコに依存することがあります。少数ですがギャンブルに完全に依存する人もいます。中には仕事に依存していく人もいます。

嗜癖の種類
物質嗜癖:アルコール・カフェイン・シンナー・覚醒剤・ニコチン・アヘン・大麻・鎮痛剤・睡眠剤・処方薬、煙草等
行為嗜癖:ギャンブル・買い物・仕事・セックス・摂食障害等
関係嗜癖:恋愛嗜癖・共依存等

アルコール依存症者の自殺

日本における自殺者の動向
警視庁の発表によると、平成13年度の日本における自殺者数は3万1042人となっており、日本は世界トップレベルの自殺大国なのです。
自殺者全体の60%が50代・60代の中高年層となっており、50代の自殺の多くが「経済・生活問題」、60代の自殺は「健康問題」が原因となっています。昨今の不況の影響によるものか、「経済・生活問題」を原因とした自殺者は年々増加している状況です。ただ、自殺の動機として最も多いのが病気を苦にした自殺です。
また厚生労働省の平成12年人口動態統計年報によると、25〜34歳における死亡原因として「自殺」は1位となっており、35〜54歳においては悪性新生物(がん)に次いで2位となっています。中高年層に多い自殺ですが、実際のところ若年者においても見逃すことのできない問題になっていると言えるでしょう。
こうした世情を背景にして、日本における新生特別枠予算として「自殺予防対策プロジェクト」が立ち上がり、「自殺防止対策有識者懇談会」や関連する調査研究など、
国家的な取り組みが開始されています。

アルコール依存症者の自殺
自殺の背景にうつ病が存在することは、よく指摘されることですが、アルコール依存症者に自殺が多いことは、あまり知られていない事実と言えるでしょう。日本のアルコール依存症者にどの程度の自殺問題があるのかも、過去に3、4件の報告がなされているだけとなっています。

アルコール依存症は自殺に限らず「死」にとても近い病と言えます。飲酒時の事件・事故や、肝硬変・糖尿病などの内科疾患によるものなど、その死亡率はがんに匹敵するとも言われています。

アルコール依存症者の死因
①肝硬変  28.4%
②心不全  16.0%
③不慮の事故   12.3%
その他、がん、脳血管障害、自殺、糖尿病、肺炎など

有名な精神科医メニンガーは「アルコール依存症者には自己破壊行動が認められ、アルコール依存は慢性ないし部分的自殺である」と述べています。すべてのアルコール依存症者が自殺や直接的な自己破壊行動を行うわけではありませんが、自殺に関しても例えば平成12年に亡くなった方のうち、自殺によるものの割合は3・1%であるのに対し、猪野らの報告によると、アルコール依存症者で亡くなった方のうち、自殺によるものの割合は7・4%であったとの報告があります。一般人口に比べて、アルコール依存症者の自殺率は約2・4倍も高いことがわかります。
アルコールの大量摂取は内科疾患と同時に、抑うつ、無気力、幻覚、妄想といった精神障害を引き起こすのみならず、アルコール摂取が最優先の生活から二次的に発生する家族関係・人間関係の崩壊や失職、事件、事故などによって、最終的にはどん底まで落ち、「社会的死」と呼ばれる状態につながってしまいます。直接自殺を遂行しなくても、このような結末に至ることがわかっていながら飲酒を続けるのは、まさに自己破壊的な異常行動と言えるでしょう。アルコール依存症の死亡率は極めて高く、アルコール依存症者の平均寿命は52〜53歳、診断後の5年生存率は50〜80%とも言われています。

アルコール依存症者の自殺に関する最近の調査
アルコール依存症者の自殺については、近年調査が行われていないことを受け、アルコール依存症者の自殺について、その特徴や傾向を調べるために独自の調査を行いました。ここでは、その結果を報告したいと思います。
欧米と比べ日本のアルコール依存症者は自殺という転帰を取ることが少ないと言われてきましたが、調査によって日本においてもアルコール依存症者の自殺が増加していることが明らかになりました。

アルコール依存症者の自殺率

アルコール依存症者の自殺率

 

自殺企図率(実際に自殺をするための行為に及んだことがある)、自殺念慮率(自殺したいと思ったことがある)、自暴自棄飲酒率(このまま死んでもいいと酒を飲んだことがある)の3つの比率すべてにおいて、過去の先行研究よりも、高い比率でした。
また、自殺企図の経験がある人には、その自殺の手段も尋ねてみました。

自殺手段とその人数
飛び降り・飛び込み 9人
大量服薬 8人
リストカット 6人
大量飲酒 4人
その他 2人
綸首 1人
洗剤 1人
ガス 1人
首を差す 1人

結果としては、最も多くあげられたのが「飛び降り・飛び込み」であり、その次に「大量服薬」、「リストカット」と続いています。複数回答を許したので、延べ回答数になりますが、少数回答としては「首を刺す」「洗剤を飲む」などもありました。ちなみに過去の調査では服毒や綸首、リストカット、切腹などが多かったと言えます。

若年アルコール依存者の自殺
新しいデータほど徐々に自殺率が高率になっていたことを考慮すると、今回の調査においても年齢の高低によって違いがあるのではと考え、被験者を低齢群・高齢群に分けて、その自殺率の比較を行ってみました。調査対象者の平均年齢(51・5歳)を境にして被験者を低平均年齢群(以下、低齢群)と高平均年齢群(以下、高齢群)の二群に分け、低齢群の平均年齢は43・2歳、高齢群は58・8歳でした。低齢群と高齢群とではすべての項目において、数値の上で低齢群の方が高くなっていました。つまり、高齢群よりも低齢群のアルコール依存症者の方が、自殺を志向する念慮や行動が多いことが明らかになったのです。
近年、アルコール依存症の若年化やアルコール依存症の他の精神疾患との合併症の増加が指摘されています。恐らく今後はさらに、若年者のアルコール依存症者の自殺が増えることが予想されるところです。

今後の対策
アルコール依存症者にとって、死は危機であると同時に、死への恐怖が回復への強い動機づけにつながるとも言えます。「このまま飲み続けたら死んでしまう」という底つきの恐怖が、「死にたくない」「断酒したい」という強い思いへとつながっていきます。
しかし筆者らの調査では、アルコール依存症者が自ら命を絶つ傾向が促進されていることがわかりました。死への恐怖が回復の動機になるどころか、自ら死へと向かってしまうことは、アルコール依存症者に対する関わりがより難しくなっていることを示しています。
飲み続けることの危険性を前もって伝えることは、患者が回復へと向かう治療的関わりとしても重要になります。しかし、本調査で示唆されたように比較的若年のアルコール依存症者が自ら命を絶ってしまう状況になりますと、底付き体験を回復の動機づけにつなげて行く関わりを少し見直さなけれぱならないのかもしれません。
これまでアルコール医療においては、集団のアプローチが重視されてきましたが、今後は患者万人ひとりへのより細かい対応が必要になってきていると考えられます。一対一の個別による治療的関わりは、イネーブリングにつながることも多いため注意が必要になりますが、患者を取り巻く家族や職場、地域との強いネットワークを築き、早い段階で一貫した指導を行っていくことが重要になると思われます。
さらに、アルコール依存症に限らず自殺には、大量飲酒が見え隠れしていることも多いと言えます。日本人のアルコール梢費量は戦後ほぽ増え続けていることも考え合わせ、自殺予防の観点からも、特に学校場面においてアルコールの危険性に関する教育・指導により一層力を入れていく必要があると言えるでしょう。

家族の生と死の葛藤

アルコール専門外来で、アルコール依存症者を抱える家族を対象に意識調査を行いました。その意識調査とは「アルコール依存者と自分自身に対する死」についてどのようにとらえているか、というものでした。結果は、全体の8割以上の家族が「アルコール依存症者の死を考えたことがある」というものでした。また、「自分自身の死も考えたことがある」という人は、その半数の約4割に上りました。このことから、アルコール依存症という病が、いかに家族に精神的な影響を与えているということがわかりました。そして、家族が回復を願いつつも死を願うという矛盾の中で生きているという結果を得ることができました。

繰り返される飲酒問題の中で
長年、飲酒問題がある家庭内では、絶えず「飲む」「飲まない」ということに家族自身の行動や感情さえも左右され、とらわれていきます。また、アルコール依存症者が飲み続けることは、この病気が「死と隣り合わせにある病」と言われていることからも家庭内においても同様に「死」ということを意識した状態が強いられていくのです。
アルコール依存症者は、飲み続けることによって確実に身体と心を蝕み、そのまま進めば死という最悪な結果を招くことになる病です。また飲酒時に起こる事故、自殺という危機的な状況にも陥りやすいので
す。そのような姿を見続けていく家族にとっては、「いつ何が起こるかわからない」という状態で安心して生活を送ることができなくなります。
さらには、アルコール依存症者を抱える家庭内では、飲酒時の暴言、暴力、子どもに対する虐待が少なからず起こっており、家族自身が危機的な状況に陥ってしまっているということも少なくありません。
このように家庭内に飲酒問題を抱えた状態が続くと、家族は、「この人さえいなければ」「この人のせいで」という恨みの気持ちや被害者意識をもったり、「もうこの人はあてにしない」というあきらめの気持ちが生まれ、家族の中からアルコール依存症者を排除した形で家族構成を考えるようになります。しかし、そのような恨みやあきらめという気持ちのまま一緒に生活をし続けていくことは苦しいものです。よく家族から「もう、この人とはやっていけない、別れます」という言葉を聞きますが、実際に行動に移せた人はほんの一握りです。むしろそう思いながらも一緒に生活を続けている家族の方が多くいます。このように問題が長引き、慢性化することで、家族の葛藤は続き「治って欲しい」と思う気持ちと「いっそ死んで欲しい」と願う気持ちが交錯し、家族全体が心身ともに不健康な状態になってしまうのだと思われます。

家族が抱える矛盾
アルコール専門医療機関では、アルコール依存症者の治療だけでなく、その家族に対しても「家族会」として治療グループを行っています。筆者は、クリニック在職中にそのグループを担当してきました。家族会では、いかに家族が、アルコール依存症者に対して矛盾した行動と気持ちの中で、葛藤しているかということがわかりました。
家族は、これまでアルコール依存症の本人に対して、飲ませないための努力をたくさんしています。酔っている本人に対して、真剣に怒り、なだめ、言い聞かせて何とか飲酒をやめさせようとしたり、翌朝になれば本人の記憶が気薄であったりしても、繰り返し家族は徒労に終わってしまうような関わりを長年続けてきたのです。それ以前にさかのぽれぱ、飲む生活を手伝い続けてきたという経過があります。「もうこれ以上は飲んで欲しくない」「明日は飲まないで欲しい」と思いつつも、飲み続けている本人を支え続けてきたのです。そして、家族が支えれば支えるほど本人の飲酒問題は進み、ますます家族は手を離すことができないという悪循環に陥ってしまうのです。

このように本人に酒をやめてもらいたいと思いながらも、家族のとった行動には、矛盾が生じてきます。
そして、飲み続けていけば、この病気は死に向かっていくという危険性が高くなるのです。危険性ということで言えば、飲んでいる本人が、家族に暴力を振るい家族自身の身が危険にさらされることも少なくありません。クリニックには、顔や腕にあざを作っても逃げることもできずに一緒に生活をしているという家族が、相談に訪れることもありました。家族の身の危険を感じて「逃げるように」と伝えますが、殴られても、蹴られても離れることができないという家族が少なくありませんでした。また、暴力という問題がなくても、飲酒問題のある家庭は、その問題がない家庭とは緊張感が違います。アルコール依存症の本人がアルコールにとらわれているのと同様に家族自身も「飲む」「飲まない」というアルコール依存症者にとらわれた生活を送っていることが多いからです。
長年このようにとらわれた生活を送っていると、家族の中には「治って欲しい」と思う気持ちと「いっそ死んで欲しい」と願う気持ちが交錯し行動の矛盾だけでなく、感情にも矛盾が生じるようになるのではないかと思われます。

家族が「死」を意識するとき
家族会の中では、多くの家族が一度は「死」という言葉を口にしています。一般的に「死」について語ることは、敬遠されがちなものですが、家族会という場では、家族自身が安心して自分の気持ちを伝えられる場としての機能もあると考えているので、逆にその感情そのものを話し合いとして取り上げることも少なくありませんでした。その中では、「このまま飲み続けて死んでしまったらどうしよう」というアルコール依存症者の死を怖れる家族の思いを語られることもありましたが、率直に殺意ともとれるような発言をする家族も多くいました。例えば、それは「このまま飲み続けて、いっそ死んでくれたらどれだけ楽かと思った」という消極的とも言えるような殺意から「殺したい」というはっきりとした殺意を示すような言葉まであり、アルコール依存症の本人たちがその場にいたら、居たたまれないと感じるのではないかと思います。実際に「飲んで、酔いつぶれている本人の首に手をかけたけれど、子どもを殺人犯の子どもにしたくないと思って踏みとどまった」「刃物を取り出し夫を刺そうとしたが、相手にかわされた」など一歩間違えば、大きな事故、事件につながっても不思議ではないという体験を語られた方もいました。また、殺意はアルコール依存症者本人に向けられるものばかりでなく、悲観して「死」を考えるという家族自身に向くということもあります。「死にたいと思って、ビルの上にあがったが、実行できなかった」など今、家族会の場にいることそのものが、その人が生きているということにつながると思えることも少なくありませんでした。
このように家族の声を聞き続けていくと、「死」というものが、いかに家族にとって身近なものであり、「死」を考える生活を余儀なくされているかということがわかります。過去アルコール医療において、家族は「治療の協力者」という位置づけにされた時代、「治って欲しい」と思えばこそ「死んで欲しい」などという気持ちを口にすることなどありえないとされてきました。しかし、家族の多くは、アルコール依存症という病を抱え続けることによって、身内の死に対する意識が健康な家族と異なってしまってきたということが言えるのです。

調査の先に見えたもの
昨年行った調査のきっかけとなったのは、家族会の中で家族の多くが「治って欲しい」という思いと「いっそ死んで欲しい」と願う気持ちが交錯しているということに気がつき、その家族の葛藤を明確にすることで、アルコール依存症という病が家族に与える精神的な影響を推し量ることができるのではないかと考えたからです。そして、調査を行うことで、アルコール問題の家族側の苦悩を知る手立てにもなるとも思いました。事実、結果は、アルコール依存症という病が家族に与える精神的な影響の深刻さを推し量るには、充分すぎるものとなりました。
調査は、アルコール依存症者を抱える家族、83名の方からの有効回答をもとに分析しました。有効回答者の平均年齢は47・3歳で約8割の人が、現在依存症本人と同居中でした。また、続柄として配偶者が8割強で残りは、親、子どもという順番でした。依存症者の断酒状況については、6割近くが現在断酒中で平均断酒期間は3、4年でした。
調査結果で最も目をひいたのは、先にも述べたとおり、調査を行った対象者のうちアルコール依存症者が、現在断酒中という人が6割近くであったにもかかわらず、死を考えたことのある人が全体の約8割を
超えているということでした。さらには継続的に死を考えていると答えた人(19名)のうちアルコール
依存症者が現在断酒中と回答した人が約6割強もいたことから、飲まなくなったからといってすべての問題が解決するわけではなく、長期的に精神的な影響を与え続けているということが改めて認識されました。
近年、アルコールによる事故、事件が取り上げられる中で、飲んでいる本人だけでなくその家族の対応についてもクローズアップされてきていますが、家族の苦悩が危機的状況にあることへの理解に乏しいのが実状だと思われます。あえて、タブー視されがちな「死」に対する意識を調査することによって、社会に対しても家族の苦悩を伝え、理解が得られるようしていくことの重要性を強く感じた調査となりました。

そして、今回の調査の結果から「アルコール依存症者を抱える家族が、身内の死を思うほど苦しんでいる」ということを理解して関わる必要性を感じました。家族の抱える「生と死の葛藤」についてきちんと見つめていくことが、家族自身の回復にもつながる大切なプロセスであると思います。

アダルトチルドレンの相談とミーティングを通して

1989年、アメリカのクラウディア・ブラックが「私は親のようにならない」というアダルトチルドレンを扱った翻訳本の出版を機に、アルコール依存症の家庭で育った子どもたち(ACOA=アダルト・チルドレン・オブ・アルコホーリクス)の問題に関心がよせられるようになりました。
日本でも1980年代の終わりごろから専門家の間でシンポジウムが開かれたり、アダルトチルドレンに関する翻訳や出版物が多く出されその概念も広がりを見せていきました。「ACOA」から「ACOD=アダルト・チルドレン・オブ・ディスファンクショナルファミリー」という「機能不全家族」へも目が向けられていきました。現在は自助グループを始めとしてクリニックや保健所などでも相談の窓口が開かれ、その支援機関の広がりの早さは目を見張るものがあります。

クリニックでの試み
某クリニックではアダルトチルドレンの相談、ミーティングを行ってます。当初アダルトチルドレンという言葉がそれほど浸透しておらず医療関係者からも「アダルトチルドレンって何ですか?」「どういうミーティングをやっているんですか?」などの質問がよせられたりしました。アルコールの専門家の中には以前より「子どもの問題をとりあげなければ」という声や意見があったのですが具体的に相談やミーティングを行うまでにはいっていませんでした。
アルコール依存症の家族(多くは妻)を対象にした「家族教室」は治療プログラムとして欠かせないものとなっていましたが、その娘や息子といった子どもたちの立場は少し趣が異なりました。そこで、月2回、夕方の6時〜7時半、「アルコールの問題のある家庭で育った子どもたち」のミーティングがスター
トしました。
まずクリニックに通院しているアルコール依存症で10〜20代の子どものいる方に声をかけました。今まで言われてきたように、本人やその妻に「実を言うと自分の父親も大酒飲みで……」という方が多く見られました。また「不眠」や「職場の人間関係がうまくいかなくて」とうつ症状で受診される方のインテークや面接の中で、家族歴を聞いていくと「親」のアルコールの問題が浮上してくるということもありました。その他にアルコールの問題はなくても両親の仲が悪く、ものごころついたころより暴言や暴力を受けていたという機能不全(ACOD)の家族の問題につきあたることもありました。このようにアダルトチルドレンの相談もアルコール依存症本人、妻、子ども、またアルコールが絡んでいない「ACOD」の相談など多様で、数年間は試行錯誤の状態でした。

10年後のKさんとの出会い
私がN病院のアルコール病棟に勤務していた頃、仕事を終え駅のホームで帰りの電車を待っていたときです。向かいのホームに入院中のBさんの妻が暗く思い詰めた様子で電車を待っているのが見えました。家族教室か面会の後かもしれません。背中に子どもをT人おぶって二人の幼児の手を引いていました。風の冷たい寒い日でした。「大変そうだな、子どもたちが早く暖かい部屋に帰れればいいな」と思いました。
次の日、病院でBさんに昨日の家族のことを話し「もう家族に迷惑をかけられないですね」と言うとBさんは神妙な顔をして「わかりました」と頭を垂れました。その後退院したBさんは自助グループにつながり断酒を継続していきました。
病院からクリニックに職場を移した私はアダルトチルドレンのミーティングでBさんの子ども、寒い日に手を引かれていたKさんと10年後に出逢うことになりました。Kさんは中学を卒業して食品会社に就職するのですが、上司との関係がうまくいかなくて相談にみえました。驚いたのは上司から時々殴られることがあるという訴えとその暴力に耐えているKさんの姿でした。話を聞いていくと、断酒を続けている父親のBさんはストレスが溜まると家族に暴力をふるっていたのです。Kさんにとって父親や上司から殴られることは「日常化」して当たり前のことになっていたのです。またKさんは中学の部活の先輩からも殴られることがあったとのことでした。相手の表情をうかがって自信なさげなKさんの態度が「いじめ」「いじめられ」関係を助長しているようにも思え「暴力に対しては逃げること」「距離を置くように」と言ってきました。
その後Bさんは食道がんで死去し、Kさんも職場をやめアルバイトを転々としながらも一人でアパート生活を送るようになりました。面接やミーティングに参加する中で少しづつ落ち着きを取り戻したKさんが「仕事の都合でミーティングには出られなくなりました」といってから10年が過ぎようとしています。現在、結婚や恋愛といった配偶者選択の年齢になっているKさんが平穏で幸せな生活を送っていることを願っています。

親へのうらみつらみを吐き出したYさん
Yさんは父親が入院していたアルコールの専門病院より紹介されてミーティングに参加し始めた方です。「家族会」に参加していたのですが父親の退院を機に「アダルトチルドレンのミーティングの方がいいのでは」とソーシャルワーカーに勧められました。学生時代は成績もよく先生からも目をかけられる典型的な優等生タイプでした。やせて可愛くなればもっと先生に可愛がってもらえるのではとダイエットを始めますが、思うようにいかず下剤の大量服薬をするようになります。ミーティングに参加するようになって下剤の服用量も減ってきたということでしたがYさんの親に対する「うらみつらみ」は激しいものがありました。また、ミーティングの中ではアルバイト先やサークルの人間関係がうまくいかない、自信がもてないなどの悩みを話していました。自分が人とうまく距離がとれないのはみんな「親のせい」だというのです。Yさんの怒りは父親だけでなく母親にも向けられました。「父親が暴力をふるうとき止めにはいってくれなかった」「授業参観にきてくれなかった」「いつも否定的で励ましてくれたことがない」など毎回親への「うらみ」が出てきました。まさに吐き出すという感じでした。Yさんはミーティングに通っている間に結婚して、専業主婦となりましたが、Yさんの悩みは「料理教室の仲間とうまくいかない」「どう距離をとっていいかわからない」「姑とどう付き合ったらいいかわからない」など自分をとりまく身近な人間関係の悩みへと変わっていきました。誰でも多少は抱える悩みです。ミーティングに参加して3年が経った頃、ずっとうらやましいと思っていた海外旅行に夫と行けた喜びを語ってYさんはミーティングを終了しました。
なかなか自分の「問題」へ目を向けようとしないYさんのような人に対して「完全な親はいない。自分の問題を見つめるように」と言いたくなってしまうのですが、最初はただ話を聞くという時期も必要なのではないかと思えるようになったのは最近になってからです。もらえるはずのものがもらえなかった恨みにたいして「あなたが背負わなくていい。親のせいにしてもいい」とこちらもゆったり構えて受け入れることができるまでには随分時間がかかったような気がします。ただ、参加しているメンバーから「結局自分が変わらないとね」などの発言があったりするとグループのありがたさを感じます。参加メンバー同士で連絡をとりあったり支えあったりということもあり私自身もそれを見守るという形になってくるとミーティングも楽になってきます。

さまざまなアダルトチルドレン相談
KさんやYさんのように病院、保健所などの酒害相談などを経て紹介される人の他にアダルトチルドレンの本を読んだという人もいます。アダルトチルドレンの本が出されたときは「これだと思った」「自分の問題をつきつめると親との問題にぶつかる」などの電話やメール相談が多くよせられました。共通するのは、①子どものころより長期間にわたって両親の不仲による葛藤を目の前にしてきた、②不安が強く自信がもてない、③人との距離の取り方がへた(親しくする順番がわからない)、④人の顔色をうかがい気に入られようとして頑張りすぎて疲れてしまう、という方が多く見られます。アルコール依存症の家庭の中では「話すな」「信じるな」「感じるな」といった「ルール」が支配してしまうことがあり、長い間その中で生育する子どもへの影響は少なくありません。C・ブラックは「私は親のようにならない」という本の中で「責任を背負い込むタイプ」「順応するタイプ」「なだめるタイプ」などアダルトチルドレンに見られるタイプをあげています。クリニックの相談やミーティングに訪れるアダルトチルドレンはほとんどその中の「優等生タイプ」の方です。年令も20代が大半を占め、そろそろ親から独立をする時期、就職や恋愛(失恋)問題の壁につきあたり自分と向き合わざるを得なくなって「生きづらさ」を感じるようです。一時間の面接が「恋愛相談」になることもあります。

実らない恋愛を繰り返すMさん
Mさんはアダルトチルドレンの本を読んで相談にみえました。目のぱっちりとした美人で海外留学もした才女です。妻子ある男性との不倫、生活力のない男性との同棲などを繰り返し、結婚を約束した人と寸前で別れ、落ち込みが激しいということでした。このように自分の恋愛がうまくいかないのは自分の育った家庭が複雑でその後遺症が尾をひいているのではというのがMさんの訴えでした。とりあえず面接を約束して「相手に合わせ過ぎない」ことと「自立」について話し合いました。3回目の面接を終え、Mさんは「しばらく様子を見て調子が悪いようであれば再度来院するように」と伝えました。一ケ月経ったころ「また留学をして再出発をしたい」と電話がありました。Mさんのように数回の面接だけで終わる人もいます。

「医療」の対象になる人ならない人
症例としてあげた3人の人はミーティングと面接だけで医師の診察や服薬ということはありませんでしたが相談を受けた段階で「精神科受診」が必要かどうかの見極めは難しい問題です。「不眠」や「落ち込み」がひどいときや本人が希望するとき「診察」を受けていただくこともあります。ただ、医療でなくても安心して話せる「場」があれば方向を転換できる人にとってこれからますます自助グループや気軽に相談できる機関の充実が望まれます。またACの相談やミーティングに女性の参加者が多いということは、まだ、女性が家族の「世話役」を担わざるを得ないという社会的な状況や背景があるように思われます。

「家族問題」としてのアダルトチルドレン
アダルトチルドレンに関する相談はアルコール依存症本人からも「子どもの非行やひきこもりで困っている」と親の立場で寄せられることもあります。「非行」や「ひきこもり」のアダルトチルドレンが病院やクリニック等の相談機関に登場することはないのですが、本人の再飲酒のきっかけになることも多く悪循環の繰り返しになる危険があります。
特に女性のアルコール依存症で離婚歴のある人は相談できる夫もいなくて対応に樵悴してしまうこともあります。夫が居ても協力が得られなかったり「お前が酒を飲むからだ」とかえって責められるということもあります。Tさんは家族を顧りみない夫と中学生の娘の非行で頭を悩ませていました。不登校、無断外泊、万引きで補導されたり、「娘の対応は酒をやめることより大変です」と話していました。ミーティングや面接では自分のことより娘の対応の話が中心になり、「昨日もよく眠れなかった」「私が酒ばかりのんでいたから」と自分を責める発言が増えていきました。クリニックだけでなく児童相談所などの援助も必要になってくるケースです。娘の非行をきっかけにTさんは児童相談所で夫婦カウンセリングを受け始め、仕事が忙しいと言ってはなかなか関わってくれなかった夫と話し合うことが増えていきました。クリニックの面接ではTさんに「まず自分が断酒を続けることを優先し、娘に対しては夫婦で一定した態度をとること」を伝えましたが、この場合アルコール依存症本人のTさんが「家族」の立場で対応を迫られることになります。このようにアダルトチルドレンの問題は子どもだけの問題だけでなく家族間の人間関係の調整にも向けられていきます。
一年が過ぎた頃娘はなんとか中学を卒業しアルバイトをしながら美容専門学校に通うようになりました。相変わらず親に対する反発は残っており、家にはほとんど帰ってこないのですが、自分の居場所だけは連絡してくるようになったそうです。家族のそれぞれが血みどろになって自分の生き方を模索していたのではないでしょうか。「問題行動」の中に「健康性」へ向けての「キーワード」があるのかも知れません。

アダルトチルドレンの回復(成長)とは

相談やミーティングに訪れるアダルトチルドレンの人と接して10年が過ぎました。その間アダルトチルドレンをめぐるさまざまな論議もありました。現在、専門家の間では「病気ではない。自分をアダルトチルドレンと自己申告すればアダルトチルドレンである」というのが定着しつつあります。クリニックを訪れるアダルトチルドレンの方も「なんとなく生きづらい」方たちが大半を占めます。親との関係を振り返ることで自分の行動や考え方を変えて、楽になったというのであればそれでいいのではないかと思います。ミーティングの中で「いつまでも干渉をやめない親と相変わらず衝突したりするが、親もかわいそうな人だと思えるようになった」と語った人がいます。大きな「憎しみのかたまり」だった親の存在が小さくなっていくとき、アダルトチルドレンの「回復」というより「成長」があるのではないでしょうか。
「回復」でなく「成長」とあえて表現したのは生きていく生活の中で「悩み」や「迷い」といったものはなくならないということを受け入れていくこと、それには自分を大切に、受容していくことが基本になってきます。それにはとりあえず「それでいいんだ」と言ってくれる他者(仲間)と安心できる場が必要です。

 

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