ノックビン(ジスルフィラム錠)

アルコール依存症治療薬レグテクトから抗酒剤ノックビン(ジスルフィラム錠)に変更。強制的に酒を飲めない体質にする訳だから、抑止力の差は歴然。

アルコール依存症治療の変遷

      2016/12/10

アルコール依存症治療の変遷

日本のアルコール依存症の治療は、1980年代になり本格的に始まったといえます。私には当時のアルコール依存症の治療が現在のような展開を見るとは想像も付きませんでした。そのような予想も付かなかったアルコール依存症治療の変化を振り返ってみます。

アルコール依存症治療の歴史の短さ
アルコール依存症の歴史を考えたとき、日本のアルコール依存症は第二次世界大戦後の高度経済成長とともに増加していきました。それ以前は著名な人や裕福な人たちがアルコール依存症と思われる症状を呈している記述はありますが、それは一部の人たちのことと思われます。なぜならば庶民にとってアルコールは高価なもので毎日飲めるものではなく、冠婚葬祭などに限られていたからです。戦後の高度経済成長とともにアルコールは安価となり一般庶民でも手軽に飲めるようになりました。このような急激な社会情勢の変化に伴い、アルコール飲料の一般化は庶民のアルコール依存症者の出現を見るようになりました。アルコール依存症の増加に対し医療は、対象療法として精神科がその対処を迫られたと言えます。確かに飲酒時の反社会的言動や自己中心的な言動、離脱期の精神症状は精神科の分野でした。しかしその治療を求められた精神科がアルコール依存症者の巻き起こす問題に振り回され、治療というよりも収容が中心になったともいえます。1970年代の精神病院は「アルコール依存症者の入院していない病院がよい病院である」と公然と語っていた精神科のスタッフがいた程でした。アルコール依存症は治療されるべき多くの精神病院で回復しない病として、例えば異常性格者などの病名で精神病院の厄介者として治療を受けていました。その一方でアルコール依存症者は新しく開院した精神病院などが患者数の増加のために入院を受けていったという事実も存在しました。
1975年当時、アルコール専門病棟では、それまでの伝統的な精神科療法である個人精神療法、集団精神療法、心理療法、作業レクリエーション療法、家族療法などをアルコール依存症者の治療に当てはめ、医療のみでアルコール依存症者の回復を求め暗中模索していました。結果は散々なものと言わざるを得ませんでした。しかし、その後は自助グループ(断酒会、AA)などとの連携でアルコール依存症者の回復を証明していきました。

専門性の拡大
1963年国立療養所久里浜病院にアルコール専門病棟が開設され、ほぽ同時期に国立武蔵療養所にも開設されました。そして10年後の1974年に東京の成増厚生病院に民間の精神科で初めてアルコール専門病棟が開設されました。その後、全国にアルコール専門病棟が開設されていきました。そのようなアルコール依存症医療の展開に、東京都では1982年「アルコール精神疾患専門病棟施設整備費等補助金交付要綱」が作られ、民間精神病院のアルコール専門病棟の増設に補助金を拠出し、アルコール依存症者
の専門的治療を進めました。
1981年には、大阪に小杉クリニックが開院し、外来でアルコール依存症者の治療を試みることになりました。東京にアルコール専門クリニックとして周愛クリニックが開院したのは小杉クリニックが開院してから5年後の1986年のことです。その後全国にアルコール依存症の治療を通院で試みるクリニックが増加していきました。

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MACが果たした役割

アルコール依存症者の地域ケアを語るとき、1978年に設立されたMAC(メリノール・アルコール・センター)を抜きにしては語れません。1993年版「アルコール白書」には、これを評価して以下のように述べています。「当時の日本では単身のアルコール依存症者への処遇は困難とされ行き詰まり状態であったが、MACからの単身の回復者達はAAの活動が急進するきっかけとなっただけでなく、多くの単身者を抱える施設や病院、福祉事務所への処遇の活路を開くきっかけを与えた」と。筆者は、精神病院、保健所、クリニックなどさまざまな場においてアルコール・ケアの実践を積み重ねてきました。

MACの沿革
MACを検討するには、自助グループの歴史からひも解かなければなりません。AA即ちアルコホーリクス・アノニマスは、1935年アメリカで依存者自身たちによって創設された回復プログラム(回一ステップ)をもつ自助グループです。この影響を受け1963年我が国に全断連が結成されました。日本の
AAは1975年から東京蒲田で開かれ、その中のメンバーであったジャン・ミニー神父が単身者の中間施設「大宮ハウス」を開設しました。さらに1978年、東京三ノ輪に設立されたMACは「大宮ハウス」で回復したメンバーが人材的基盤となり運営していきました。こうしてMACのアルコール・デイケアは「山谷どや街のアル中たち」のリハビリ・プログラムとしてスタートしました。
そのアルコール依存症者の専門的対応に出会う人たちは、他の疾病の治療やケアとの余りにもかけ離れた在り方に、違和感を覚える向きもありました。こうした気持ちが「アルコール依存症は病気か?」「ミーティングは治療か?」という形で表明されることも多いと思われます。このような感覚が家族や本人はもとより治療スタッフにまで根強く、これが「否認」の原因となっているIつとも考えられます。

治療したい人への社会保障
1977年、生活保護法「移送費の一部改定」が行われ「断酒会等に通うための交通費を支給」することを国が認める形となりました。ここに来て初めて「労働できない身」であっても、ミーティングやデイケアや共同作業所の活動に参加するなら、その生活が保障されるということです。端的に言えば精神病院を退院してすぐに働けない者にも生きて行く道が開かれました。これは地域精神医療の実質的先駆けと思われます。
以上のように、我が国の医療行政に果たしたMACの役割は大きく、それだけに深く立ち入った検討も必要と思われます。その意義の第一は、治療を「ミーティングからミーティングヘ歩く事」の生活枠に統合したことです。病気について、回復について、すべては生活の中で仲間同士が語り合うのです。ここに既に地域治療ユニットの原点が見られます。

MACとミーティング
MACは当初「山谷どや街のアル中」を対象としたことからその方法論は特殊扱いされ異端視され過ぎた嫌いがあります。治療的生活が「ミーティングからミーティングヘ歩く事」の上に置かれたことは、回復を望むアルコール依存症者にとっては「一緒に歩いてくれる」仲間の存在こそ心強さの原点となったと思われます。その上に社会保障のバックアップがあり、アルコール依存症治療への社会的共感があり、運動的にも盛り上がらないはずがありませんでした。しかし反面この方法は当初から「実行が主で中味を問うのは後回し」になる傾向をはらんでいました。多少の障害があってもとにかく「やろう、やろう」との熱意が先行し、陰性症状が不問にふされていく傾向については、それが決して小さな問題ではなかったことと思われます。しかし入院医療を主としていた当時の治療観を一変させたのは他ならぬMACの功績です。ミーティングが治療であることについて、社会の承認を取り付けたことも同様にMACに負う所が大きく、MACの果たした役割は社会的側面から治療的側面に至るまで幅広いものと思われます。

肉体の病としてのアルコール依存症者
MACの意義の二つ目は、アルコール依存症の本質即ち飲酒行動のコントロール喪失は「肉体の病」と単純化したことです。しかし我が国ではこれが「身体の病であり、心の病であり、社会的病である」と言われてきた経緯があります。J・ミニーは東洋的定式化の曖昧性に反撥したのでしょうか?「アメリカには心という言葉はありません。もし心の病気だったら私はアル中にはなっていません」と言ったといいます。「肉体の病」という概念は、日本AAのバイブル「アルコール中毒からの回復」にも見られることから、すでに1アメリカ人の意見ではなくなっていたことがうかがい知れます。

MACの治療観
そうなった理由は3点ほど考えられます。
第一点は、当時の精神病院における処遇の行き詰まりを見たJ・ミニーが「日本ではアルコール依存症は実際問題として病気という立場から捉えられていない」と断定した状況にあります。彼が「どや街のアル中」に関わったのは「回復しないといわれる彼等が回復すれば、日本のアルコール医療関係者は病気と認めるかも知れない」と考えたからでした。
第二点は単身者の病院(施設)依存と戦わなけれぱならなかったからと思われます。「だめ人間(心が)だからアル中になる」という公式を「真に自分(の肉体)に必要なミーティングならば回復できる」という形に覆してみせる必要があった。さらにうがった見方をすれば、「精神疾患の治療方法ではだめです」と言いたかったのかもしません。
第3点は治療戦略として用いられたことです。アルコール依存症が「肉体の病」であるからには過去は「症状がやらせた」ものとして免責されることです。つまり「病気の間にしたことは病気がやらせたのだからくよくよしても始まらない」と説き、そのかわり「治療する責任」を要請しました。具体的にはミーティングに出続け、「治すことに徹底しなさい。それ以外のこと(仕事)はとりあえずしないこと」でした。MACの場合一日3回のミーティング、3ヶ月90日で二70回に及ぶプログラムでした。そうしながら「できる範囲での埋め合わせ」が勧められ、「肉体の病気」の治療の先には、AAの霊的なプログラムが控えていました。

市民運動、相談室

1983年には東京都精神医学総合研究所に国立久里浜病院でアルコール依存症の医療を積極的に行っていた斉藤学医師が赴任し、保健所、都立松沢病院での活動をアルコールのネットワークセラピーという形で広め、アルコール依存症に関わる人たちに大きな影響を与えました。
そのような中で1987年には、原宿に有料でアディクション問題の相談を受ける、原宿嗜癖問題研究所附属相談室(CIAP)が開設されました。その後有料でアディクション問題の相談を受ける相談室が全国に広がっていきました。
並行して市民運動が始まり、1983年にはアルコール問題全国市民協会(ASK一現アルコール薬物問題全国市民協会)がアルコール依存症のみならず、日本におけるアルコール問題をとらえていきました。
例えば、青少年の飲酒、酒類の自動販売機などの問題、アルコール依存症の予防活動など幅広く問題としていきました。また1986年にはアルコール問題を考える会(AKK‥現アディクションを考える会)が設立されました。

アルコール依存症の啓蒙と予防

社会の変化はアルコール依存症の早期発見、早期治療にも影響を与えました。それは過去のアルコール依存症の治療を振り返ることでもうかがいみることができます。
1980年代前半までのアルコール依存症と診断された多くの人たちは失職し、家庭破綻していたと言えます。そこまで進行したアルコール依存症は先にも述べたように、精神科への入院を余儀なくされ、その治療に関わる人たちがアルコール依存症に絶望感を抱いたと言わざるを得ません。アルコール依存症は突然に病気になったのではなく、長年の飲酒においてアルコールヘの依存傾向が高くなり病気を形成していったのです。当時の医療では、早期発見、早期治療など考えられることもなく、精神病院に入院するしか方法はなかったと思われます。1980年代から始まった、保健所、精神保健センターの酒害相談の展開はアルコール依存症の予防と啓蒙に多大な影響を与えたものと思われます。一般市民がアルコールの問題を相談できる場と人が、公的機関により確保されたからです。アルコール依存症の診断はついていなくても、とりあえずアルコール関連問題の相談ができるようになったのです。本人の相談とともに家族の相談も受けることで家族問題としてのアルコール依存症への理解も広めていき、当然早期発見、早期治療のケースが登場するようになりました。

アディクション
1980年代後半には、大きなアルコール医療の流れは一段落し、それぞれの病院や施設が内容の充実に展開していった時代とも言えます。内容の充実はアルコール依存症者のクロスアディクション(アルコールと違法薬物、ギャンブル、多重債務など)の問題なども浮き彫りにしました。また子どもたちのアディクション関連問題として、虐待、摂食障害、ひきこもり、不登校などのACOAの関連が浮上し、1989年のC・ブラックによる「私は親のようにならない」の翻訳本の出版を契機に、アルコール医療関係者の多くが子どもの問題に関心をよせるようになりました。アディクション問題や思春期・青年期問題が機能不全家族と大きく関係していることが明確となり、アルコール医療者の多くの人がアディクション(嗜癖)治療へとシフトしていっています。

アルコール依存症関連のトピックス

1963年  全断連(全日本断酒連盟)発足
国立療養所久里浜病院にアルコール専門病棟開設
1965年  アルコール医学会(現日本アルコール・薬物医学会)設立
1974年  民間の精神科で初めて東京の成増厚生病院にアルコール専門病棟開設
1975年  日本AA(アルコホーリクス・アノニマス)発足
アルコール中毒臨床医等研修(国立療養所久里浜病院にて)
1977年  生活保護法「移送費の一部改定」
1978年  三ノ輪MACオープン
1979年  日本アルコール医療研究会(現日本アルコール関連問題学会)発足
1980年  アルコール健康医学協会設立
アルコール・デイケア(成増厚生病院)開始
1981年  東京都精神衛生センターで酒害相談はじまる
小杉クリニック開院(大阪)
1982年  「アルコール精神疾患専門病棟施設整備費等補助金交付要綱」が作られ病棟の整備はじまる
1983年 アルコール問題全国市民協会(ASK:現アルコール薬物問題全国市民協会)設立
1985年  アルコール医療研究(現アディクションと家族)創刊
薬物依存症者リハビリ・センター(DARC)開設
1986年  周愛クリニック開院(東京)アルコール問題を考える会(AKK:現アディクション問題を考える会)、アルコール・ソーシャルワーカー協会(ASW協会)設立
1987年 原宿嗜癖問題研究所附属相談室(CIAP)開設
1989年 クラウディア・ブラック著/斎藩学訳『私は親のようにならない』出版
1990年 日本アルコール看護研究会発足、嗜癖行動学会発足
1993年 日本アルコール精神医学会発足
2001年 ドメスティック・バイオレンス防止法成立
2002年 日本アディクション看護学会発足

 

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