ノックビン(ジスルフィラム錠) アルコール依存症治療薬

アルコール依存症治療薬レグテクトから抗酒剤ノックビン(ジスルフィラム錠)に変更。強制的に酒を飲めない体質にする訳だから、抑止力の差は歴然。

心の病としてのアルコール依存症

      2016/12/10

心の病としてのアルコール依存症

アルコール(中毒)症への転落

石川達三の小説に「転落の詩集」というのがある。小説はロマンチックだが、ここに記す転落への道はわびしくはかない。
酩酊は、急性アルコール中毒であると書いた。しかし、一般に酔いがさめればしらふになり、また、日常の彼にもどるので、誰も一度や二度、酔った姿を人に見せても、アル中だとはいわれない。だが、いつも酒くさい臭いをさせている人や酒か入らなければ元気の出ない人を見るとアル中ではないかと疑うようになる。
このアル中という用語の意味は一体どうなのかと開き直って尋ねられるとまことに困るのである。
大体、中毒という用語は、英語でpoisoningとかintoxicationといわれるものの訳語に当たるもので、したがって、酩酊を「急性アルコール中毒」と呼ぶのは妥当と考えられる。ところが厄介なのが、「慢性アルコール中毒」と呼ばれるものである。なるほど、アルコールを慢性に飲用した結果におこる病的症状であるから、これに対して、「慢性アルコール中毒」と呼ぶのは、論理的にそれほど不自然ではない。ところが、この病的状態の判断がそう簡単ではない。長期のアルコール飲用によって明らかに手がふるえ、眼がかすみ、肝臓がいかれてしまう状態になれば、「慢性アルコール中毒」の診断はある意味では容易である。しかし、それらの症状がすべてそろうことはむしろまれなので、実際は難しいのである。大体が、みずからは病気とは思っていない御大に対して、「あなたはアル中である」と宣告するわけだから、よほど頃重にしないと人権問題にもなりかねない。

ノックビン(ジスルフィラム錠)の通販は、こちら→お薬館

アルコール依存症と呼ぼう

さて、この病名のことであるか、アルコールを長期間飲用することによって起こる「慢性進行性の疾患で、精神、身体的障害をきたすもので、アルコールに対する依存性の強い」ものに対して、「慢性アルコール中毒」(Alcoholismus Chronicus)という名前をつけた最初の人は、スウェーデンのマグヌス・フス(一8四九年)という人であった。
さて、このアルコーリズムという用語についてであるが、その後、多くの学者によってさまざまな意味に用いられ、実のところ、今日でもなお必ずしも正確に定義されていない。だが、今ではアルコーリズムという場合は、大体、急性中毒は含まない場合が多くなってい
る。だからわざわざ慢性アルコール(中毒)症といわなくてもよいということになってきた。アメリカ精神医学協会の定義では、アルコーリズムは、「飲酒反復によって現われてくる慢性疾患であり、飲酒者自身の健康、彼の社会的、経済的働きを損うもの」とされている。
要するに酒を飲みつづけるうちに慢性の疾患が生じて、身体的・精神的健康が侵されて、社会的適応性を失う状態になれば、アルコーリズムということになる。
「慢性中毒」という用語についても、アルコーリズムの場合は、公害病などの場合とは成立機序も異なるし、アルコールの直接作用でもないので、使わない方がよいという意見もある。そこで、アルコーリズムはそれ自身で慢性疾患として定義されるわけなので、「慢性」の字を除いて、アルコール(中毒)症でよいことになる。さらに。中毒タの字を入れると急性中毒とまぎらわしいので、それも除いてしまい、アルコール依存症にすれば、いちばんぴったりくる。本書では、これ
から、アルコーリズムは「アルコール依存症」で統一することにする。

常習飲酒、適量飲酒
アルコール依存症は、したがって、飲酒反復が第一の条件になるが、飲みつづける人は誰でもアルコール症かといえば、もちろん否である。一般的に、晩酌をするような人は、常習飲酒者といわれる。常習飲酒者はけっして少なくはない。常習飲酒者に対して、時々酒を飲む人を機会的飲酒者という。後に述べるが、常習飲酒者・機会的飲酒者を含む、わが国の飲酒人口は男子成人の90%を超えるといわれている。その中の一部がアルコール依存症になるのである。アルコール依存症になる前段階に過量飲酒者(大酒家)というのもある。大画家横山大観先生のように斗酒なお辞せずで90歳の天寿をまっとうした人は、まさに大酒家ではあったがアルコール依存症者ではなかった。
アルコール依存症といわれるにはそれでは、どんな症状が出るのかと読者諸氏は問われるだろう。
性急に結論を求めないで欲しい。アルコール依存症成立の基盤は、個人のみでなく社会も含めて広い底辺を持っているので、その辺の事情をさぐりなから話を進めることにしたい。

高校生の晩酌党
酒がどのくらい、日常生活の中に入り込んでいるかを知る方法については、実態調査をすれば、大略のことがわかる。だか、大人はうそをつく率か高いので、大人より少年、青年について調べて見てはどうかというのが、私の考えである。私の大学(京都府立医科大学精神科)の谷医師を中心にして、ここ数年間にわたって、飲酒に関する意識調査というのを行った結果は、まことに興味あるものであった。
しばらくは、その成績を御覧じろ。
中学一年生の男子87名、女子90名(大阪高槻市)に「今までにお酒を飲んだことがありますか」
と尋ねて見た。男の子で、「ハイ」と答えたものは九四%もあった。この場合、もちろん、口にしたという程度なのだが酒を口にしていない子の方かどうかしているとさえいえるくらいである。
「家族の中でお酒を飲む人がいますか」と尋ね、毎日飲むかどうかをチェックしてもらうと32%もある。
家族の中に三人に一人の割で晩酌者がいるということになる。大阪高槻市のこの調査の対象地区はホワイト・カラー族であるのにこの串である。おそらく農漁
村では倍の値が出るに違いない。
「お酒はこの世にある方がよいと思いますか」という質問には、男の子の72%はイエスと答え、女の子でも46%はイエスと答えている。その理由は「お酒を飲むと楽しくなるから」「いやなことか忘れられるから」「儀式に必要だから」などがあげられている。
子供心にも父親の陽気になる様子やうさ晴らしの会話などを耳にして、酒の効用を実感としてとらえている
ところが、はなはだいじらしい。高校生になると事情はだいぶ違ってくる。高校生(長崎A高徳島B・C高滋賀D高)228名について、中学生の場合と類似した調査を行って見たが、男女平均で飲酒経験ありとする者は90%に及んでいる。
「飲酒をすすめた人は誰か」と間うと。宗論yという答えが五〇%で、自分からというのは三〇%くらいである。この場合も初飲時は、行事、祝祭のときが圧倒的に多い。祭祀と酒という昔ながらの伝統が、ここにも生きている。中学生の場合にはなかったことだが、高校生となると
わずかなから、晩酌党が現われる。
男子の1%くらいに。毎日飲む‘というのがいる。週に一回以上飲む者は20%近くいる。ひとり酒(単独飲酒)を好む者が一五%もでてくる。女子の場合はひとり酒は1%くらいで、数人で飲むのを好むのは三%を越える。高校生の酒の好みはビールないし洋酒で、ビール党は三〇%、
酒党は五〇%である。晩酌党がいるくらいであるから、酒の味もわかるらしく、酒そのものを味わうために飲むという者が男子で三五%、女子で一四%もある。
週一回以上、飲酒している者に「断酒を医師にすすめられたら」と質問すると、「やめる」は六〇%あるが、「節酒する」が二五%、さらに「やめられない」が五%ある。
この「やめられない」が問題なのである。もう、この年齢ですでに、断酒を実行できない常習飲酒者が出現する。これぞ、アルコール依存症予備軍ということになる。
「家族が君の飲酒に対して関心を示すか」と問うと「無関心」か50%もある。「好意的」か13%、「好意的でない」のは20%、「飲んでいることを知らない」が8%となっている。要するに酒を飲むことに対し、親は無関心か、″仕方がないだろう″くらいにしか考えていないのが大半ということになる。
この程度のことは、しかし、フランスなどではあたりまえかも知れない。ドイツでも、中学生が、飲食店に入ってきて、中ジョ。キくらいのビールをぐっと飲み干す姿を見るのはめずらしくはない。もっとも、フランスやドイツでは、よい水にめぐまれないので、水がわりにブドウ酒やビールを飲む習慣が子供の頃からついているので、酒に対する耐性は日本人より高いことは確かである。
だが、フランスのアルコール研究所の所長さんにきいたところでは、「フランスといえども、朝からブドウ酒を飲んで酔うなどということはけっしてないことだ」とのことであった。だから、のどの乾きをいやす程度に飲むのか、フランス人一般の日常の飲み方で、わが国の高校生の一部のように、酒を飲むのは。酒の味を味わうため‘とか。その効果のため‘とかいう理由で飲むのは、その目的か異なるということになる。
「断酒をすすめられてもやめられない」と答えた五%が、「アルコール依存症」への転落の道をたどらねばよいのだが。

一億総飲酒

成人の飲酒習慣に関する調査は、昭和四十五年に文部省科学研究費総合研究として「アルコール飲料の社会医学的研究」というテーマの下に行われた。
調査対象は成人男子3427名、女子1163名である。
男性の92%(女子42%)は、酒をロにしている。″毎日飲む″は全休の30%にもなる。女性でも3%は毎日飲む。
毎日飲む人は農業・水産関係の職業の人が多いことは、農漁村での娯楽の不足とも関係するのかも知れないが、労働のあとの一杯のうまさが常習飲酒への道をひらくのであろう。
学歴別では、学歴社会を反映してか、酒によってうさを晴すのは、下積みの生活を強いられる学歴の低いものというきびしい現実がそこにある。
高校生の場合と異なり、成人となると飲む酒の種類は7〇%近く清酒となる。最近の大学生の酒の好みはウイスキーが一位で、ビール、ワインがこれに次ぐ。ここにも世代の相違がうかがわれる。
一回に飲む酒の量は、宴会では五合まで、晩酌では二合までというところであるが、飲む場合は晩酌という形で、仕事を終えてからが7〇%である。寝酒をする人も四人に一人の割にある。
成人になると飲酒の理由は、高校生とは違って「つかれをなおす」「つきあい」「よくねるため」などが多くなる。女性の場合は、高校生も成人も同じで「つきあい」が第一位。アルコール依存症ヘー歩足をふみ入れた人になると「仕事の帰途に必ず飲む」「休日朝から飲む」「列車や舶の中で飲む」「1人ではしごをする」「宴会前に飲む」「二日酔いで休んだり遅刻する」などの問題行動が表れる。
酒の上での事故もアルコール依存症への入門コース。いちばん多いのは他人への迷惑で、調査した対象の劣性の7.9%(女性でも3.8%)に見られ、自分がけがをしたもの4.4%、交通事故2.2%などで、もちろん「毎ロ飲む族」で占められる。
さて、高校生でも中には、断酒をすすめられてもやめられない者がいると書いたが、成人になると「飲んでならないときに断れない者」は全休の3.8%いる。宴会で飲む量を加減できない者は6%ある。ところが女の人でも欧んでならない時断れないものがいるが、比率としては男性よりも多く6.7%
あり、宴席で断れない者はなんと12.8%もいる。酒を飲ませて女性を口説こうとする男性の手練手管が上平なのか、女性が口説きに弱い
のかの判断は読者にまかそう。
酒はこの世に必要と思っている人は男性に85%以上、女性でも50%を越える。健康にもよいと判断する人は男性の50%、女性でも40%を越えている。
日本人の平均的な生活の中で、酒は大人ばかりでなく、中学生の子供にまで飲まれていることをこれらの調査から知ることができる。酒の消費量は年々増加の一途をたどりつつあり、産業の発展と酒の消費量はかなりの相関をもっていることを考えれば、アルコールは、今後、日常生活の中でその消費量を増すことはあっても減ることはあるまい。アルコール依存症の疫学の権威者である額田祭先生(東邦大学医学部教授)は、第一次産業(農業労働)従事者が農村を捨てて、都市に移り、第二次、第三次産業労働者になり、その労働者の増加速度と飲酒[一里の増加速度はほぼ等しいといっている。だから、農村から都市に移動する人によって、お酒屋さんはうるおうということにもなろう。
部類別には、一九五〇年では焼酎が一位を占めていたか、今や清酒、ビール、ウイスキーの順になっている。
東の横綱秋田関、西の大関長崎関
国民一人当たりの飲酒量(アルコール換算リットル)でわが国のアルコール消費量を地域的に見ると寒い秋田、青森、北海道とあたたかい九州の宮崎と首都東京都が最もよくアルコールを消費し、岩手、宮城、新潟、神奈川、大阪、島根、山口、広島、福岡、高知がこれにつぐ。愛知、岐阜、滋賀、三重、奈良、徳島、香川は最も少ない。強い酒が南と北に多い現象が面白い。寒いといっては飲み、暑いといっては飲む理由づけが、ここにも端的に表現されている。

アルコール依存症入門

成人男子の90%かなんらかの形で飲酒しているのだから、酒を飲まない方が平均的な人間からはずれていることになる。しかし、表5にもあるようにコ般的には、機会的飲酒の人か多く、常習飲酒者は少ない。だから、常習飲酒ということはやはり平均からのずれになる。さて、アルコール症とは、どの状態になったらそう診断されるのか、今の所はまだはっきりしない。そこで、さらに先へ進もう。
依存という現象
アルコールという薬物は麻酔剤の一種だということは先にも述べておいたので、先刻御承知のとおりであるか、麻酔効果か弱く、かつまた依存性か他の麻酔剤に比べると弱い方である。モルヒネやコカインは麻酔効果も強いが、依存効果も強く、すぐ依存性が生じる。しかし、アルコールの場合はその依存性は比較的生じにくい。。依存性‘惹起作用は弱い薬物なのである。だから比較的大蛍使用に耐えうる。そこが落し六で徐々に知らないうちに用量かふえる。そうすると本
来の作用の抑制効果の域値が増大し、やがて依存が生じてくるのである。
さて、「依存性」ということであるが、。それによりかかり、それによって成り立つ々と国語辞典にもあるとおり、それがなけれぱいられないという状態のことである。
昔から、薬剤には、習慣性とか、嗜癖性のある薬物があるといわれてきた。習慣性は字のごとく、それを用いる習慣ができることである。嗜癖性とは″あるものを特に好きこのむ癖と辞典にある。すなわち、好きになってやめられないことである。アルコールはこの嗜癖性が生じる薬物の一つであり、嗜癖性の生じた人を「アルコール嗜癖者」と呼んで、慢性アルコール中毒の前段階とする考え方もあった。
しかし、酒の址がある程度を越し、またはある期間を過ぎると嗜癖が現われてくるが、飲酒習慣がしだいに進行すると、アルコールに頼る気持が強くなってくる。酒かなければ、気分が晴れない、酒がなければ人とも話もできない。酒に頼ってやっとそれができるとなるとまさに精神的にそれに依存するようになる。この状態をアルコールヘの精神的依存(心理的依存)と呼ぶのである。この依存が生じた状態では、もちろん習慣性も嗜癖性も一緒におこっている。そこで、WHO(世界保健機構)の権威ある先生が、いろんな用語を使わないで、「依存」で統一しようということを決めた。
依存か成立すればもちろん酒量も増加し、明らかにより大量の酒に耐えるようになる。このことを「耐性増加」といっている。酒に強くなるのは、耐性増加も一役買っているので、酒に強くなったことを自慢げに話す人かいるが、本当はアルコール依存症へ近づいた証拠なのに気づいていない。気楽なものである。
やがて、酒に対する強い。渇望‘が現われる。のどの渇きより、さらに深刻な酒を求める「欲望」である。ニコチン中毒のヘビー・スモーカーか、煙草かきれると灰皿に捨てられている。しけもくをあさるのと同じように、人の飲み残しの酒にさえ手を出す。朝から飲みたいという欲望にまける。夜半にも起き出して冷蔵庫にビールがないかと捜しまわる。夜半でも自動販売機のお世話になる。昔は女房、子供を叩き起こして酒屋に走らせたりしたので、それかアル中の
証にされたものであった。つい、飲み過ぎるので翌日は二日酔いに悩まされる。半日くらい仕事を休んでしまう。酒の気が身体から抜けるとけだるさや頭のうずきを覚える。何こともやる気がしない。迎え酒をするとましになってくる。こうなると、アルコールが体中に入らないとまともな機能か営まれないことになる。これを身体的依存と呼ふのである。
アルコール依存症のなりたちにとって、最も重要なことは、これらの三つのことが起こることである。すなわち、精神的依存、身体的依存、そして耐性増加である。だが、精神的依存の成立だけでも、すでに立派にアルコール依存症初級合格で、入門許可をもらったと同じである。

中級・上級への昇級ははやい

次に身体的依存まで生じるに至ると、はっきり「アルコール離脱症状」が表れる。昔から、禁断症状という用語が一般的に用いられてきたし、現在でも、もちろん用いられるが、禁断の意味は、やめる、絶つ(abstain)から名詞化され、Si(abstinence)のことを意味するので、強制的に酒をやめさせるという積極的な行為を示すものである。しかし、この症状は酒から離れることによっておこるもので、強制ないしは酒を絶つという強い意志の結果ではなく、やや偶然に近
い形で酒から離れる場合でも生じる。たとえば、風邪を引いて熱が出たので、一日酒を飲まないロがあるというのもそれである。このような時にも起こる症状であるので、「禁断」という強い表現ではなく、「離脱」(withdrawal)という表現か最近は好んで用いられる。
この離脱症状が生じるようになれば、まぎれもないアルコール依存症で、中級以上に進んでいるといえるのである。離脱症状は、イライラ感、漠然とした不安感、心臓の動悸、乎のふるえ、ひどい発汗、などから精神病的な症状に至るまでの各種の症状が出現する。
このように、アルコール依存症の成り立ちには、いくつかの要素があり、それらの一部または全部が満たされるときにアルコール依存症になったといえる。
やや、くどいとお叱りを受けるかも知れないが、依存ということについて、もう少し学問的に説明しておこう。
″依存″はアルコールには限らないことは御承知のとおりである。このことに対して、世界保健機構の権威者達は、依存とは、「生体と薬物の相互作用の結果としての、精神的、または身体的のある状態で、その薬による精神的効果を味うためか、その薬か切れると不愉快になるのを避けるためなどの理由で、薬を連続的、あるいは間間的に用いるもので、そうしないといられないという特徴をもっている。耐性ができる場合も、できない場合もある。ひとりの人か二様類以上の薬に依存することもある」と定義している。
依存を起こす薬は必ずしも多くはない。代表的なものを挙げると①モルヒネ、②バルビツール酸(睡眠薬)とアルコール、③コカイン、④覚せい剤、⑤幻覚削(LSD、メスカリンなど)、⑥印度大麻(マリファナ)、⑦カート(アフリカ産の防物の葉の成分)、⑧有機溶剤(シンナー、ボンドなど)である。
アルコールは睡眠剤のバルビツール酸と同列に置かれているが、精神的依存性は比較的軽いが、身体的依存性は激しい薬と考えられている。
要するに依存については、以上のような定義づけがされている。

初級合格基準
今までの説明では、まだ、釈然としないという人のために、ジェリネック博士の挙げる六条件を示そう。これぞ初級合格基準である。
⑴飲酒抑制不能 これは飲み出したら止まらない飲み方をするもので、とことん飲んでしまうことである=ブレーキ故障と一緒である。
⑵酒不能 一日、二日でも酒が止められない。たとえ少量でも飲まずにいられない状態=タンクのオイル漏れ。
⑶渇望と衝動飲まずにはいられない欲求に駆られることで、夜中でも起きて飲む。
⑷耐量の増大酒量がしだいにふえる。
⑸離脱症状酒が入らないと不安、不眠がおこる。さらに手のふるえ(振戦)、発汗、頭痛、…日腸障害まで生じる。
⑹細胞代謝の順応 アルコールがないと脳の活狛が正常に機能しない状態となるこ

⑴ー⑹がすべて起これば、100%アルコール依存症であるし、⑴⑵⑶がそろえば、初級合格で、かなりの俯からしさをもってアルコー
ル症といえる。
⑴だけであれば、常習飲酒者のうちの「過量飲酒者」に入るし、⑴⑵で異常行動が加われば、「問題飲酒者」といわれるアルコール依存症の一分類に入ることになるし、治療の対象になるかどうか境界域にあるといえる。⑴⑵で肝障害か加われば、もちろんアルコール依存症入門手続き完了である。

あるアルコール依存症者の反論・渇酒症
「先生、私は違いますよ、いつも、とことんまで飲むなんてことはないですし、飲まないときは一、二週間くらい禁酒できるときもあるんですよ」
その患者は、確かに二週間くらい飲まぬ日がある。しかし、無性に飲みたくなると食事もとらず、明から飲みつづける。数日して、酒疲れして、ぐったりと寝込む。その後、二週間以上酒から遠ざかる。だから、彼の主張もまんざらうそではない。だか、このような周期的な飲酒で、飲み出すと止まらない衝動的暴飲を濁酒症(周期的大酒症)と名付ける。これも立派なアルコール依存症である。
さて、ジェリネック先生は、前掲の条件を幽たす者についてさらに五つのタイプを分けた。α型身体的・精神的苦痛から逃れるために飲酒する型で、抑制不能、断酒不能はない。β型身体的な合併症をもつ型で、依存はまだ生じない。γ型飲酒抑制不能と精神的・身体的依存の生じている型で、社会面・経済面の破綻の見られるもの。δ型断酒不能で常習飲酒型。だが、抑制はできる。
s型周期性飲酒型。
いちばん多いのはγ型のもので、従来、「慢性アルコール中毒」と医師の診断を受けたものの大部分がこれである。
国際疾病分類を世界保健賎購が提出しているが、この分類には、「間欲的に大酒するもの」はもちろん、「飲み過ぎ」で健康を害するものなどもアルコール依存症に加えられている。だから、本当のところアルコール依存症の診断では、必ずしも世界的に見解が一致しているわけではなくて、どれとどれを加えるかの論議か華やかな最中である。

アルコール依存症の確定診断

1973年にアメリカのアルコール依存症国民審議会という会で、アルコール依存症の診断を明確にしようとして、基準を考えた。

まちがいなく「アルコール依存症」といえるのは、
A身体面
⑴身体的依存があることー禁断症状が必ず出るもの
⑵アルコール耐性があるもの4合瓶一本のウイスキー相当量を毎日飲むもので、いつも血中アルコール濃度が150 mg/dlを超えているもの
B心理行動面
⑴飲んではいけないと医者に禁じられているのに飲むもの
⑵酒の上の失敗で失職したり、事故を起こし、社会的に禁酒が必要と判定されているのに飲むもの
ABいずれでもその1つがあれば確実。

アルコール依存症が疑わしいのは
A身体面
⑴酒くさいこと、赤ら顔、末梢神経炎、低マグネシウム血症、低血糖、肝機能の異常、尿中ウロビリノーゲンの出現、血中アルコール濃度の高値、心電図及び脳波の異常
B心理行動面
⑵酒のがふ飲み、かくれ飲み、朝酒、種類を選ばず飲む。種々の理由づけをして仕事をさぼる、飲むこと以外に関心を示さない、自動車事故の頻発。ねむれない・疲れたなど不快なときに飲む。家族の離散、離婚、失職、頻回の転職、経済的破綻これらのうちの組み合わせで診断が決まることになる。疑わしい基準の一つ一つは別にアルコール依存症者のみに眼ったものではない。しかし、「朝酒をやり、よく仕事に行くのをやめてしまう人で、肝機能異常が証明された」となるともう逃れようがない。

しのび寄る魔の手
アルコール依存症は、気がつかないうちに寄ってくる。それは悪魔の手のようだ。
アルコールと人間との関係の中で、その出会いから「原因物質としてのアルコール」と「宿主としての人間」の間をとりもつ場(環境)が、両者を強固に結びつけるか、あるいは付かず離れずの程度にするか、けんか別れにするかの三つに一つを選択させることで、アルコール依存症のなりたちが決定されることになる。
前に述べたように「つき合い」の席で、機会的に大酒するうちは、まだ、それほど心配はいらない。これを「社交的飲酒者」というか、陽気にさわいで放歌高吟する酒は、発散を早める。暴れたりすれば心臓に負担がかかるのでよくはないか、陽気な馬鹿さわぎは精神的に開放感を助長するので、それほど悪くはない。
しかし、「疲れを治す」「よく眠るため」の理由で、わが家で飲む、家族と一緒の食事前の晩酌で止まればよいが、女房・子供は先に食事をすまさせて、おのれだけ飲みつづける。女房に「いい加減にやめては」といわれると腹を立て、「もう、一本もってこい」とやる。やがては、寝酒、朝酒に至る。家だけでは足りず、帰り道に酒屋にかけ込むとなるともう間違いなくメフィストフェレスに見込まれる。こういう人を「孤独飲酒者」という。この人にとって、バーやキャバレーなどで飲むのは馬鹿らしい。女や料理などはいらない。ストレートに酒だけあればよい「ひとり飲み」「はなれ飲み」は、しかし、アルコール依存症上級への道をひた走る紡果になる。この人に「君はアルコール依存症だ」といったら、憤慨するであろう。しかし、「自分は違う」「俺に限って」といっているうちに「転落の詩集」は君のために用意されるのである。
五・五・五
妙な題がついているか、アルコール依存症になるに要する飲酒量、期間、を示した数字がこれである。正確にいって飲みはじめてから何年目くらいにアルコール依存症になるかはわからない。
飲酒期間の算定は、大体、飲みはじめの年齢から、受診・入院までの年齢を引いた数匝で類推するよりほかない。アルコール依存症になった人について何
歳で飲みはじめたかを調べた成績では、一五歳以上から二1歳までの幅があるが、17才が妥当な数字である。精神病院等に入院した人達の平均年齢は四〇歳台が最も多い。
算術で行けば、この差色-芯1Sということになる。二〇歳台でも入院者はいるので、最短距離は三年ということにもなる。しかし、それは例外である。
10〜20年目に至って症状が出てくるのが最も多い。だが、五年程度だから大丈夫とはいえない。飲酒量にもよるし、頻度も関係する。
毎日五合平均で、週五日以上、五年という五・五・五の数字はアルコール依存症への入門許可証をもらう資格を得るに必要な修業条件である。これを守れば、かなり高い確率で、君はうれしくもない合格確実の予報をもらえるだろう。

心の病としてのアルコール依存症

アルコール依存症は、アルコール依存が生じ、それから離れられなくなり、それによりかかってしまうことだということであったが、そうなると社会生活はどう変わるか。答えは容易で、失職、転職、離職の連続となる。また、しばしば、「人柄が変わった」といわれる。むずかしくいえば性格変化がやってくる。
気力か乏しくなるし、不機嫌で、酒が入らないと愚痴ばかりこぼしたりする。中には一見陽気に見え、冗談などもいうが、安受け合いばかりして、真実味の乏しい人柄になってしまう。うそも平気でいう。一般に酒がきれると機嫌が悪く、怒りやすく、暴力を振うこともある。妻や子供に当たり散らす。次第に直面的な感情が麻唯してきて、人をだまし、金を借りても返さない。衝動的になって、平気で盗みをしたり、わいせつな行為をする。このような型のものを「性格変化型」という。
急性アルコール中毒のところで、酒乱について書いたか、ある時間から、酒の酔い方が変化して、酒乱になるのがある。酔えば、必ず人にからむし、暴力行為もする。病的酩酊とまではいかないが、複雑酩酊の形となる。
若い頃はそれでも、飲んだときの行為は比較的よく覚えているのだが、ある日突然前夜の行為をまったく覚えていないということが起こる。英語で black outと表現されている。舞台の暗転のように、情景か中断されることである。「アルコール性記憶欠損」とでも呼んでおこう。このアルコール性記憶欠損は、酒乱型に多く起こる。
「君、昨夜は大分荒れたね」と友人にいわれても、「そうか。そんなことはなかったろう」といって否定する。一度、二度なら友人も勘弁してもくれようが、度重なると信用もなくなる。暴力に及ばないまでも、遊びに行った先の友人の女房のスカートをまくったり、あらぬところに手を入れたり、そして、翌日まったく知らなかったといってももう通用しなくなる。
このように酒が入ると問題行動を起こすようなのを「問題飲酒」という。問題飲酒だけで終わることはまずない。必ず精神的・身体的依存に発展する。その時期には、多かれ少なかれ性格変化が起こっている。さらにおそろしいのは、それから先のことである。とくにアルコール精神病はその代表である。もちろん、アルコール精神病が成り立つまでの時間は一朝一タではないし、個人差はあるにしても、数年の持続的飲酒の期間が必要である。

狂気のおとずれ-アルコール精神病

清酒三合どまりはまあまあ、三〜五合で境界域、五合以上の持続飲酒で、5〜10年の経過のうちにアルコール依存症か起こることは前項で述べた。すなわち、本症は中年病と考えてよい。だが、中年期は比咬的精神的には安定期にあるので、一般には精神病にはなりにくい。それでも、中年から初老にかけてかかる精神病かないわけではない。梅毒による進行麻原とか、脳動脈硬化がその代表である。ところが近年急にふえたのか「初老期うつ病」と「アルコール精神病」なのである。
アルコール依存症とアルコール精神病とどう違うかと疑問に思われる方もあろう。
別に成り立ちのうえで違いはないが、症状が違ってくる。アルコール依存症では、精神的な変化はあっても理解を絶するような症状は出ない。ところか、アルコール精神病となると狭い意味での精神病的症状が出現するのである。精神病的症状の代表に挙げられるのは幻覚と妄想であるが、アルコール依存症の人かある日突然に幻覚と妄想を訴えるようになれば、これをアルコール精神病とするのである。病的酪削と異なる点は、飲酒していない間にもその症状が持続することだ。もちろん、アルコール依存症でない人がアルコール精神病になることはないので、基礎にアルコール依存症があるのである。
その代表的な型は
⑴禁断(離脱)症状型-意識障害型
⑵準禁断症状型1幻覚型・妄想型
⑶慢性変化型-脳炎型
の三聖である。
失われた週末、振戦せん妄のミステリー
禁断症状は、大酒していた人が、突然に何らかの理由で、飲酒を中断した際に出現する。
まず、休に表れる症状は手のふるえや発汗で、この手のふるえ(振戦)と同時に意識の変化が伴って起こるのが「振戦せん妄」である。
昭和二十三年、キネマ旬報にも選ばれた「失われた週末」という映画があったが、壁からネズミやコウモリがとび出してくる姿をうつして、振戦せん妄患者の恐怖の様子を見事にえがいていたのが思い出される。
「せん妄」というのは、熱の高いときのうわごとをいう状態と同じだと述べておいたが、意識は軽く混濁する。しかし、分からないわけではないから、話をすれば、話はできる。だが、辻つまの合わない話で、人のいうことをまともにきいているとは思われない。自分のいる場所もそのときの時間も正しくはいい当てられない。また、本人は不思議な、しかも異様な世界にいるような気時になる。「失われた週末」の情景のように小さい動物がたくさんいる世界で、ネズミや時に
は虫が天井や壁や床からとび出し、はい廻るように見える。まぼろし、錯覚、幻視が現われる。
幻視は、目を圧迫して、暗示をかけるだけでたやすく生じさせることができる。これはリープマンという人か見つけたので、「リープマン」現象という。
振戦せん妄の患者は、しきりに床や壁をつまむ。壁をむしったりする。虫は自分の休にもはい廻るように感じる。だから、皮膚さえつまみ、時には掻き傷さえつける。明るい所では割合落着いているが、暗いところへ連れて行くと、周囲の情景がいろいろに見えるらしい。「作業せん妄」といって、自分が日頃、手なれた仕事をやっているような錯覚におちいる。
大工さんはあたかもカンナ削りをするような、左官屋さんは壁ぬりをするような手つきをする。概して落ちつかず、そわそわしていて、調子がよいようで不安そうで、奇妙な陽気さと投げやり的態度の混じった動作を示す。また、やけっぱちの冗談をとばしたりする。このような動作は、ややユーモラスにも見える。また、目の前の人や物体を別のものに見る錯視も盛んになる。床に落ちた紙くずをせんべいに見えたといって口に入れる。全然、知らない他人を「XX君」と思い込む人物誤認もある。私が精神鑑定をしたある患者は、父子二人暮しだったが、小学校一年の子供が、お腹をすかして夜半に泣き出した声に刺激されて、ふと見た子供の泣き顔か、化け猫に見えたといって子供の首を締めて殺してしまった。
大体、振戦せん妄は、アルコール依存症者がアルコールを中断してから、12〜24時間ほどで発症し、2〜5日で深い睡眠に移行してから回復する。中には数日から数週間の前駆症状後におこるものもある。前駆症状は、不眠症、頭痛、神経過敏、イライラなどで飲酒しているのにそれがひどくなる。
せん妄状態は①一夜だけで終るもの、②発症する前にかなり長期間、不安や幻覚に悩むもの、③苦悶状態か長びくもの、④幻覚や妄想が一時消えても、それが思い違いだったことにしばらく気がつかぬもの、⑤妄想や幻覚が引続いて残りいつまでも消えないものなどに分けられる。患者にとっては大変なミステリーである。後二者はたちが惹く、アルコールによる脳障害が進んでいると考えられている。
振戦せん妄のときには、頻脈や発熱、激しい発汗、瞳孔散大などの自律神経症状が出現するし、ひどい例では蛋白尿や肝機能障害のほか、てんかんのようなけいれんなども起こったりする。適切な治療を施さないと心衰弱、脱水症状、肺炎などが起こって死亡することもある。二〜五日後に少しずつはっきりしてきて、断片的にその間のことを思い出すことができるが、強く印象づけられたことに限っていて、面会にきた家人が誰だったかなど思い出せないことも多い。
振戦せん妄になるには10年以上の大酒の履歴か必要だと書いたか、最も短い例では飲酒歴二年目というのもある。禁斯症状というと飲酒を中止して、二日も三日も経ってからと思うであろうが、半日でも禁断症状は出現する。だから、そのときの身体の調子で感冒で熱が出たとか、身体が衰弱するような原囚が加わっただけで発症することもある。アルコール依存症者の5〜15%に発症するという外国の統計があるか、わが国では五%くらいのようである。一度かかると、繰り返すことも多い。
作り話に花は咲かぬ-コルサコフ病
振戦せん妄と一緒に始まり、振戦せん妄がおさまったのちに症状がはっきりしてくるものに「コルサコフ病」というのがある。コルサコフという人の発見になる病気でこの名かある。コルサコフ症状群と称せられる三つの重要な症状の集まりが出てくる。
第一が記憶障害。過去の記憶ももちろん悪いが、とくに最近の記憶が悪く、いつどこでどんなことがあったか思い出せない。その思い出せない記憶の抜けた所をつくり話で補うのが作話症
いわゆる「馬鹿になった」のとは違って話の筋立てはできるので、きのうはどんなことかあったかと聞くと、病院に入院しているのに、「昨日ですか、えーと、霞串に乗って、大阪まで行きました。昼食は道頓堀のソバ屋に入って食べたんですよ。うまかったですね」などと平気でいう。
嘘をついているのとは異なり、確かそうだったと自分で思っているのである。
また、時や場所の見当づけの障害が起こるのが失見当。「今いるところは」と尋ねると「今いるところはそうですね。事務所ですよ。私の事務所です」などと答える。そんな状態であるから、気楽に見えるが、感情が不安定で、ちょっとしたことにも興奮しやすくなる。疲れやすく、すぐ疲れたといって休む。身体的には、多発神経炎(末梢神経の対称的な昧庫症状で、脚気が代表的なものである)が最もよく合併する。
この状態が数カ月以上つづく例、年余を経て、やっと回復する例もある。なかなか治癒しにくい疾患で、少しずつ軽快していくが、アルコール痴呆といわれる状態に移行することが多いのである。

嫉妬妄想の対象にされた医師の話
アルコール依存症の人は、性的能力が低下することもあって、その代償として、猥せつ行為をするばかりでなく、しばしばやきもちをやくことがある。しかし、やきもちの間はよいが、それが高じると「アルコール嫉妬妄想」になる。
妻(または夫)のあらゆる行動に不貞の証拠をさぐり出そうとする。「妻が朝、新聞配達の青年に声をかけたのは、示し合わせている証拠だ。夕方、買物から帰ってくる時間か三〇分遅れたのは、男と逢ってきたためである。入院してからも、妻が面会にきたときに担当医と長時間にわた
って話していたが、あの女は医者まで相手にするようになった。売女め!」
これは、自己の劣等感、コンブレ。タスの代償として嫉妬をかり立てることによって、おのれの存在を妻に印象づけようとするまことに哀れな姿なのであろうが、対象とされた妻は生傷が絶えないし、相手にされた医師が脅迫された事実すらある。
元来、アルコール依存症者にとって医師は余計な口出しをして自分を病人扱いにした憎むべき存在であるが、女房まで寝取ったと思えば、首かき切ってもあきたらぬと考えるのも無理もない。げに、このような嫉妬妄想の対象にされた医師ほど不幸な者はない。いわれなき理由により被害者
となる哀れな犠牲者こそ精神科医であるのである。それでもなお、アルコール依存症者を救わねばならないのか!・医師はまさにハムレットの心境にある。「救うべきか。然らざるか」

死に至る病-ウェルニッケ病
アルコール精神病のうちで最も重症なのは「ウェルニッケ病」である。これはウェルニッケの命名になるが、急性の脳炎(急性上部灰白質脳炎)の形をとる。脳炎だから、ある日突然にうわ言をいうせん妄状態になる。それから、ぼんやりと気の抜けたようになり、ついでこんこんと眠りつづける昏睡状態になる。ほとんど同時に眼筋麻痙、特に外転神経麻蝉がおこる。瞳孔の異常も生じる。多発神経炎も出現する。重い病気で、まさに「死に至る病」である。幸い生命をとりとめてもコルサコフ病に移行することが多い。この疾患はビタミン玖の欠乏、ニコチン酸の欠乏などによるといわれる疾患である。ウェルニッケ病ほどに重症の経過をとらないが、ニコチン酸の欠乏による類似疾患に「アルコール性脳炎」というのがあるが、ウェルニッケ病の軽症例と考えられている。
死亡例を解剖すると、脳内の第三脳室壁、視床下部、乳頭休、中心灰白質、第四脳室の底部の迷走神経費側核、小脳などの組織細胞が抜けて、組織がボロボロに崩れている様子が見られる。
これを見るとアルコールも恐ろしい毒素だとつくづく思う。

生ける屍・アルコール痴呆
アルコール精神病のもう一つの型は「アルコール痴呆」である。脳にウェルニ。ケ脳炎ほどではないが、広汎な変化かおこることで生じてくる。大脳、特に前頭葉にそれがひどいとボケの状態になる。次第に意欲がなくなり、ポサッとして阿となく一日をすごし、不潔になり、無精になる。もちろん物忘れもあるし、物覚えも悪くなる。知能も次第に低下していく。脳動脈硬化や高血圧も加わっていっそうボケが進行する。類似のものに「アルコール仮性進行麻峰」というのがある。梅毒による進行麻庫によく似ている。この場合も知能が低下し、手足かふるえ、舌もつれかあり、瞳孔にも障害がおこる、歩行ももたつく。そんな状態なので進行麻岸と区別しにくいか、血液の梅毒反応が出ないので鑑別するのである。
もう、こうなると元には戻れない。ただ、呆然と日を送る。来る日か何であれ、過ぎた日がどうであれ、彼には時間は必要なくなる。一杯の水と一碗の飯と一枚の毛布とが、彼の生活のすべてになる。彼に近寄る死の足音さえ、彼には何の恐怖も与えない。生ける屍、その典型だ。

まぼろしの声—アルコール幻覚症
アルコール精神病で振戦せん妄よりは少ないが、急性に起こってくる幻聴を主とするものに「アルコール幻覚症」がある。
振戦せん妄は意識の曇りがあるが、幻覚症の場合はかなり明瞭である点が第一に異なる。また、幻聴といって、耳に異様な物音や声かきこえる点でも振戦せん妄と異なる。
はじめはざわめき声やピストルの音、戸を叩く音が空耳としてきこえるが、やがて数名の人達が話合う人声が耳に入る。「奴は馬鹿だ。あんな奴は殺してしまえ」「息の音を止めるには奴の寝ている間がいい」と話合う声をきいた患者は一睡もせずに夜中外を見張っていた。
「指をつめて過去のあやまちをわびろ」の声に従って自分の指を切った患者もある。急性間には、自傷行為、自殺企図などもあるが、しかし、慢性化する例では、それほど深刻に受け止めなくなる。
アルコール幻覚症は禁酒してしばらくすると消失することが多い。中には数週から数。月つづくものもある。慢性になった例では、精神分裂病という病気がアルコールで誘発されたのではないかと思われる例もある。
一度、症状が消えたのに、再び飲酒して再発する例かあるが、この場合は二〜三ヵ月の飲酒でたちまち幻聴が再燃するのである。
なかには、アルコールを飲まないのに身心の衰弱や精神的なショ″クで幻聴が再発することかある。これをflash back(場面の再現)という。なぜそんなことが起こるのか、同じ原因物質が作用して起こる再発とは違うこの現象について、幻聴を生じたという「記憶」が、別の刺激で再現されるのだという記憶の学習理論で説明する学者もある。

アルコールてんかん
「アルコールてんかん」といって、てんかんと同じようにけいれんを起こして倒れることもある。アルコールてんかんは離脱(禁断)症状だという説もある。実際に、アルコールてんかんの人の脳波X検査をして見るとてんかんと同様の発作波を示す例はほとんどなくて、振幅の低い平坦な脳波が多い。しかも、禁酒後しばらくすると発作は止まってしまうので、アルコール離脱に
よる一時的な刺激症状の1つと考えてよい。
しかし、なかにはアルコールで潜んでいたてんかんが引き出されたのだと思われる例もある。
もちろん、その例ではアルコールを飲ませて脳波をとると発作波といわれる異常波か誘発されてくる。

 

ノックビン(ジスルフィラム錠)の通販は、こちら→お薬館

 

 - アルコール依存症