ノックビン(ジスルフィラム錠) アルコール依存症治療薬

アルコール依存症治療薬レグテクトから抗酒剤ノックビン(ジスルフィラム錠)に変更。強制的に酒を飲めない体質にする訳だから、抑止力の差は歴然。

人はなぜアルコールを飲む?

      2016/12/10

人はなぜ酒を飲むのだろう

アメリカやヨーロッパの薬物専門家のなかには、「人間は、いつも幸福であるわけではない。
むしろ多くの人は、人生の大半を、すくなくとも自分では、あまり幸福ではないと思って過ごしている。そういうとき、苦痛をやわらげてくれるものがあれば、飛びつくのは当然だろう。アルコールやアヘンの使用は、苦痛から逃げだすことの媒体になっているのだ。だから、アルコールが手もとにあれば、それを飲むだろうし、ほかの薬があればほかの薬を使うのであって、アルコールやアヘンでなくとも苦痛を取り除いてくれる物質があれば、それを用いるのは当然であろう」という人が少なくありません。

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たしかに、アルコール問題についての一側面として、こういうことを無視できないというのはわたしも同感です。
しかし、日本人がお酒を飲んできた歴史、また現状を考えると、果たしてこうした苦痛から逃げるといった要素が、いちぱん大きいのでしょうか。かならずしもそうではないと思います。
たとえば日本では、一年の労働が終わる作物の刈り入れの時期に、一年の労働をふり返って、その年の収穫を祝い、神様に感謝する気持ちをこめて、お酒を飲みました。そこでは、苦痛からの逃避というよりも、むしろ、アルコールのもっている力、つまり気分を高揚してくれることが、お酒を使う大きな理由となっていたと考えられます。
いうまでもなく、ほかの薬のアヘンやマリファナにしても、苦痛からの逃避だけではなく、快楽の追求のために使う側面があります。
ですから、いきなり「酒は魔物だ」というように一律に割り切らないで、まず「どうして人は酒を飲むのだろうか」ということを解き明かすことが、アルコール問題を考えるときに大事になってくると思われます。
精神科医は、お酒を毎日飲んだために慢性アルコール中毒状態になっている患者に、いつも接しています。そのために、「お酒をやめなさい」というセリフを吐くことを急いで、「どうしてこの人はこんなにお酒を飲むのか」という問いかけの姿勢を忘れてしまう傾向があります。そういうことが、わたし自身にもときどきでてきます。これでは、アルコールにまつわるさまざまな問題は解明できないと思うのです。
アルコールは必需品か
いろいろの資料をみてみると、日本人の場合、男性の90パーセントは、人生にとってお酒は必要なものと考えています。女性の場合でも、60パーセントが同じように考えているようです。
「なぜ人生にとってお酒が必要と思うのか」と問いかけてみると、多くの人は、「商売や仕事のつきあいのうえでお酒は必要だ」とか、「友人や同僚との関係を円滑に保っていくうえには、お酒は欠かせない」などと答えます。また、「食事や団らんで飲む」という人も多くいます。
事実、冠婚葬祭といったような社会的行事、とくに祝いごとやお悔やみごとなどの際には、ずいぶんお酒を飲みます。こういう社会的行事を円滑に進めるために、だれもがそれほどの疑問をいだかずにお酒を用意します。ピジネスの接待にも、お酒はつきものです。また、一日の仕事の終わったあと、同僚と肩を並べて、バーのカウンターで、あるいは、赤ちょうちんで1杯やるのもきわめて日常的なことになっています。
つまり、日本人の大半は、お酒を飲むことが社会生活を維持していくうえで必要、と認めていると解してよいでしょう。
もちろん、そんな大義名分を持ち出すまでもなく、「酒はわが友」という人もいますし、。食事を楽しむときには欠かせない″という、純然たるエピキュリアンも大勢います。また、″酒は百薬の長″とばかり、毎日親しむ人もいます。
しかし一方では、回教徒やヒンズー教徒のように、宗教上の戒律として、アルコールを飲むことが禁じられている人びともいます。そうすると、それだけで、世界中でお酒を飲まない大集団があるということになります。
そのほか、アメリカ大陸の原住民、つまりアメリカ・インディアンや中南米のインディオと呼ばれる人たち、あるいはオーストラリアの原住民などは、最近まで(西欧文明に支配されるまで)アルコールの存在を知らなかった種族です。
また、ポリネシアやメラネシアの島の人びとも、ごく最近まで飲酒習慣はもっていなかったのです。
ですから、宗数的行事や対人関係を維持するために、あらゆる人がアルコールを必要とするとはいえないことになります。これは、個人差の問題ではなく、文化の問題と考えたほうが正しいでしょう。
ところで日本人の場合、現在は成人男子の3人に1人は、毎日お酒を飲んでいるといわれています。女性の場合は、毎日飲む人は男性よりぐっと少ない数です。毎日お酒を飲んでいるといっ
ても、大部分の人たちは、清酒に換算して1合ないし2合という量です。
そして、同僚や友人とワイワイガヤガヤいいながら、一日の疲れをいやしていい気分になる、精神的緊張を解きほぐして眠りにつく、といった飲みかたをしているわけです。ですから、こういったことを健康によくないことだ、あるいは、アルコール中毒になるぞと頭からいってしまうことはできません。
清酒に換算して一合ないし2合飲む人が、成人男子の3分の一程度という人数や、消費するアルコール量を、ヨーロッパやアメリカの白人社会の人びとと比べると、飲む量が多いとか、あるいは毎日飲んでいる人数が多い、とはいえません。むしろ白人社会に比べると少ないのです。酒が身近なものになったのはごく最近。
このように現在は、成人男子の3分の1程度の人が毎日お酒を飲んでいるわけですが、こういう日本人の飲酒習慣というのは、じつはそんなに長い歴史があるわけではありません。それは、第2次世界大戦後の高度経済成長にはいってから、急激にふえてきたと推定されます。少なくとも江戸時代の末期ごろまでは、とくに庶民は、そんなにお酒が飲める状態ではなかったのです。
というのは、清酒は日本の重要な主食である米からつくる貴重なものであったからです。ですから江戸末期に毎日お酒が飲めるという人たちは、かぎられた社会階級の人たちだけでした。庶民の口にお酒がはいるようになったのは、おそらく、明治のなかばをすぎてからだと思われます。
この点、フランスやイタリアの人ぴとが、ワインを水がわりに飲むのとちがいます。彼らにとってのワインは、日本人にとってのお茶のようなものなのです。

アルコールの飲みかたに微妙な変化が

それにしても、日本人がお酒を飲む場面を考えてみますと、ついひところまでは、ひとりで飲むのではなく、何人かといっしょに飲んでいたはずです。家庭のなかであっても、家族の人だちといっしょに飲んでいました。そのお酒は、一日の疲れをいやすためのものであり、一日の苦労を忘れてぐっすり眠り、楽しく明日の仕事にとりかかれるためのお酒であったわけです。
それは酩酊の初期の状態、つまり気分が高揚し、やや興奮してきて、一日のことをいろいろ話し始め、やがて、しだいに精神の働きを抑制する作用が強くなって、最後に眠りにはいるという酔いかたです。
こんなふうに、今世紀にはいってからもごく最近までは、気分の高揚を自分も楽しみ、また仲間、あるいは家族とともに楽しむためにお酒を飲んでいたわけです。
ところが、工業社会化が進んできますと、そういう飲みかたではない飲みかたをする人がふえてきました。
故郷を離れ、都会にでてきて、このあいだまでは、第一次産業、つまり農民や漁民であった人が工場労働者になる。しかも特別の資格や技術をもたない、無技能の労働者になる。とくに多いのは建設関係の仕事で、道路をつくったり、橋をつくったりする人たちです。
こうした人たちは、ついこのあいだまでは静かな農村で、そんなに夜遅くならないうちに、家族といっしょに寝ていたわけです。
それが、都会にでて建設関係の仕ポについた場合、飯場とか寮のようなところで、家族とのだんらんもなく食事をし、眠らなければなりません。そうなると食事もおいしくないだろうし、寝つきもわるくなります。食事を多少でもおいしく食べるために、また翌日の労働にたえるための休息をとるために、すなわち、ぐっすり眠れるように、お酒を飲むようになるのです。お酒が楽しみではなく、薬になってくるのです。
つまり酩酊の初期の、気分の高揚を味わうために飲むというよりも、気分の高揚期のあとにくる理性の抑制作用を求めて飲むわけです。そうすれば、つらいことが忘れられるからです。そして、ぐっすり眠るという睡眠作用(麻酔作用)を求めて飲む、というようになります。
楽しむために、つまり気分の高揚をはかるために飲んでいたときは、眠ってしまうことをもったいないように思うわけですから、気分の高揚ができるだけ長く維持できるように飲みます。したがって、ピッチをあまりあげません。共通の話題をもつ友人や、話のあう異性と飲むときは、そうするでしょう。
しかし、抑制を求めての飲みかたに変わると、なるべくはやく、深い酩酊にはいりたいと思うので、お酒の味や気分の高揚を楽しむ余裕がなくなり、強いお酒をいっきにあおるようになります。そしてそのまま横になるわけです。
高揚期を楽しむという飲みかたと、とにかくはやく抑制状態になって、すぐ睡眠にまではいってしまうという飲みかたのちょうどまんなかあたりにあるのが、よくいわれる、ひとり酒場で飲む酒になろうかと思われます。
ひとり酒場で、それはどのスピードでなく飲んでいるうちは、まだそれほど問題にはならないかもしれません。しかし、もうその余裕もなくなって、とにかくドロのように眠るためにだけ飲む、という飲みかたになると困ります。
つまり、アルコール問題を考える際には、お酒になにを期待するか、を明確にとらえる必要があります。
このことが、飲むのをひかえようとしても、つい手がでてしまうというアルコール依存とか、病的な症状のでてくる慢性中毒などの問題に大きな関連をもっています。
近年、しばしばアルコール依存症問題が新聞紙面をにぎわしていますが、そのなかでは必ずお酒の量が問題になります。大酒を飲むことが、肉体的にも、精神的にもよくないことはいうまでもありませんが、ただ量だけでなく、「飲む目的」にも注意していただきたいのです。そのわけはおいおい説明していきます。

増加するアルコール依存症

ところで近年、アルコール問題が社会問題化しつつある理由は、アルコールにむしばまれる人が、一般に広まってきているからです。いまあげた、出稼ぎの労働者のような環境に恵まれない人たちのあいだばかりでなく、一般サラリーマン、経営者、管理者のあいだにも、主婦にも浸透してきたということです。
日本では、厚生省の数字ですと、アルコール依存症患者は1万6300人(昭和49年)と少ないのですが、研究者によっては、問題のある飲酒者は100万人とも150万人ともいわれます。
なぜこんなに数字がちがうかというと、認定の仕方、推定の仕方がちがうからです。
いずれにしても、他人ごとではなくなってきているのはたしかでしょう。ですから、″斗酒、なお辞せず″ということは、必ずしも男らしさや、豪快さを連想させるポジティブなイメージではなくなりつつあります。また、″ボトルー本あけられなくて……’といったような、テレビ・コマーシャルも、必ずしも好感をもって受け入れられなくなってきています。
日本では、酒は簡単に手にはいります。『アメリカン・グラフィティ』という映画では、少年たちがお酒を買えないで苦労するシーンがありました。日本では、お使いの子どもでも手にはいります。日本ではまた、お酒の宣伝に制限がありません。テレビでアルコールの宣伝にお目にかからないという日は、まずないでしょう。
しかし、お酒は飲料ですが、同時に、麻薬のアヘンやコカインと同じ性質をもった薬物なのです。
わたしは、いたずらに酒好きな人たちを「アルコール依存症になるよ」とおどかしたりはしたくないのです。むしろ、アルコール依存症恐怖症にならないようにアドバイスしたいのです。そこでまず、わたしたちは、アルコール文化をいろいろな角度から、もう1度ふり返ってみろ必要があるでしょう。
アルコール問題が深刻になっている国々
世界保健機構(WHO)のマニラ・オフィス(世界保健機構の西太平洋地域を管轄するオフィス)に集まっている資料で、アルコール問題をみてみますと、アルコール問題が急激に深刻になっている国は、西太平洋地域では、オーストラリアとパプアニューギニアの2ヵ国ということになっています。
しかし、日本もニュージーランド、フィリピン、その他の南太平洋の島々、つまりトンガ、フィジー、クック、サモアなどの国々とともに、アルコール問題が徐々にふえつつある国のなかにはいっています。
この徐々にふえつつある国というカテゴリーのなかで、もう少しこまかくみてみますと、一人当りの純アルコールの消費量に換算した調査では、日本はオーストラリアとニュージーランドにつぐ消費国です。西太平洋地域では、これら3つの国がもっともお酒を飲む国です。ほかの南太平洋の島々やフィリピンでは、日本人の3分の1から4分の一の量しか飲んでいません。ですから、日本人はかなり飲んでいる種族に岡するというランクづけができます。
こういった資料からもわかるように、わが国のアルコール問題というのは、年々深刻になりつつあります。
つい最近までは、日本はアルコールを飲む習慣はもっているものの、それが大きな社会問題にはならない国と考えられていました。
しかし、高度経済成長とともにアルコールの消費量がふえれば、アルコールの消費址の増大に
比例して、アルコールによる健康問題、あるいは社会問題が深刻になってくるというルールから考えると、もうアルコール問題は、アメリカやヨーロッパの問題といって見すごしているわけにはいきません。
いうまでもなく、アメリカ、ソ連、ヨーロッパ各国では、国をあげてアルコール対策に収り組んでいます。

やがて日本でも欧米なみの社会問題に

ヨーロッパやアメリカの場合には、アルコールによる病気がひじょうに多く、そのために、アルコール問題は医療だけでなく、公衆衛生とか、社会福祉、社会保障といった分野でも深刻な問題になっています。まだ、病院のベッドを占めているアルコールに起因する患者(肝臓障害など)の比率がひじょうに高く、ひかえめにみて30パーセント、多くて50パーセントといわれています。欧米諸国ではそれくらいアルコールの問題が大きいのです。
そのほか、勤務を休むとか、昼間から酩酊しているために社会生活ができなくなるとか、交通事故、ことに自分が自動車運転事故をおこすとか、酩酊のうえで酒代を手に入れたいために各種の犯罪を犯す、といった事件がふえています。また、亭主が、ときには奥さんが、アルコールをやめられないために離婚という問題をおこす。離婚にはならなくても、何年にもわたって家庭不和が続く。その結果として、子供たちの精神的発達にゆがみができて、非行少年がふえたり、あるいは神経症になる子供がふえる。こういった現象が悪循環のようにおこり、アルコール問題はかなり以前から、欧米では大きな社会問題になっていたわけです。
日本の場合は、幸い昭和30年代までは、アルコール問題はそれほど大きな社会問題ではありませんでした。ところが高度経済成長にともなって、アルコールによる社会問題は年々深刻になっているといえます。アルコール飲料消費量の変化からも、そういうことがいえると思います。

断酒会の活動

こういった社会問題を解決するグループに、断酒会があります。断酒会は、飲酒習慣のある社会なら、世界中のすみずみにまであって、現在では相互に関連して活動しています。日本でも、禁酒同盟が明治時代にすでに結成されていました。とくに昭和35年ごろからは断酒会が急速に発展して、きめこまかく網がはられています。断酒会のメンバーは、かつてアルコール依存だった人たちです。
この断酒会の活動のひとつに婦人会があります。かつての依存者の妻を中心にした集会です。この会は、近親者として、一人の人間がアルコール依存におちいっていく経過を十数年にわたってみてきた方々の集団ですから、アルコール依存を考えるうえで、もっとも豊富な経験を提供してくれるものといえるでしょう。
われわれの調査では、過半数の人が40歳未満で入会しているところから、その夫である依存者が、はっきりと問題をあらわすのは、意外に早い時期と推定されます。
おもしろいというか、当然というか、約40パーセントのかたは、夫といっしょに飲んだ経験をまったくもっていません。
しかも、約半数の人が、結婚当初から夫は大量飲酒肴だった、といっていることから、やはりアルコールに対する知識の乏しさが指摘されます。
そして、飲んだくれる夫をみているうちに、半数以上の人は、夫が「情けない人」にみえ、「憎らしい人」「かわいそうな人」と感じる人が約308?セントずつを占めています。
このような状況のもとで、約半数の人は、「夫とは飲酒のことでよく話し合った」と答えています。しかも、80パーセント以上の人は、「離婚しようと考えた」そうです。しかし、家庭裁
判所へ離婚の申し立てをする妻のなかで、夫の飲酒をその理由にしているものは全件の10パーセント以下と、それほど増加はしていないので、離婚したいと思っても、案外、実行はしていないと考えられます。

若い大量飲酒者のなれの果ては?

ところで、わが国のアルコール飲料消費量は、高度経済成長とともに急激に増加しました。
昭和35年には昭和10年の約2倍だったものが、40年には3倍、50年には5倍と伸びています。
明治維新の後、わが国のアルコール飲料消費量は、昭和10年までの約65年間、年々増加を続けていました。しかし、第2次大戦にはいると、その製造量は減少せざるをえなかったのです。
なぜなら、当時の酒といえば、清酒。これは米を原料とします。戦時中は酒づくりに米を使うことはむずかしかったからです。昭和22年が酒類製政量のもっとも少なかった年ですが、昭和50年の23分の1の量しかつくることができませんでした。このことは、昭和20年代の前半に青少年間を過した世代には、酒を飲む習慣をもたない人が比較的多い、という結果を生んでいるにちがいありません。
これに対して、わが国のアルコール問題が深刻になるのは、昭和30年代にはいって青少年期を迎えた人びとが、飲み続けて40歳代に述する時期、つまり、昭和50年代です。
もちろん飲酒量は、単にアルコール類の供給能力できまるわけではありません。価格ももうひとつの要因でしょう。いまから15年前の大卒の初任給は、約2万円でした。当時の高級スコッチは一本一万円ぐらい。現在は、初任給10万円で、一万円以下で手に入ります。こんなことからも、いかにお酒が飲みやすくなっているかがわかります。
世界保健機構では、ある地城全体のアルコール飲料消費址から、一日に純アルコールに換算して150ミリリットル以上飲む人の数を割り出しています。そして、それをその地域の大量飲酒者、あるいはアルコール依存者の数として、対策をたてることにしています。
わたしは、この推定数について、その地域ないし集団の飲酒習慣の変造という要素を加味して世代ごとの計算をしなくてはならないと思います。
さらに、飲酒習慣を伺歳のときから経験したかによって、世代ごとのデータは微妙に変わると考えられます。
現在のわが国のアルコール飲料消費恒一から、わが国のアルコール依存者の数は100万、ないし150万人と推定されています。そのわりには、わたしたちの周辺にアルコール依存者の姿をみかけないように感じられるかもしれません。しかし、消費量の増加が急激であるところから考えて、アルコール依存者も、ここ数年のうちに急激に増加するだろうと予測できるわけです。
こんな心配をしているところへ、最近、国税庁から入手した資料をみて、じつはびっくりしました。
オランダ政府が各国別人口丁人当りのアルコール飲料消費量の推移を詞べたところ、1975年に、日本は45ヵ国中の29位で、スウェーデンのつぎとなったというのです。しかも、過去笠年間の増加はスウェーデンをかなり上まわっています。
スウェーデンは北国ですから、むかしからアルコール消費量が多く、アルコール依存者がたくさんいて困っている国のひとつとされていました。また、覚せい剤や大麻などの向精神作用をもつ薬を使う人が多いことで、世界保健機構がマークしている国の一つでもあります。この国につぐアルコール消費国が日本、ということになると、これは大きな問題です。なぜなら、スウェーデンでは、アルコール対策が、長い年月をかけてすでにかなり進んでいるのに対し、わが国では、問題が急激に深刻化したため、まだほとんど手がつけられていないので、これからどういうことになるのか予想がたてられない状態です。

アルコール問題は、大人だけの問題ではなくなる

この各国別消費量推移調査表を補足する意味で、1970年(昭和45)にイギリスの学者が調査し、世界保健機構が公表したつぎのような資料のあることをつけ加えておきましょう。
それは、15歳の少年、少女から成人、老人までの人口のなかで、アルコールに換算して一日150ミリリットル(これは清酒5合を上まわりますが)以上飲んでいるものが、フランスでは9・4パーセント、イタリアでは5・9パーセント、ポルトガルでは5・6パーセントに達している、というのです。アメリカ合衆国とイギリスは2・0パーセント、ノルウェーが0・9パーセントと報告されていますから、年間消費量からだけで推定すると、日本でも1・0パーセントぐらいいても不思議ではないのです。中学3年生の100人に一人が、一日に5合の酒を飲んでいる、という事態がおきたらどういうことになるか、慄然となります。ちなみに、アメリカでは、飲酒人口は20歳代後半でピークに達し、大酒家は55歳をすぎると急に減少します。
わが国では少年の飲酒に関する資料は整えられていませんが、毎日のように飲んでいる高校生が1〜2パーセントと推定されるので、もし、いま問題にされている入試制度などが改革される
と、それにともなって、少年、少女たちの日常生活に対する管理がゆるやかになると、一升酒をあおるものが急激にふえるかもしれません。
また、少年、少女のあいだに大酒を飲むものが少ないのに、人ロー人当りの年間消費量は多いということになれば、日本のおとな、とくに成人男子が飲む量は、世界的にみても多いということになるかもしれません。

〔まとめ〕
⑴ 日本人において、男性は90パーセント、女性は60パーセントぐらいの割合で、「人生にとって、酒は必要である」ということを認めている。
⑵ 現在、日本の成人男子の3人に一人は、毎日お酒を飲んでいる。
⑶ 社会の工業化が進むにしたがって、お酒の飲みかたが変わってきた。日本は、高度経済成長とともに、アルコールの消費量がふえてきた。
⑷ いまや欧米では、アルコールによる社会問題が深刻になっている。日本でも年々深刻になってきているが、近年は、管理職眉に問題がおきているのが注目される。
⑸日本の、現在のアルコール依存者の数は、アルコール飲料消費量から推定して、100万〜150万人とされている。最近の若者たちの飲酒傾向から、この数字はますます増大するものと予想される。
⑹日本の人ロー人当りのアルコール飲料消費量は、世界45ヵ国のなかで、29位であるが、欧米人との体力差を考えると、かなりハイ・レベルといえる。

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