ノックビン(ジスルフィラム錠) アルコール依存症治療薬

アルコール依存症治療薬レグテクトから抗酒剤ノックビン(ジスルフィラム錠)に変更。強制的に酒を飲めない体質にする訳だから、抑止力の差は歴然。

酔う人と酔わない人

      2016/12/10

酩酊の科学

ハ岐大蛇(やまたのおろち)にみる日本人の酩酊観

われわれ日本人のお酒の歴史を考えるときに、まず最初に思い出されるのは、八岐大蛇伝説(やまたのおろち)でしょう。ハ岐大蛇が大和族以外のほかの部族のことだったのか、それとも、しばしは氾濫をおこす「簸川(ひのかわ)」というやっかいな川を擬人化してああいうふうな表現をとったのか、これは歴史学者のあいだでも議論がわかれているところのようです。けれども、この伝説には、酩酊問題とおもしろいかかわりがあります。また、この話には日本人の酩酊鋭を考えるうえでも、だいじなものを含んでいると思います。

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この伝説はご承知のように、一般の庶民を困らせるハ岐大蛇を退治するために、須佐之男命(すさのおのみこと)がお酒でハ岐大蛇を酩酊させておいて切り殺したという伝説です。
もし、ハ岐大蛇というのが大和族以外のほかの部族のことであったとすると、興味がおこるのは、大和族以外の部族のなかに、当時アルコールを知らないものがあったかもしれないということです。
南方の島、ことにポリネシアとかメラネシアとかいった島から、日本列島に良ってきた部族があったのかもしれません。そうしますと、そういう部族はアルコールを知らなかったはずですから、ハ岐大蛇に擬された部族は、はじめてアルコールを飲まされたということになるのかもしれません。
いずれにしても、八岐大蛇は酩酊していい気分になり、やがて運動機能もマヒして、十分に戦える状態にはなかったわけです。そこに須佐之男心が飛びこんでいって、とうとうハ岐大蛇は戦いに敗れるという結果になったわけです。
この物語から想像しますと、どうも大和族は、敵を酩酊させておいて倒そうという攻撃の手段を考え出して、それがひとつの攻撃のパターンになっていたのではないかという気がします。
もうひとつ例をあげると日本武雄が九州の熊襲(くまそ)族を攻撃するときも、ご承知のように、その酋長の熊襲族に酒を飲ませておいて、暗殺するという手段をとっています。しかもこのやりかたは、明治維新のころまでずっと続いていたのです。
自分自身が武士の出身ではないために、なんとかして武士らしく生きようとした、新撰組の幹部たちのやりかたをみてもそれがわかります。たとえば同僚の芹沢鴨を側すときには、まず料亭で酒をうんと飲ませて酩酊させておいて、数人で襲うといった方法を反っています。
こうした歴史を涜むわたしたちは、須佐之男心から新撰組などにまでいたる奇襲攻撃、つまり酩酊させておいて倒すということを、必ずしも卑劣な手段とはみなしていません。ここに、日本人が酩酊に対してもっている感じかた、考えかたのI側而がでているのではないかと思います。また、酩酊したものに対して、日本人はあまり非難をしません。油断をしていたから飲みすぎたのだという評価はあっても、昌昭のうえでの失敗は許されるという習慣があるようです。酩酊者にも寛容であり、酩酊させたものにも寛容なのです。
つまり、酩酊という問題に対して、かなり寛大で、酩酊という事態をあるがままに受け入れるといった考えかたがあるのではないかと思います。これは外国の人のもつ酩酊観と多少ちがうようです。
たとえば、アメリカの社会には、1920年(大正9)から33年(昭和8)までのあいだ禁酒法を施行したというほど、昌町を媛う習慣があります。また、日本人が外国に行ってアルコールに酩酊してなにか失敗し、その国の人たちのひんしゅくをかうといった話は、最近でもよく聞かれます。日本国内では、酒のうえのできごととして、比較的おんびんにすまされることが、日本を一歩でるとなかなかそうはいかないのです。
「ほろ酔い」を楽しむ
この酩酊という事態をあるがままに受け入れるという日本人の姿勢が、じつはこのあとくわしく説明するアルコール依存の問題とつながってくると思います。日本人の社会では「黙酎するような人はダメな人間なのだ」というようなきめつけはしません。酩酊という事態からだけでは、人間全体を評価しないという習慣があります。
ということは、ある側面からみると、酩酊をゆっくり楽しむことができるお国柄である、というふうにも考えられます。そのことは、「ほろ酔い」といったような日本人のもっていることばを、外国のことばに置きかえようとすると、かなりむずかしいということでもわかります。たとえば、このことぱを英語になおせば mellow with wineとか、happy with sake ということになるのでしょうが、いずれもほろ酔いの感じではありません。
結局、″色に出にけり″というような、酔い心地を気分の深いところで楽しんでいる状態をあらわすことぱは、英語にはないようです。
やはり、ほろ酔いを楽しめない国の人たちにとっては、「ほろ酔い」にあたることばがないのかもしれません。ほろ酔いを楽しめない国の人たちは、食事酒として酒の味を楽しむか、あるいは急速に深い酩酊にはいって現実をすっかり忘れようとしたり、深い睡眠にはいるために、本来アルコールがもつ強い抑制作用を求めて飲みます。
たとえば、アメリカ人の飲んべえが好んでウォッカとかジンとかいった、アルコール濃度のひじょうに高いものをあおるということは、そのほうがよりはやく深い酪影にはいりやすいからだ、ということになるでしょう。
それに対して、日本人の場合は、ビールを好む人が圧倒的に多く、そしてつぎに清酒ということになるので、どちらにしても軽い酩酊を楽しんでいるというふうに考えられます。

自分が飲んだ酒の量は、はっきり覚えていない
ところで、酩酊して事故をおこした人に「いったいどのくらい飲んでそうなったんですか」という質問をすると、その人が飲んでいるところをみていた第3者が、「あの人はお銚子に5本か、6本飲んだ」といっても、当人は「いや、そんなに飲んだ党えはない」とか、「そんなに飲んでいるわけがない」といって、飲んだ量の3分の2から半分の量しかいわないというのが、経験上の事実です。
では、「きのうはずいぶん飲みましたね。どれぐらい飲んだのですか」と聞いたとき、実際に飲んだ量の3分の2から半分の量しか答えないのはどうしてなのか。ほんとうにそれぐらいまでしか記憶していないのか。それとも、そんなに大量のお酒を飲んだというのを、人にいいたくないのか。あるいは、ひょっとすると一升ちかく飲んだと思いながらも、自分ではそう思いたくないために、人にも少ない量をいうのか。そのへんのことは、まだまだわかりませんが、とにかく「ずいぶん酔っぱらったね。おまえさん、どのくらい飲んだんだ」という質問に対して、相手がある量を答えたならば、その倍ちかく飲んでいたんだと考えて、まずまちがいありません。
このように、酩酊については、まだわからないこと、興味のあることがいろいろありますが、とりあえず酔うということ、大酒飲み、そして酒乱についてお話ししましょう。

どのくらい飲んだら酔うのか

酩酊を数量的に表わす指痙のひとつに、血中アルコール濃度があります。
アルコールを欽むと、まず胃や湯に吸収されます。そして、吸収されたアルコールは、こんどは血液のなかにはいり、やがて全身に巡ばれます。血中アルコール濃度とは、この血液のなかにはいったアルコールの割合をいいます。
以前は、道路交通法でいう酒気帯び運転で、酩酊と判断する基準は、1ミリリットルの血液中に0・5ミリグラム(0・05パーセント)以上のアルコールが含まれている場合とされていました。ところが、科学警察研究所の報告をみると、アルコールの摂取量と、血中アルコール濃度の推移には個人差が大きくて、アルコール摂取量から血中アルコール濃度を推定することは、ほとんど不可能といわざるをえないようです。
さらに、体内でアルコールを分解する機能には、一種の慣れの現象(これは生化学的現象ですが)があって、つね日ごろ飲み慣れている人だと、時間当りの分解機能が高くなります。また、空腹時におけるアルコール吸収の速度と、食事をとっているときの吸収速度には大きなちがいがあります。食事の中身によって、吸収速度に相違がでてくることも当然です。
簡単にいえば、同じ量のアルコールを飲んでも、血中アルコール濃度には個人差と条件差があるということです。大柄な人と小柄な人とでは、大柄な人のほうが濃度は上がりません。
お酒を飲み慣れた人とそうでない人とでは飲み慣れた人のほうが濃度は低い。これは、訓練を積んでいるからで、肝臓のなかのアルコール分解酵素がたくさんあるからでしょう。
それから、同じ人が、食事をとりつつ飲んだときと、そうでないときとでは、食事をとっているときのほうが濃度は半分くらい低くなります。一定量のアルコールを飲んでも、酔いの個人差はきわめて大きく、同一人物でもコンディションによって大きくちがうことは、われわれがよく日常体験するところです。
このように、いろいろの条件でちがいますが、とにかく一般的には、血中アルコール濃度が
0・05パーセントに巡したころから、いい気分の「ほろ酔い」にはいることになります。そし
て、0.25パーセントをこえると急性アルコール中毒の泥酔の状態になり、0・35パーセント以上になると呼吸マヒなどの危険もでてきます。つまり、アルコールによる急性中毒死です。
アルコールの薬理作用は抑制作用ですから、ほろ酔いというのは、もっとも高度な精神作用が抑制されることを意味します。この高度な精神作用とは、理性にほかなりません。だから、ほろ酔いになりますと、日ごろ本能的衝動をコントロールしていた理性が抑制されて、自由な気分になれるわけです。ですから、ほろ酔いは、ほんとうの意味での精神的高揚とはいえません。そし
て、0・15パーセントをこえるころに睡眠にはいります。しかし、0・15パーセントをこえても眠れない条件下にあるときには脚がふらつき、言語、ことに発音が不確実になって、なにをいっているのかよくわからなくなります。そして、0・25パーセントをこえるころから顔色が青くなり、冷汗をかき、嘔吐し、歩行もほとんど不可能になってきます。
どれくらいのアルコールを飲むと酔うのか、つまり、血中アルコール濃度が上がるかということは、まえにも述べたとおり、個人差が大きくていちがいにいうことはできません。ほろ酔い、つまり血中アルコール濃度が0・05パーセントに達する一応の目安としては、体重60キロの人で、アルコール60ミリリットルくらい。つまり、自分の体重が目安になります。
具体的にあげると、体重60キロの人の場合、日本酒はアルコール度16パーセントとして、400ミリリットル(2合強)、ビール(4度)なら1500ミリリットル (大ビン2本強)、ワイン(10度)なら600ミリリットル(一本弱)、ウイスキー(40度)なら150ミリリットル(ボトル4分の1弱)ということになります。
泥酔のアルコールの量はというと、血中アルコール濃度が0・25パーセント以上、つまり、清酒ならば一升以上の量です。
とくに、0.35パーセント、量にして清洒2升5合にちかづくと、死の危険があります。
もちろん、これには、つまみや食事のとりかた、あるいは飲む速度についての条件が加味されていませんから、あくまでも目安であって、数字それ自体にこだわると弊害も大きいと思います。
やはり、自分自身の「ほろ酔い」の条件を自分で承知していることが、いちばん大切だと思います。

酒を味わって飲むのは健康的

ところで、酩酊は、理性が抑制されることから始まるので、その人の先天的な性格や、その日の心理状態で抑制のされかたが大きく変わります。この理性の抑制こそが、現代社会で多くの人にアルコールが好まれる理由となっていると思います。必ずしもお酒の味がよいからではないのです。もっとも、味がわるければ欽むわけはないでしょうが、少なくとも大酒家にとって、味は二義的であり、理性の抑制が楽しさを招くから味もよいと感じられるのだと思います。
この点、心底から酒を愛しているかたからは反論があるかと思います。ワインを何本か銘柄のちがったものを買い集めてきて、好きな仲間が渠まって品定めをするとか、料理に合わせて日本酒にするか水割りにするかに神経をつかう人などが、わたしの周囲にもいます。彼らは、「ほろ酔いも求めているけれど、それだけじゃないよ」というでしょう。こういう人たちについては、わたしはさほど心配していません。なぜならば、泥酔して、酒の味がわからないようになってしまっては、本来の酒を楽しむ目的を失ってしまうので、自制するからです。
つまり、「味」でアルコールを選んで飲む段階は、健康的といえるのです。味を忘れた大酒家が、いちばん心配な存在なのです。

体にはいったアルコールはどうなるか

さて、飲んだアルコールの2〜5パーセントは、尿、ます。しかし、なんといっても、体内での代謝が多く、われています。
呼気、唾液、汗を通じて外界へでていきその割合は最低でも90パーセントといわれています。それでは、アルコールを飲むと、どのような経路をたどって代謝されていくのか、簡単に説明してみましょう。
飲んだアルコールは、そのすべてが、まず胃や腸で吸収されます。しかも、空腹時にアルコールを飲めば、およそ2時間半後には、胃や腸管内にあとかたもないほど、よく吸収されるそうです。
よく、すきっ腹にお酒を飲むと酔いがはやいといわれますが、この理由はここにあると思われます。
逆に、なにかを食べながら、あるいは食べたあとにお酒を飲めば、吸収される速度もおそい、つまり酔いのまわりもおそい、ということになります。とくに脂肪分の多いもの(バター、天ぷら、フライドチキンなど)をとれば、胃壁に脂肪がくっつくので、アルコールが吸収されにくく(酔いにくく)なります。
この胃と腸とでのアルコールの吸収の割合は、胃でアルコール全量の20パーセント、腸で80パーセントといわれています。
この数字の差は、腸のほうが胃よりもずっと血流や表面積が多く、そのうえ吸収用に適した構造をもっているという理由からです。胃と腸に吸収されたアルコールは、血液中に吸収され、血流に乗って全身へゆきわたります。このとき、血流の量が体内の各部のアルコールの量に大きな影響を与えます。
血管の多い器官や組織(脳肝臓、腎臓、筋肉、ホルモン器官など)では運ばれるアルコールの量が多いのです。反対に血管の少ない器官や組織(脂肪や骨)では、アルコールの量がずっと少なくなります。
アルコールの体内での代謝は酸化ですが、これは主として、さきほど述べた血管の多い器官や組織のなかでも、とくに肝臓で行なわれます。腎臓でも、ごく少量は酸化されるようですが、筋肉内ではまったく酸化されません。
アルコールは酸化され、アセトアルデヒドになります。このアセトアルデヒドは人体に有害で、飲みすぎたときの不快な現象の主因です。さらに、アセトアルデヒドは酢酸に酸化されます。ここまでの代謝はさきほど述べたように、ほとんど肝臓で行なわれます。そして、酸化された酢酸は、全身の組織に巡ばれ、そこで二酸化炭素と水に分解されます。
こういうふうにみてきますと、いかに肝臓というものが、アルコールの影響を取り除くために重要かということがわかると思います。ですから、日ごろからビタミンなどを多くとって、肝臓の保護につとめるのが、お酒を飲む人には必要かと思われます。
ここで、もう少しアセトアルデヒドについて、ふれておきましょう。
アルコールは、アルコール脱水酵素の働きで、酸化しアセトアルデヒドに変えられます。このアセトアルデヒドは、ひじょうに毒性の強い、いいかえれば薬理作用の強い物質なのです。アセトアルデヒドの薬理作用は神経刺激で、さきほども述べたように飲みすぎたときの不快な現象、たとえば、頭痛、悪心、嘔吐などの、いわゆる悪酔いの症状を誘発します。

酒に強い弱いは、どこがちがうか
さきに説明したように、消化器から吸収され、全身をめぐったアルコールのうち、汗や呼気によって排出されるわずかなぶんを除いた残りのアルコールは、最終的には肝臓の働きによって、
まずアセトアルデヒドに変えられます。このアセトアルデヒドは、アルコールの副作用、つまり急性毒性をもっとも強くだす化学物質です。顔が赤くなり、心臓がどきどきして、ついには嘔吐するなどの初期の急性中毒症状の大半はこれによります。抗酒剤は、肝臓におけるアルコール分解酵素の働きを低下させるものです。そのためにアセトアルデヒドの分解が阻止され、停滞するから、初期の急性毒性が強くでるようになります。
アルコール飲料にとくに弱い人というのは、アルコールの吸収、排出過程に問題があると考えるのが妥当ですが、その吸収、排出過程のどこにちがいがあるかについては、よくわかっていません。少なくとも、直中からアルコールが消失する時同にはそれほど差がないところから、アルコールが分解してできたアセトアルデヒドに過敏な人が、アルコールに弱い、と考えるのがよさそうです。
また、民族差をどう理解するかがつぎの問題ですが、長いあいだ、列代にもわたって飲酒習慣をもっている民族と、最近までアルコール飲料を知らなかった民族とでは、肝臓の各種酵素の分布に相違があるように思えます。つまり、肝臓のなかにあるアルコールを分解する酵素の量や質や、働きが、民族によってちがうのかもしれないのです。ですから、これを逆手にとって、アルコールの作用にどう各民族が反応するかを調べることで民族の発生の謎が解ける可能性もあるわけです。

大酒家の定義

純アルコールに換算して、150ミリリットル、清酒に換算して、5・4合以上を毎日飲んでいる人を世界的基準で″大酒家’とランクづけしています。
では、″大酒家’に該当する人は、わたしたちの周囲に、いったいどのくらいいるのでしょうか。
毎日、清酒に換算して5合以上飲んでいる人は、そんなに多くはないでしょう。それに、日本人は欧米人に比べて、体格が小さく、それだけアルコールに弱いですから、慢性アルコール中毒症の専門家は、この世界的基準を日本人の基準にあわせて、清酒一日3合以上としています。
そして、これを基準にした場合の日本人の大酒家の割合は、男性の飲酒人口中の9パーセント、女性の飲酒人口中の2・5パーセントと報告されています。
こういう、毎日3合以上飲んでいる、いわゆる。大酒家のランクにはいる人のなかに、いろいろ社会問題をおこす人が合まれることになります。もちろん、これ以外に一時的な酩酊による‘事故、たとえば車の事故とか、あるいはちょっとした犯罪とかいったものもでる、ということも考えておかなければいけません。
しかし、まず、対象の焦点を、いわゆる’大酒家’といわれる人におくことが、重要ではないかと思います。

酒乱の研究
今日世界的にみて、酩酊中だからといって、ある行為の責任を軽くしてもらったり、あるいは罰すべき行為を利しないということはありません。昌町中の行為であっても、責任はとるべきだし、罰する必要があれば利すべきだという考えかたは、各国に共通しています。
しかし、日本の場合、酔ったうえでのできごとだからということで同情することは、社会習慣のなかでいまでも根強く残っていると考えられます。神話にも、須佐之男命(すさのおのみこと)は、酔ってあばれまわったにもかかわらず、姉の天照大神は弟をかばったということがでているくらいです。
ビール圏の代表国であるドイツでも、比較的日本にちかく、つまり泥酔した状態でやった行為については、責任の追及を軽減するという考えかたをとっているように思われます。
しかし、泥酔状態で人に大きな迷惑をかけることができるでしょうか。泥酔の状態がどんなであるかを思いおこせば、すぐわかることです。
実際、みっともない行為、たとえば道路で寝てしまったり、大小便をたれ流したりといったような消極的な迷感はかけますが、運動機能がマヒした状態で人を傷つけたり、人を殺したりはできないはずです。
しかし、それはともかくとして、ビール党であるドイツでは、日本と同じように深い酩酊下のもとでやった行為に対しては、責任を強くは追及しないことになっています。
これに対して、イギリスとかアメリカでは酩酊下の行為に対してかなりきびしく、同情しないというのがふつうのようです。これは、各国の酩酊に対する考えかたのあらわれだといえるでしょう。

このことは、つぎに述べる病的酩酊、つまり酒乱の定義に微妙な差異となってあらわれます。
つまり、日本では、酒乱の範囲がアメリカに比べてやや広いということです。
そういった、国によっての多少の差はさておき、今日、ある行為が刑法上の罪にあたろ場合、酩酊中だからといって勘弁してもらうことは、ふつうはできません。しかしながら、人によってはまれではありますが、酩酊するとガラッと人柄が変わるということがあります。これは、いろいろな原因によっておきるのですが、少なくとも潜在的にある印の病気がある結果として、酩酊によってすっかりその人柄が変わってしまうのです。こういう場合を、専門的には病的酩酊といっています。
病的酩酊とは、簡単にいいますと、なにかの病気の症状のひとつなのです。ふつうの酩酊の過程をふまずに、ふつうの人と異なった酩酊の過程をへる人の場合、その根底に、なにかの病気が発見されることがあるのです。
酩酊を分類すると、ふつうの酩酊を単純酩酊とか、あるいは正常酩酊と呼びます。それに対して、普通の酩酊のパターンをたどらない場合、これを異常酩酊と呼びます。異常酩酊をさらに、複雑酩酊と病的酩酊の2つにわけます。
異常酩酊の代表的なものをあげてみましょう。「そんなに大量に飲んだとは思えないのに、比較的はやい時点で意識が混乱してくる」とか、「当然、運動機能がマヒしてくるはずなのに、平然としているようにみえる」、「酩酊しているふうにはみえなかったにもかかわらず、数十分以上のあいだのできごとをあとから思いだせない」、こういった酔いかたを異常酩酊(酒乱)といいます。
ところが、そのふつうの高所とはちがう過程をたどる人びとをたくさんみているうちに、このなかにもいろんな種類があるということがわかってきました。つまり、その人の体質によって、少量のお酒でも深く酔うという人もいるだろうし、あるいはたいへん疲れたというときにお酒を飲めば、少量のアルコール量でも深い酩酊にはいるという人もいます。異常酩酊にはちがいないけれども、それをもってすべてを病気の症状だ、結果だとはいえないのです。こういう場合を複雑酩酊として、異常酩酊のひとつとしています。
そこで残ったものは、どこから考えてみても病気の症状、ないしは病気の結果としか思えない酩酊のしかたをするもの、ということになります。これを、とくに病的島町と呼ぶわけです。
病気がかくれている
けれども、ここでさらに明確にしておかなくてはいけない問題があります。
つまり、病的酩酊という概念のなかに、心理的なものも含めるのか、それとも心理的なものは含めないで病態生理的なものだけを病的と呼ぶのかということです。
たとえば、人間だれでも多かれ少なかれ心にある傷をもっている、あるいは複雑に屈折した心理状態にあります。こういう人はたくさんいるわけですし、考えかたによってはだれでもそういう側面をもっているともいえます。それが、アルコールの作用によって、心理的コントロールがとれて、その内面の心の傷、ないしは屈折した心理が露呈されて、そのために社会的に許されない行為をやってしまったという場合、これは日常そうめずらしくなくあることだと思います。
たとえば、酒のうえで、日ごろなんとなく不快に思っていた上司や同僚をついなぐってしまったという場合などが、それにあてはまります。こうしたことがもっと深刻な行為にまでいたると
いうことがないとはいえません。つまり、そのために殺人とか放火にまでいってしまうケースです。それも病気の症状の一種、たとえばノイローゼがもとにあって、それが病的な酩酊を招いたというふうに解釈するのか、そうではなくて、心理的な屈折は、多かれ少なかれみんなもっているものだから、これを病気と判断することは、病気の範囲を広げすぎてよくないと考えるのか、このへんがひじょうにむずかしい問題です。
わたし自身は、心理的な屈折がアルコールの作用によって露呈された場合は、病的と呼ばないで、やはり複雑稲傷ということぱで呼んだほうがいいのではないかと考えています。
そうしますと、病的熱傷とは、病態生理的な障害の結果、ないしは症状としてあらわれた異常酩酊ということになります。
それでは、どういうときに病的熱傷がおこるのかというと、脳の機能的、器質的障害、つまり、かつて頭に大きなケガをしたために脳に傷が残っているとか、脳炎や脳膜炎をやった痕跡があるという場合です。このような人は、正常の人の熱傷の過程とはちがった酔いかたをすることがあるわけです。
わたしたちが、警察、検察、あるいは裁判の過程で、法律家から相談を受けてひじょうに困るのは、こういう病的高町の人が、ある事件をおこしたという場合です。酩酊しているようにはみえなかったという証人がたくさんいた場合、「彼は酩酊していた。彼は病的酩酊だから、責任をまぬがれる。責任を訴追することはできない」と主張しても、その見解はおかしいんじゃないかといわれるのです。
しかし、ふつうの人は、昌昭が迎んでくれば、運動機能が、あるいは感覚機能もマヒして、最後には深い睡眠にはいっていくということを基準に考えれば、いかに病的な高町であるかがわかるはずです。
大量のアルコールが体のなかにはいっているのにもかかわらず、運動機能はマヒしてこない、どこからみても千鳥足とか、その他酩酊にあてはまる状態ではない。
そういった人が、けんかをして人にケガをさせたとか、あるいは家に火をつけた場合、機能マヒがおきてないからこそ、病気の症状というふうにみなくてはならない。つまり、ふつうの酩酊ではなかったと考えなくてはなりません。
一見、千鳥足でもなんでもなく、とても酔っぱらいにみえないにもかかわらず、あとから本人はなにも思い出せないという場合、それに対して「この酔いかたは、病的だ」と判断した精神科医に対して、「そんなバカなことがあるものか」と反論されると、われわれ医師は困惑します。ふつうの酩酊とはこんなものだ、という基準から考えていただければ、病的酩酊というのはいかに病的であるか、ということがわかっていただけるのではないかと思います。

飲酒テストの限界

この病的酩酊が、なんらかの方法で実証できたという場合にのみ、酩酊下の行為は許されます。こういう考えかたが日本だけではなく、多くの法治国家では認められています。
その人の酩酊下の行為が病的なのかどうかの判断を求められるために、精神科医が酩酊の問題と取り組むことがよくあります。その場合、ごく単純に、もう一度その人にお酒を飲ませてみると、その人が病的酩酊であるのかどうかということがわかるだろうという考えかたがあります。
このもう一度お酒を飲ませるという方法を、飲酒テストと呼んでいます。
飲酒テストは、問題になった行為をおこした時と同じ種類のお酒とおつまみをできるかぎり同じ量用意して、だいたい可能なかぎり同じ速度で飲ませ、その人の酩酊下の行為を再現してみようというものです。なるべく一般の日本人がとっているのと同じレベルにもっていこうと、留ほ所にしても拘ほ所に
しても努力はしています。しかし、なんといってもかぎられた予算のなかでまかなっていくわけですから、どうしても動物性の脂肪と、新鮮な野菜が少なくなっています。ですから、酩酊事件をおこしたころ毎日食べていた食事と、その飲酒テストにいたるまでの数ヵ月間、毎日食べていた食事とは、ぜんぜんちがう栄養になってしまっています。
そういう条件のちがいを考えると、飲酒テストでの酩酊状態の再現は非常にむずかしいことになるわけです。ですから、単純にある酩酊下の行為が病的であったかどうかを判断するためには、もう一度お酒を飲ましてみればいい、という仮説は成立しないということになります。
わにしは、ある症状を誘発して朗祭する目的で飲酒テストをすることはあっても、酩酊の再現を目的にこのテストを行なうことには反対です。それに、何ヵ月ものあいだ隔離されていた人に同じ量のお酒を飲ませることは、残酷だし、治療のうえでも筋がとおりません。

保護の仕方
急性アルコール中毒、つまりひどい酩酊の治療にあたり、まず、酩酊はどういうときに治療しなくてはいけないのかという課題があります。この即題は、大別して2種類あると思います。ひとつには、酩酊して、ほんとうなら抑制・麻酔効果のために眠ってしまうはずの急性中毒考が、逆に興奮状態になって、あぱれているといった場合にはどうすればいいのかということがあります。しかし、正直なところ、酒乱の人があばれているのを薬でおさえるということは、たい
へん危険をともないます。それは、アルコール自体が抑制効果をもっている薬ですから、同じように抑制効果をもつほかの薬、つまり強力な精神安定剤とか、睡眠剤とか、沈静剤とかいったものを与えますと、急速に抑制効果が相乗されて、いろいろな事故につながります。
たとえば、急性の呼吸マヒや心臓マヒがおこり、そのまま死んでしまうことにもなりかねないわけです。ですから、どんなにお酒で酔っばらってあばれている人がいても、抑制効果をもつ薬を、興奮しているのだからといって与えるべきではありません。
むしろ、一見乱暴なことをするようにみえますけど、薬をつかわずに押さえつける、あるいは体をぶつけても、頭をぶつけてもケガなどしないような設備のある部屋(たとえば、壁に防御するものをはったような小さな部屋)に入れるという方法しか、よい考えはないわけです。
そして、そろそろ睡眠にはいると思われるときに、急性アルコール中毒の治療を始めます。このとき、ふつうは点滴庄射によって水分とかブドウ糖、その他の果糖を大量に与えて、酔いをさませるわけです。アルコールそれ自体は抑制剤ですから、よく西部劇のシーンにあるように、紅茶とかコーヒーとかいったカフェインを合んだ覚せい作用のある飲みものを与えることもよいでしょう。
しかし、医療の場では、点滴注射をしています。プドウ糖やその他の果糖を与えるのは、血中アルコール濃度を急激に下げていくのにひじょうにいいわけです。
そういうことからみますと、お酒を飲むときには、いつもくだものを用意しておくといいということになります。
少し酔いすぎたなと思ったとき、柿とか、みかんとかを用意しておいて食べるというのは、日本人が長いあいだに身につけてきたひとつの知恵のようです。これは、急性アルコール中毒を防ぐいい方法です。

昏酔状態は危険だ

もうひとつ治療を必要とする急性アルコール中毒の状態は、本来の抑制効果がひじょうに強くて、昏酔状態にはいってしまったという場合です。この場合は、さきほど述べた、酒乱で興奮している場合よりも危険です。呼吸マヒ、あるいは循環器がマヒ状態におちいって、そのまま死んでしまうということが、そうめずらしくなくあります。
そういう場合どうしたらよいのかというと、あばれている場合よりもすみやかに、点滴注射によってブドウ糖とか、その他の果糖をどんどん与えていかなければなりません。とにかく血中アルコール濃度を下げます。そして、気がついたときに、熱いお茶とかコーヒーを与えると、昏睡状態からさめるようになります。
もちろん、呼吸マヒとか循環器マヒに対しては、医学的な予防、または洽寂とかがいるわけですが、これは医師の仕事。とにかくそばについている人は、さきほど述べたように、くだものを与え、カフェインのはいったコーヒーや熱いお茶を与えるということがベストでしょう。

歓迎コンパでおぼれるな
今日、お酒を飲みすぎて、急性アルコール中毎になり、死んでしまうという人がいったいどのくらいいるのでしょうか。はっきりした数字はでていませんが、毎年のように、新入生の歓迎コンパで、はじめて大量のお酒を飲んだ18、9歳の若い学生が死ぬとか、出嫁ぎに出てきて仕事にあぶれてしまった人が、ヤケ酒を飲んで死ぬとかいった事故を新聞紙上でみるわけですから、急性アルコール中毒による死亡などめったにない、などとタカをくくってしまうわけにはいかないだろうと思います。ですから、いちおう自分のためにも、そして自分といっしょにお酒を飲む人のためにも、突然急性アルコール中毒で興奮したり、逆に深い抑制(昏睡)の状態にはいったときには、なにをいちばん最初にするのか、という基本的な知識ぐらいはもっていたほうがよいと思います。

〔まとめ〕
⑴日本人は、酩酊したものに対して、かなり寛大であるが、外国では酔っぱらうと、社会的には致命的なミスとなる。
⑵「酔う」ということは、理性が抑制されて、自由な気分になるところから始まり、やがて運動機能、感覚機能がマヒして、最後には深い睡眠にはいる。
⑶どのくらいの量の酒を飲めば酔うのか。個人差があり、一言ではいえないが、だいたい体重60キロの人で、日本酒なら2音強、ビールなら大ビン2本強、ウィスキーならボトル4分の一弱である。
⑷アルコールの致死量は、およそ清酒ならば一升5号である。
⑸ほろ酔い程度で味わって飲んでいるぶんには、酒は健康的であるといえる。
⑹飲んだアルコールの最低90パーセントは、肝臓で処理される。アルコールの影響を取り除くために、肝臓はひじょうに重要な役割をする器官である。
⑺ ″大酒家’とは、世界的基準では、毎日150ミリリットル(清酒に換算して5・4合)以上飲む人をいう。日本人の基準だと、毎日清酒3合以上を飲む人をいう。
⑻病的邸町は、脳の障害(脳に傷が残っているとか、脳炎や脳膜炎をやった痕跡がある場合)があるためにおこり、これは一種の病気であるといえる。
⑼飲酒テストとは、主として、犯罪行為が行なわれたときの勣罰が、はたして病的であったかどうかを判断するために行なわれるテストである。
(10)酒を飲んであばれている人がいれば、一見乱暴そうにみえるかもしれないが、押さえつけるか、または、体をぶつけてもケガをしないような設備のある部屋に入れる。
(11)酒を飲んで、昏睡状態にはいってしまった人は、生命に危険がある。早急に医師の手当を受けなければならない。

 

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