ノックビン(ジスルフィラム錠) アルコール依存症治療薬

アルコール依存症治療薬レグテクトから抗酒剤ノックビン(ジスルフィラム錠)に変更。強制的に酒を飲めない体質にする訳だから、抑止力の差は歴然。

現代アルコール商法を憂う

      2016/12/10

現代アルコール商法を憂う

男が飲むと家が半分燃える
女が飲むと家が全部燃える
ーロシアの諺ー

日本独自の予防方法が必要

アルコール依存症の予防を考える場合には、かならず、お酒を飲む人が所属している社会集団のお酒の使いかたを吟味したうえで対策をたてないと、無意味になってしまいます。これは、まえに説明したように、各文化圏によって酒の歴史的背景がちがうから、当然、予防対策もちがってくるということです。各国で、いろいろな予防の方法があります。
たとえば、トンガの人びとは、第二次世界大戦中に、島々に駐留してくる兵士たちが飲酒するのを見て、アルコールを知りました。そして、その後の交通機関の発達による観光ブームで、彼らも飲むようになりました。親たち、おとなたちは、アルコールを飲むことに対しては警戒的なので、子どもたちは堰にかくれて夜飲みました。かくれて飲むものですから、ゆっくり飲む余裕はなく、短時間に飲まざるをえません。ですから、泥酔します。
やがて、交通機関の発達によって、こういう国の人たちが、ニュージーランドとかオーストラリアヘ出稼ぎに行くようになりました。そこには、ョーロフハのアルコールがありますから、多くの若者は、そこでまたアルコールを知ります。しかも、西欧社会の人から、不当に差別された苦痛からのがれるために、アルコールを飲みます。楽しむ飲みかたを知りませんから、酩酊していろいろな社会的トラブルをおこすわけです。そういう状況の対策として、ニュージーランド政府は、ポリネシアとかメラネシアの島々からきた労働者に対して、飲酒習慣を中心とする特別な教育を準備していますし、島のほうでも出稼ぎをする人に対して、酒害を中心に保健教育をしています。
メラネシア、とくにパプア・ニューギュアでは、若者の飲酒量は激増しています。したがって、比較的低年令のアルコール依存症がふえているし、酩酊による社会的トラブルも増加しています。ところが、メラネシアの場合は、ポリネシアと少し事情がちがって、親たちがそれをみて禁止したり、不快に思う、ということがあまりないようです。ひしろ、飲酒するということを、あたかも現代化、つまり西洋の人に近づいていく、というように考えています。
古いパプア・ニューギュアの生活を脱却して、社会開発を進めていくために、欧米の人だちと同じようにアルコールを飲もう、とでも思っているようなムードらしいのです。新しい生活のシンボルとしてアルコールを飲む、というかたちをとっているわけです。独立前のパプア・ニューギュアでは、原住民のアルコール依存症者はほとんどいなかったということですから、興味深いことです。
このように、すぐとなり合わせになっている島々でも、アルコールが、その文化のなかにはいってきてからの期間とか過程によって状況がちがっているので、その対策はやはり自分たちで考えることが大切でしょう。
ですから、日本の酒害に対する予防は、やっぱりわたしたち自身の手で、わが国の文化を十分に吟味して、そのうえにわたしたら独自の予防対策を考えていかねばなりません。
これにはいろいろな方法がありますが、ひとつは、あとで説明するような少年、児童に対する酩酊やアルコール依存を合んだ酒害に関する健康教育をどう展開していくかといったような問題と、もうひとつは、社会生后のふしぶしでわたしたちはお酒を飲むので、そのリズムを狂わさないように上手に飲むということのくふうです。

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女性のアルコール依存症の特徴

つぎに、男性と女性とで同じ対策を考えていていいのだろうかという疑問があります。もちろん、現状では、とくに日本の場合、いくら女性のアルコール依存症、あるいは酩酊者がふえたといっても、まだまだ男女差は大きいのです。慢性アルコール中毒者のなかの約3パーセントぐらいといわれていますが、多くみても一割程度だと思います。女性1に対して男性3、さらにその差が縮まっているアメリカなどに比べますと、日本の場合は女性の比率はかなり少ないだろうと思います。けれども最近、女性の酩酊者やアルコール依存症が激増しているという報道には、それだけの根拠があるのでしょう。ですから、いつか諸外国なみに日本でも女性アルコール依存症がふえるかもしれないという前提で、今から予防を考えておかなくてはいけません。それには男女同じでいいのかということを考える必要があります。

女性は、ヤケ酒は少ない

男性のアルコール依存症に比べて、女性のアルコール依存症は神経症的な人がそんなに多くないと考えられています。わかりやすくいいますと、女性の場合には、男性と同じような意味でのヤケ酒を飲む人がそう多くはないということです。
女性のアルコール依存症は、アルコール依存そのものについては、男性ほどには悩まないともいえます。しかし、男性の場合は、飲み続けていながら自分がお酒を飲んでいることに悩むことがあり、ここにもちがいがありそうです。

心配してくれる人にすまないと思う
女性が、「自分は酩酊者である」とか、「自分はまた酩酊してしまった」ということで悩むのは、多くの場合、自分が酔っぱらったという事実そのものよりも、そのことを心配してくれる人に対しての義理をはたすことができなかったためとか「お酒をやめなければ、あなたの健康はそこなわれるだろう」とか「お酒をやめなければ、あなたの家庭はこわれるだろう」と自分を戒めてくれる親切な人に対しての義理を果たせず、「すまなかった」と悩むのです。
けれども、「自分の家庭がこわれようと、私がこのまま死んでしまおうと、それはそれでいいんだ」というふうな、一種の開き直りというか、そういうことぱがわるければ、もっと純粋に、酩酊そのものにのめり込んでいくという女性が多いように思います。「どうして自分はダメなんだろう」と思いながら酩酊する男性の心理的過程とはちがうようです。これがわたしが男性と女性の酩酊対策はべつであるという理由です。

かくされるがゆえの悲劇
第二には、これは外国でもいわれていることですが、女性の酩酊者は、男性の酩酊者とくらべて、家族とか友人にかくされているといいますか、よくいえば守られている、ひとめにふれないように取り計らわれていることが多いのです。それはどういうことかといいますと、家族や友人がもっと飲みたいという女性を無理やりにでも家へ連れて帰って、「本人がもっと飲みたい」といえば、自宅で飲ませるといったような配慮をします。ですから、社会的トラブルをおこすまえの時点で、みんながかくしてしまいます。そういうことが、女性のアルコール依存症の数をつかむのをひじょうに困難にしています。また、臨床的にも治療の着手を遅らせていると思います。
家族や友人たちが、当人と多くの人だちとの交際を断っていますから、女性のアルコール依存者はおそろしい孤独におちいります。自分の周囲には、酩酊を非難する人ばかりですから、心を開くということがだんだんなくなってくるわけです。もともと孤独で人に助けを求められない人がアルコール依存におちいっていくので、ますます、その傾向を助長していくようなことになります。このために治療もしにくくなります。

酔えばチャーミングになると思っている
第3には、きびしい現実を逃避するために、あるいは乗り越えるために、お酒の力を借りるということが、アルコール依存をつくっていく心理的な理由だといいましたが、男性が直面する現実と女性が直面する現実にはちがいがあります。その現実とぶつかって苦しいと思うときは、男性の場合は、仕事上での心配とか、仕事のうえで評価されないとか、あるいは社会構造の変化で、長年自分がつちかってきた技術をふるうことができなくなったとかいったように、仕事と結びついています。
それに対して女性の場合は、恋人が去っていくとか、あるいは、ご主人が亡くなったというような家庭のなかとの情緒的な結びつきが大半です。これは女性の特徴というよりも、女性が社会的に置かれている条件が、職業という社会よりも、家庭を中心としているからであることはいうまでもありません。
このように男性と女性とでは苦しいと思う契機がちがうわけで、その苦しいと思うときにお酒を飲み始めるのですから、アルコール依存の対策も変えていかなくてはいけないのではないか、ということです。
アメリカの依存研究者たちが、ときどき話題にすることですが、酩酊を好む女性をみていると、しらふのときの生活が、どうも男の目からみて、それほどチャーミングじゃない。女らしさという面でどこか欠けているんじゃないかと思われる人が多い。ところが、酩酊したときにはじ
めて女らしくみえる。そして本人自身も酩酊下のほうがチャーミングにみえる、ということを自覚して、また酩酊していく人が多いようだ、といっている人がいます。
私は、それを聞いてそれは当然なことだと思いました。つまり、女性が女性らしくなり、男性が男性らしくなるということは、いずれにしてもなんらかの心理的な抑制、あるいは自己規制が強くて、自由にふるまえない人が、アルコールを使って軽い酩酊状態にはいると、自己規制がゆるむ、あるいは、精神的な抑制がなくなります。そうすれば、自由になった気分になります。人にも語りかけていけるし、自分らしくふるまうこともできます。べつにその点において男女差があるわけではないと思います。管理社会のなかでは、男性も女性も、本来の「らしさ」をおさえられているのです。
アルコールがはいると、男性は、大声で歌をうたってみたり、自慢をしてみたりして、男性らしさを誇張しようとします。女性は、アルコールがはいると、つね日ごろ、なんとなくいじけた、あるいは堅すぎるということで、女らしくなく見えたものが、生き生きとして、彼女らしくなり、女らしくなるという評価につながってくるのではないかと思います。
そういう風に考えていきますと、アルコール依存症が、お酒がなくても、彼らしく、枝女らしく生きるためにはどうしたらよいのかが、予防対策の中心になるものと思われます。
そのためにはまず子どものころから、対人関係をスムーズに保てるように育てるよう努力しないと、アルコールだけに問題の焦点をあわせていても、対策のたてようがないということになり
ます。全人格の教育方法が予防にはm要だということです。対人関係のうえで酩酊を求めている人が多いということがはっきりしているのですから、問題
をもう少し広げて、対人関係がお酒なしでうまくいくための教育を考えていくべきだと思います。とくに、気の弱いタイプの男性と、多くの女性依存症についてみると、対人関係を結ぶことが拙劣すぎることを痛感します。ある意味では、素朴なのかもしれません。自己表現ができない。ほんとうにそのことに困っているなら、「わたしは、こういうことで困っているんだ。助けてほしい。相談にのってほしい」とはやい時期にいえばいいのに、それができない。あるいは、
自分が長くいた集団とちがうところにはいっていくとき、たとえば、結婚とか就職によって新しい環境にはいるときに、適応しにくくなるとはじめからあきらめてしまって、酩酊のなかに沈溺してしまうということになるようです。
こういったときは、これからはいっていく新しい集団について学んで、溶けこむ方法を考える姿勢と技術があればいいわけです。それはやはり家庭を中心にした高校までの教育の問題と思います。

なぜ、20歳未満は酒を飲んではいけないのか
わが国の場合、青年に達するまで、つまり満20歳に達するまで、お酒類を飲むことを禁止されているということは、みなさんよくごぞんじのとおりです。未青年者飲酒禁止法という法律があるくらいで、20歳未満の少年たちが、お酒を飲むということは罪になるわけです。この未成年若飲酒禁止法にはこういうことが書いてあります。

第一条   ①満二十年二至ラサル者ハ酒類ヲ飲用スルコトヲ得ス
②未成年老二対シテ親権ヲ行フ者若ハ親権者二代リテ之ヲ監督スル老未成年老ノ飲酒ヲ知りタルトキハ之ヲ制止スヘシ
③営業者ニシテ基ノ業態上酒類ヲ販売又ハ供与スル老ハ満二十年二至ラサル者ノ飲用二供スルコトヲ知リテ酒類ヲ販売又ハ供与スルコトヲ得ス
第二条 満二十年二至ラサル者カ基ノ飲用二供スル目的ヲ以テ所有又は所持スル酒類及基ノ器具ハ行政ノ処分ヲ以テ之ヲ没収シ又ハ廃業基ノ他ノ必要ナル処置ヲ為サシムルコトヲ得
こういう規定に反したものは、科料に処され罰金をとられるときめられています。いまの法律は大正11年に施行されたのですが、明治45年にさらにこの法律の前のものが制定されていました。このことは日本でのアルコール依存症がふえているといわれながらも、諸外国のように激増し
ないことと大きく関係しているように思われます。
それから、このような法律が今日も廃棄されずに施行されており、多くの日本人がこの法律に疑いを表明しないところにも日本人の特徴があるのではないかと思います。
こういう法律があるためか、あるいは日本人が、もともと子どもたちや少年たちがお酒を飲むことをいろいろな意味でよくないことと認識していたためか、子どもたちがお酒を飲むことを、健康上よくないと考えるよりも、道徳上の悪だととらえます。
このことは、じつは保健や医療に関係している人たちでも、よく話し合ってみると、基盤には同じ姿勢があることがわかります。
たとえば、お医者さんや保健婦さんに対して、「子どもたちがお酒を飲むことや、タバコを吸うことがどうしてよくないんだろうか」とたずねると、医学的に「健康上の理由から禁止すべきだ」と答える人よりも、「それは非行へのきっかけである」という道徳的なとらえかたをされる人が少なくないのです。
もちろん諸外国でも子どもや少年が、アルコールやタバコをやることを嫌います。道徳的によ
くないこととしてみる視点がないとはいえないのですが、ニュアンスがちょっとちがいます。欧米人の場合では、満20歳(近年は、18、9歳に下げたところもふえています)というところに線をひいて、満20歳に達すればお酒を飲んでも、タバコを吸ってもよくて、それ以前はいけないときめている法律に対して、科学的な根拠があるのだろうかという疑問を一般市民が表明し、科学的根拠を示すことを求めるわけです。
しかし、そう開き直られてみると、20歳までは仰望によくないけれど、20歳をすぎるとあまり問題はない、という根拠は明確ではありません。今日、日本では多くの少年が酒とかタバコをやっていますけれども、外国に比べてまだまだ問題が深刻にならないというのは、これを道徳上の問題としてとらえているからだと思います。

道徳的規制はプラスかマイナスか
しかし、その反面で、道徳という観念で取り締まるために、ことに1960年代にはいってから、既成の社会秩序、あるいはこういうことをささえている道徳をこわさないかぎりは、ほんと
うに人びとにとっての幸福な社会はつくられない、と考える人がふえてきました。
そして、道徳的に禁止されているからこそ、逆に少年たちは酒を飲みタバコを吸うという現象があらわれてきたようです。あるいは治療において、酒を飲むことは健康に対して害があると考えるまえに、道徳的にわるいことだと思い込んでいると、治療がたいへんやりにくくなります。
たしかに、道徳のワクをはめているから、わが国では、比較的はやい年齢でお酒を飲み始める傾向を少なくし、アルコール依存や、その他のアルコール痛が爆発的に増加することを止めていると評価していいと思いますが、世のなかが変化しても、このままであるかどうか。もしかしたら、既成の秩序を破壊するための手段として、酒を飲んだり、タバコを吸ったりする少年が、あるとき突然激増するかもしれません。
とにかく、年々わが国のアルコール消費者の年齢は低下しています。25歳前後の若さでアルコール依存症のため入院治療を受ける人もふえてきています。人によっては、29パーセント〜30パーセントが25歳未満だといった数字をあげている人がいるくらいで、統計的にでていなくても、年齢の低下は、日常、臨床家が経験しているとおりです。
また、飲酒をはじめた年齢が20歳以前だったという人が、アルコール依存で入院治療を受けている人たちの、70パーセントをこえるという事実もありますから、日本の場合、法律があって道徳的な歯止めがかかっているとはいうものの、かならずしも守られてはいません。もちろん、欧米と比べれば守られていますが、国内的にはかなりタガがゆるんできているのです。
あるいはまた、酩酊犯罪をみてみましても、満20歳未満の少年が昂奮犯罪で逮捕される例がかなりふえています。
飲酒の年齢層の低下に関して、世界の酒害の予防を考えている人たらは、「アルコールを飲ひことを道徳上の罪と思わせるのは、よいことではない」と考えています。むしろ、道徳的に禁止した場合、少年たちは逆に飲酒に関心を示すようになると主張する人もいます。だから、これを道徳的なワクからはすした場合には、かえって少年たちはお酒を飲むことに関心を示さなくなるだろうというわけです。
しかし、わたしは、未成年老の飲酒を法律で禁止して、道徳的にアプローチすることは、わるくないと思います。でも、なぜ禁止するかを、おとなが明確に示し得ないなら、たしかに逆効果になるでしょう。ですから、少年に対する教育全般と、そのなかの健康教育の充実が重要だと思います。

少年たちにアルコールの害を科学的に説明すべきだ

どのような研究調査をみてみても、のちにアルコール依存になる人は、ほとんど例外なくはやい時期から欽酒がはじまっているということから、現在、どこの国でもお酒の害を学校教育で一生懸命に教えています。わたしは近年、マニラに行きましたが、マニラの小学校の健康教育のなかで、アルコールの害、酩酊の害について熱心に教えられているのをみて、びっくりしたことがあります。
わたしの参加した授業は酩酊の害でしたけれど、その後のカリキュラムでお酒の害一般をやるといっていました。日本でいうと保健にあたる単元の中で、各国では酒害にかなり重点をおいています。子どものうちから酒害ということを教えこんでいることはよいにちがいありません。わが国においては、さきほども言いましたように、酒害については、健康教育よりも道徳的な問題として教えているように思います。たしかに酒害の予防ということになれば、なるべく早い時期に(小学校の時代から)教育に織り込んでいくのが、大切だと思うのです。もちろん、わが国のように道徳の観点からみるのと、わが国以外の保健の観点から教育をすすめていくのとはどちらが有効かを、よく検討してみなければいけないでしょう。
わたしは、「人間の幸福」という視点から健康問題をとらえ、そのなかで酒害を説くのがよいと考えています。
こどもたちが依存する薬物を各国が提出しているのをまとめた世界保健機構の報告では、まずタバコ、ついで、アルコール、3番目には、有機溶剤(わが国では、シンナー、ボンド)です。
依存性薬物の乱用を防ぐという意味でも酒害教育は、ひじょうに大事なことだろうと思います。

なぜ、酒造メーカーを問題にするのか

供給源側の対策と、向精神作用のある薬物を欲する人の側の問題を解決していくという二つの道を比較した場合に、どちらから手をつけるべきでしょうか。
社会の変わりかたがはやい現代では、人間の心理をコントロールするとか、酩酊を欲するような人を少なくするとか、配酎を求める度合いを軽減するとかという個々人の側の間趾はひじょうに困難だと思います。なぜなら、アルコールに悩む人たちは無数にいるでしょうし、あとからあとからでてくるわけです。この社会のどこかにアルコール狂いの一風変わった人たちがいて、ましてやダメな人たちがいるから、その人たちの対策さえたてておけぱいいという問題ではないのです。
社会構造が現状のままでは、つぎからつぎへとそれに対して不満を感ずる人、あるいは、現在の社会構造の中では、挫折していく人が増え続けるでしょうから、アルコール依存症をへらしていくことは、かなり困難なことといえるんではないかと思います。むしろ、アルコールの供給面をどうにかコントロールしていくことのほうが、てっとりばやいように思います。

酒造メーカーの大宣伝に疑問あり
わたしの友人のフォートというサンフランシスコの精神科医は、似前から「麻薬の流通機構が犯罪であるのと同様、アルコールの販売ルートにも犯罪的側面がある」といっています。
世界保健機構も、アルコールの広告が・過大になることを警告し、アルコールの広告とアルコールの消費に関する研究を呼びかけています。
さらにスウェーデンなどではかなりきびしく視制しているようです。このような視点は、日本にはあまりないように思います。一種のマーケット・リサーチですから、広告費を少しまわせばすぐにできる調査なので、日本のメーカーにも考えてほしい問題です。
日本ではラジオ、テレビ、雑誌などで、アルコールの宣伝が、ひっきりなしにくりひろげられています。また、その広告をみる人たちも、べつに抵抗なくそれを受けとめています。
しかし、この本をここまで読まれたかたは、こんな現状に憂いを感じるでしょう。なぜなら、アルコールの危険な側面をまったくタナ上げにして、ただムードで酒を飲むように誘いかけているのですから。

自動販売機による酒の販売は、是か非か

いまは、お酒を手にしようと思えば、百円玉を何個かもって自動販売機までたどり着けば、ガチャガチャとでてくる世のなかになっています。あるいは、スーパーマーケットでボトルを何本かカゴにいれてカウンターでお金を払えば、自分のものになるという時代です。こういう末端の流通機構をみてみると、むかしとずいぶんちがうように感じます。
何年かむかしのように、酒屋さんという特殊な店があって、そこにいかなければお酒を買うことができなかった状況とは質的にちがっています。酒屋さんが町に一軒あって、そこにいかない
と買うことができないとなると、町で顔なじみの酒屋さんですから、むやみに大息のお酒を買いにいくと、「もうやめたらどうだい」と人間関係のうえでコントロールがかかります。
また、いまはバーや飲み屋で飲むことも簡単にできます。駅のそぱなどでは、ずらりと飲み屋が並んでいます。こんなにたくさん飲ます店が並ぶと、そこのバーテンなり、飲み屋のおやじさんやママさんは、お酒さえ飲んでくれればいいのであって、「もういいかげんにおやめなさい」とはいわなくなると思います。つまり、いまは、自然におたがい同士が、社会常識のうえで注意しあう時代ではないわけです。
お酒を少しひかえようと思っても、とにかく手持ちぶたさに感じて、テレビをつけるとアルコールのコマーシャルがでてきます。アルコール依存症は、アルコール以外のものにはあまり関心をもたなくなります。テレビをおもしろいともなんとも思わなくなっているから、ボーッと見ているわけです。それで、お酒やウィスキー、ビールなどの広告がでてくるということであれば、「今日はがんばってお酒をやめよう」と思っていたにもかかわらず、その広告に誘発されて、また飲みたくなります。
そう思ったら百円玉さえあれば、べつに気がねして買う必要もない、つまり対人関係なしにでも手に入れられるから、すぐ走って行って買って飲んでしまうのです。
そういう流通機構、宣伝の仕方を、このままにしておいていいのかということが論議されなくてはいけないでしょう。
本来、依存性のあるアルコールの販売には、どうしても人間関係が必要ではないかと思われます。お酒の売買とは、楽しいとき、悲しいときに、売るほうの酒屋のおじさんも、お祝いをいったり、激励したり、たしなめたり、お悔やみをいったりして、そこにある種の人間関係があって受け渡されるものです。それが、自動販売機にお金を入れてガシャッとでてきて、そのまま缶を開けて、一気に飲む。べつに話し相手がいるわけでもない。こういう現状のまま、流通機構の末端を放流しておいていいんだろうかという心配を訴えたいのです。
しかし、これも仮説にすぎないわけです。そこで、アルコール依存置はどういうお酒の買いかたをしているのか、あるいはまた、依存症になるまえはどういうお酒の買いかたをしていたのか、その点に問題はなかったの・か、という系統的な調査をして、流通機構のほうを整備していくことが必要でしょう。

税金獲得のために、酒を売っていないか
流迎機構の面でおもしろいのは、お酒に税金をかけていることです。むかしから、日本の酒税はひじょうに高い。明治元年には、酒百石につき20両の酒税が即せられていました。明治33年には、租税収入の3分の1以上が酒税だったということです。どこの国でもお酒にかける税金は、国の財政にとってかなり大きな部分を占めています。したがって、だれが、いつお酒に税金をかけることを思いついたのかということは、この依存性の問題を取り扱っているわたしたち
は、じつに興味のあることです。
アルコールは依存性がついてしまうとやめられなくなるものですから、これほど硯実に税収入が確保できる対象物はないわけです。ですから、依存性という概念は知らなかったにしても、かなりかかしから、こういう現象には、権力者は気がついていたと思います。
アルコールだけでなく、タバコに対しても日本やフランスでは高い税金をかけて、専売制にしています。タバコのなかにあるニコチンにも依存性がありますから、これに税金をかければ、国のかなり大きな財力となる、それも年ごとに変化なくお金がはいってくるということになるわけです。依存性のある薬物に税金をかける発想は、税を取る側からいえばきわめて卓越したものだし、取られる側からすればなんともせつない話です。
依存性のある薬物に税金をかけることから考えますと、暴力団が依存性のある薬物を財源につかうという発想も同じことだと思います。
世界のギャング・シンジケートができていく過程で、ひとつのエポックがあります。1920年代から14年間続いたアメリカの禁酒法の期間に、国際的な暴力団ができあがったことです。
同じころ、依存性薬物のもう一つの雄であるアヘン系の薬物の流通機構をめぐって暴力団が形成されたこともごぞんじでしょう。
禁酒法という法律をつくりますと、片一方では、やめようと思ってもやめられなくなる人もいますから、なんとかしてお酒を手に入れたいと思う。そういう人たちにお酒を供給することによって硝実にギャングの収入があがっていくということになるわけです。

規制をきびしくすると、逆効果である
この本の原稿執筆で疲れて、手もとの難詰をひろい読みしていたら、室蘭で開業しておられる斎藤義寛光生のエッセーが眼につきました。「スウェーデンにおけるアルコール問題」と題されています(「日本医事新報」昭52年6月18日及び25日号)。
スウェーデンは、アルコールをはじめ、依存性薬物問題がきわめて深刻な国のひとつです。斎藤先生も、公表されている人ロー人当りアルコール消費量がわが国とそれほど相違がないのに、アルコール依存症の数が日本の3、4倍になっている事実におどろかれたようです。したがって、この国ではその対策にもきわめて真剣です。酒屋は国営ですから、日曜日や夜間は買えないうえに、きわめて高い税金をかけています。酩酊による法律違反に対する罰則もきびしいので
す。この状況から、斎藤先生は、社会的規制を厳しくし過ぎると、密売等の地下流通機構ができるので、問題がずっと深刻になると解釈されていますが、私もまったく同感です。
しかもアルコールだけでなく、スウェーデンは、依存性薬物全般において乱用がきわめて多い国の一つですが、それらの薬物のすべてが密輸入です。10年以上前、スウェーデンから精神衛生の専門家も来日して、対策に関する日本のやりかたを・学んで帰りました。わたしは、彼に何度か、警察や司法でアルコールを規制するには、それなりの準備、つまり国民の多数の支持を将なければ効果は無いと説いたのですが、結果はうまくいっ
ていないようです。厳しさだけでは足りないのです。
わが国の場合、麻薬については、密売することがきわめて悪質な犯罪であるとの認識が国民の一人一人にありますから、世界的に流行している現在、日本では乱用が比較的少なくてすんでいるのです。
わが国でこのような認識を定着させるためには、江戸時代以来数百年にわたる先輩の努力がありました。しかし、一般市民の支持を欠いたままで、アルコールを規制すれば、問題は地下にもぐって、麻薬の乱用などへとさらに悪化するかもしれません。

〔まとめ〕
⑴アルコール依存の予防の方法は、それぞれのアルコール文化によって異なる。すなわち、日本は日本独自の方法で、ということになる。
⑵女性は、男性に比べて、ヤケ酒を飲む人が少ない。
⑶女性のアルコール依存症は、アルコール依存そのものについては、男性ほど悩まない。
⑷女性は、純粋に酩酊そのものにのめりこんでいく。
⑸女性のアルコール依存症は、家族や友人たちがかくしているので、治療の着手が遅れる。
⑹健康の問題として、酒害について子どもたちに教えるべきである。酒を飲みはじめる年令は遅いほどよい。
⑺日本のように、好き勝手に酒の宣伝が流されているのには問題がある。
⑻酒の自動販売機は、便利であるがゆえに、「アルコール依存症製造機」ともいえる。
⑼依存性のあるアルコール、タバコに高い税金をかけている(ましてやタバコは専売制)国の制度は、依存性のある薬物(麻薬)を亮って財源にする暴力団と、発想が同じである。
(10)アルコール販売をきびしく規制しすぎると、逆効果になるおそれがある。

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